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死人探偵  作者: 鷹樹烏介
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誇りの欠片

 公益法人制度改革で、常勤役員の定義が厳格化され、一、二時間ほどちょろっと事務所に顔を出しただけで「出勤している」という事は出来なくなるが、今は過渡期。

 旧・規程が優先されるので笠原周作は、甘やかされて腑抜けた時代の公益法人の役員様の行動様式のまま勤務している。

 年間一千万を超える役員報酬をもらいながら、午後前に出勤、早ければ午後二時にはご帰宅だ。

 まぁ、お飾りの天下り役人など、こんなモノだ。

 公益法人制度改革という一事的な混乱期に乗じて、休眠公益法人に隠されているイリーガルな資金を洗浄するというシナリオの中で、笠原の役割は小さい。

 いざという時に、コイツに責任をおっかぶせるためだけの存在だと、俺にもわかった。

 大陸マフィアは、田中と俺が何人かを病院送りにしたことによって複数犯だとわかり、ますます対立組織による攻撃であるという疑念を強めているようだ。

 人民解放軍と共産党と三合会と組んでいる組織が日本に存在する大陸系マフィア最大派閥。

 だが、太平洋戦争末期、中国で人民解放軍とドンパチやりあった集団に蒋介石配下の国民党軍がある。

 その国民党の流れを汲み、台湾経由でのマフィアも日本には来ている。

 歴史的背景から、両者は武力衝突こそしないが犬猿の仲。

 俺と田中は台湾系マフィアの工作員と思われているらしい。

 勘違いも甚だしいが、田中が言う様に大陸系マフィアに捕まれば殺される。

 ただ殺されるならマシな方で、長い時間をかけ、むごたらしく殺すだろう。見せしめなのだから。


『意志が人を殺す』


 田中の言葉が胸に刺さる。

 俺は、この一連の流れの中で、敵の「殺す意志」に対抗するため、何が出来るというのか?

 いや……それは、言訳だ。

 すでに、あと一歩踏み出せば境界を越えちまうところまで、俺は来ているのだ。

 何の躊躇もなく古矢田を射殺した黒澤の様に。

 田中はそれを見抜いている。

 多分、彼は修羅場を潜ったのだろう。多くの凄惨な現場や、クズ野郎どもを見続けて来た警官が、独特の嗅覚を備えるのと同じく。

「怖いな」

 敵が怖いのではない。踏み込む闇の深さが怖いのだ。

「ええ、怖いっす。俺は、選択したっすよ。伊藤さんも選択を迫られる時が来ますよ」

 案外、その「時」は近いのかもしれない。


 拍子抜けするほど、笠原はノーガードだった。

 桑田が用心深かったのである程度覚悟していたのだが、尾行を警戒する素振りを見せたり、銀行口座を偽装したりすることもない。

 あっという間に、笠原は丸裸になった。

 月額、手取り約八十万という役員報酬。

 それを二十八万円、五十二万円と二つの口座に振り込んでいる事。

 前者は、家族の口座。

 後者は、自分の口座。

 笠原の妻は、笠原が早期退職後、あるキリスト教系の新興宗教にはまり、笠原の退職金を寄付してしまったりして、一悶着あったらしい。

 独自の口座に役員報酬を分散させたのは自衛のためで、キャッシュカードを握られている口座には、怪しまれない程度の金額を振り込んでいるらしい。笠原は、家にも殆ど帰っていない。

 では、どこに行っているのかといえば、自分が役員を務める『財団法人犯罪被害者支援会』の元・事務員、福島ふくしま 美奈子みなこ の家に転がりこんでいるのだ。

 財団法人犯罪被害者支援会は、田中が一人誑し込んだ結果判明したことだが、元・売春婦が雇われる事が多く、裕子などもその系統だった。被害者救済の一環なのだという。

 福島美奈子も元・売春婦で、誰が父親とも分からない子供が一人。

 いわゆる母子家庭で、財団が提唱する『更生プログラム』とやらに従って二年ほど勤務。

 その間に笠原と男女の仲になり、今に至るわけだが、

「ありゃ、典型的な愛人っすね」

 ……と、田中が言う。俺も、見ていてそう思った。

 トウが立った売春婦は稼げない。

 なので、新しい金蔓を見つけたというところだろう。

 真面目なだけが取り柄だった笠原など、転がすのは簡単だったはず。

 そして、真面目だった者ほど、深みに嵌って目が見えなくなる。

 事実、笠原は、福島名義で都内のマンションを借りてやったりして、言われるままほいほいと金を注ぎ込んでいるようだ。

 高級な店に連れてゆき、宝飾品も貢ぐ。換金性が高い純金製の装飾品を好むのは、まるで財産を身に着けていざという時に備える華僑みたいだった。二人で高級旅館に連泊したりもしていた。

 美奈子の子供は、既に十六歳。名前は北斗という。高校に入ったが、半年で中退。

 以降、ぶらぶらと野良猫の様に繁華街をうろつき、ヤクザの下請けのチンピラの更に下請けみたいな事をしているそうだ。

「北斗は典型的な馬鹿ですけど、俺も人の事は言えないっす」

 そう言って、田中は笑っていた。

 北斗は、時折、笠原に金をせびる。まぁ、ソフトなカツアゲみたいなもので、母親も黙認。

 笠原は、美奈子に嫌われたくなくて、言われるまま金を「小遣い」と称して渡している。

 なので、笠原には美奈子を繋ぎ止めるために、資金が必要だ。

 そこに、匿名の寄付金が入る。

 実は、大陸マフィアの資金洗浄のための金なのだが、捨て駒の笠原はそれを知らない。

 それを笠原がちょろまかし、その「盗難されても訴え様のない資金」を裕子が横取りした。

 そんな図が見えた。

 その結果、裕子は殺されてしまった。

 偶然だが、本物の横領犯の笠原は、裕子を身代りにした形だ。そもそも、笠原は裕子に横取りされた事を理解しているか怪しい。

 横領した金を運悪く誰かに盗難された……程度の認識だろう。

 勿論、被害届たれなど書けない。事案化などしたら、自分の横領が発覚してしまう。

 揺さぶるも何も、ちょっと蹴りつければ倒れるのが笠原だった。

 公益法人制度改革を利用して、がっぽり稼ごうとしたクソ財務省からの出向のクソ役人・池田忠行警視庁副総監補佐も、まさか真面目だけが取り柄だった笠原が横領に手を出すとは思わなかっただろう。

 端から悪徳警官だったら、桑田みたいに何か問題が発生した時点でトカゲの尻尾切りの如く始末されるところだ。笠原はノーマークだ。

 突くならここ。おそらく、細工も難しくない。

 俺は黒澤の様に荒事は出来ないが、奇襲をかけたり、罠に嵌めるのは得意だった。

 だが、それをやれば、確実に人が死ぬ。

 俺が直接手を下さなくても、俺が仕掛けることで、誰かが死ぬ。

 そのトリガーに俺の指がかかっていた。

 力を込めるか、指を離すか、その選択は俺の『意志』だ。

 如月の顔が浮かんだ。

 この時点で彼奴にデータを全部渡し、彼奴の的であるクソ財務省からの出向のクソ役人・池田忠行警視庁副総監補佐を差し出す事も出来る。

 おそらく、笠原を使って横領事件に池田が関与していた事をでっち上げ、池田を追い落とす方向に如月は動く。そういう絵図面を見せて、落としどころを探るのが、お偉いエリート様の政治だ。事案自体は、闇の中に沈む。

 その権力争いに巻き込まれ、死んでしまった裕子が哀れだった。

 もう、顔すら正確に思い出せない薄情な俺が、彼女を悼むなどおこがましいが。

 口もとのほくろ。

 スズランの香水。

 痛んだ茶髪を気にして、指でくるくると巻きつける仕草。

 堅気になった記念の初任給を俺に残していたこと。

 カランとなるジャックダニエルのグラス。

 ぽつり、ぽつりと話す身の上話。

 関東のどこかの港町出身だったという。

 そこで、小さな居酒屋を開くという夢を持っていた。

 裕子は生きていた。確かに生きていた。

 それが、あんな寂しい部屋で、ひっそりと死んでいいはずはない。

 いや、死んだのではない。殺されたのだ。

 俺が殴り返してやらなければ、いったい誰が彼女に加えられた理不尽な暴力に反逆してやれるというのか。

 誰が直接手を下したのか、それは分からない。

 しかし、その大元になった連中は誰だか判明している。

 俺は、何を成すべきか?

 本心は、もう決まっているのだろう。

 迷ったのは、俺に残った警官の絞りかす。ほんの小さな誇りの欠片。

 それを、自分の意志で砕くのか、掌に包み込むのか、決めなければならない。

 スマホを取り出す。

 松戸の番号を、俺はプッシュする。

 それを見て、田中が小さなため息をついた。


 JR総武線の平井駅前の喫茶店で、松戸と待ち合わせた。

 離れた席で、田中が珈琲をすすっている。

 一つしかない喫茶店の入り口を塞ぐ位置。

 万が一のことがあったら、田中が時間を稼ぎ、俺は従業員用の裏口から逃げる算段。

 狂暴な毒蜂の巣をつついちまった。

 過剰と見えるかもしれないが、これくらいの用心をした方がいい。

 安っぽい合成皮革のボストンバックを下げた松戸が喫茶店に入ってきた。

 俺の前に座る。

「中身は見てねぇぞ」

 そう言って、俺に差し出したボストンバックは、上野署の証拠品保管庫にあるはずの、裕子がコインロッカーに隠していた鞄だ。

 松戸は、キャリアにはウケが悪かったが、ノンキャリには味方が多い。

「貸しだからな」

 俺に言う。こうやって同僚の為に便宜を図り、貸しを作るのが上手い。

 だから、興信所などを経営できる。警察にコネがあるのは、強みだ。

「頼んでおいてなんだが、発覚したら保管係はマズくないか?」

「馬鹿野郎、そんな事ぁ承知の上よ。ヤバくなったら、死んだ桑田に擦りつける様に細工しといたぜ」

 俺の水を勝手に飲み、学生らしきウェイトレスが持ってきた水もがぶがぶと飲む。

 松戸の様子に怯えていたウェイトレスに、ブレンド珈琲を頼み、俺は自分の冷めた珈琲に口をつけた。

「てめぇ、胸糞悪いことをさせやがって、コイツは高くつくぜ」

「わかっているよ。そう、がなるな」

 フンと鼻を鳴らして、やっと松戸が口を噤む。

「で、これは、何だ」

 震える手でかちゃかちゃと陶器を鳴らして給仕するウェイトレスの怯えを見て、さすがに悪いと思ったらしい。もう、声は穏やかだった。

「金だよ。一千万円以上ある。数えてないがね。それに、俺のスマホ。それに……これは、何だ?」

 ロッカーで一瞥した時は見かけなかった小さな油紙の包みがあった。ご丁寧にジップロックに入れている。手にしたら、ズシリと重かった。

「くそ、拳銃チャカじゃねぇか……」

 小さく松戸が罵った。

 これは、多分悪徳警官の桑田が、非合法に手に入れた代物だろう。桑田はこれを奪還したのではなく、横取りしたのかもしれない。

 悪党独特の嗅覚で、退け時と見て『退職金』を確保したということか。

 俺がサイドポケットに押し込んだスマホに気が付かなかったのは、上野署に隠したから。

 桑田に加担させられていた上野署の金子は、ロクに鞄を調べなかったようだ。見たくもないというのが本音だろうが。

「この鞄のせいで、一人死んだ。関連して、何人も死んでる。これからも、死ぬ」

 バッテリーが上がったスマホを回収し、ジッパーを閉める。

「どうする気だ?」

 ズズッと珈琲をすすりながら、松戸が言う。

「コイツは餌だ。大物を釣る」

 真剣な眼で、松戸が俺を見た。そして……

「田中はこれで、引き上げさせる。あいつは、堅気だからな。これ以上、お前には突き合わせられん」

 ……と、言った。

 まぁ、正しい判断だ。ここから先は、闇の領域。前途ある若者を踏みこませてはいけない。

「今まで助かった。心強かったよ」

「だろ? あいつは、度胸が据わってやがる。五十万円ほど、この口座に振り込め。夢の実現に向けて進む若者を応援するのは、おっさんの役割だぜ」

 松戸が喫茶店を去る。

 松戸への報酬は、受け取ってくれなかった。

「ここの珈琲を奢れ。それと、『面白い事案』には、必ず俺を絡ませろ」

 そう言い残して。

 喫茶店の入り口を見張っていた田中が、俺の向かいに座る。

「松戸さんからメールが来ました。これで、お役御免っす」

「助かったよ」

「いいえ、仕事っすから。それより、『意志』を固めたんすね」

 松戸も田中も、俺の眼をまっすぐに見やがる。

 それが心地よい。そして、それが苦痛だ。

「ああ、決着は自分の手でつけないとな」

「俺は、最後の決断で『こちら側』に踏みとどまりました。伊藤さんは『あっち側』に行くんですね。なんつぅか、その……残念です」

 田中がほろ苦く笑う。

「お元気で」

「君も、な」

 これで、踏ん切りがついた。

 しょせん俺は『死人』。田中たちが生きている世界では異分子だ。


 尾行の有無を念入りにチェックしながら、信濃町の巣穴に戻る。

 俺の命の砂時計である樽から、また適当に金を補充した。

 桑田が隠した包みを解く。

 ガンオイルの臭い。

 鋼の重さ。

 出てきたのは、ロシア製小型拳銃のマカロフだった。

 ソ連時代、ワルサーPPKを参考に作られた軽量小型で携行性に優れた拳銃。

 中国製のデッドコピーは粗悪品だが、コイツはロシア製だった。

 アメリカへの輸出モデルで、口径は九ミリ。弾は多く流通している九ミリパラべラム弾を流用できる。

 桑田が、ヤクザから取り上げた物だろうか。

 大陸マフィアの日本での主要な稼業しのぎに、銃火器の密輸がある。

 九州などでは、手榴弾やRPGまでもが持ち込まれ、実際ヤクザによって使用された実例もある。

 思ったより、銃器は不逞中国人によって持ちこまれていると考えて良い。

 このマカロフは、その末端。

 こうした拳銃で犯罪が行われ、人が死ぬ。

 セイフティを確認し、マガジンキャッチを押す。

 スルリと出た弾倉マガジンには、拳銃弾が装填されていた。

 スライドを引いて薬室も確認する。装弾はされていないようだった。

 弾倉の弾を抜く。予備の弾倉も含めて、十六個の弾が机代わりの木箱の上に並ぶ。

 これは、鉛の弾頭と火薬が詰まった金属の筒。

 使役する者の意志が、これを殺傷武器たらしめる。

 空のマガジンも含め、丁寧に全ての指紋を拭き取り、油紙の包みを捨てて、直にジップロックに入れた。

 百枚づつ輪ゴムを括られた札束は、三十三個あった。

 使い古された一万円札ばかり。

 多分、違法送金用の地下銀行にストックしていた銭なのだろう。

 魔法使から渡された漂泊済のスマホで、大陸マフィア現地工作員の楊がいる『華央貿易』の番号にかける。

 自分が尾行された事に気が付いているので事務所には居ないだろうが、遠隔で留守番電話を聴くはずだ。

 案の定、『華央貿易』は留守電の設定だった。

「ぶっこ抜かれた三千三百万円の行方を知っているぜ。この情報を百万円で買え」

 それだけを言い、こっちのスマホの番号を伝える。

 あとは、待つだけだ。

 ポケットにマカロフを入れたまま、別のジップロックに弾を入れ、両国に向かう。

 ハンカチに包んで一発だけポケットに収め、残り十五発の弾を、夕闇迫る両国橋の上から隅田川に投げ入れる。

 深い川の底で、静かに朽ちてゆくのだろう。

 弾たちも、人を殺すよりは良かったと思っているかもしれない。

 そんな事を考える。

 橋のたもとでタクシーを拾った。

 それで、国会議事堂がある永田町に向かった。

 ここの大きなホテルの跡地に高級マンションが建ち、そこに池田忠行警視庁副総監補佐が住んでいるのだ。

 宅配荷物を預かるロッカーがあり、そこに一発の弾丸とマカロフを納めた菓子箱を入れる。

 もっともらしく、宅配便のラベルも貼ってある。

 その時、俺のスマホが鳴った。


「おまえ、誰だ」

 いきなりそんな言葉が聞えた。

 いわゆる外人訛りがない、流暢な日本語だった。

 純粋な中国人なのに、第二次世界大戦時の残留孤児という身分を作って、日本に移住するビジネスが流行したことがある。

 本物の残留孤児もいたのだろうが、中国共産党のスパイも多く混じっていたらしい。

 その親戚やら、日本国内での二世や三世やらが、大陸マフィアの手引きや、密入国ビジネスの蛇頭スネークヘッドが送り込んだ不法滞在者の受け入れ先になっている。

 電話の声の主、楊はそうした日本に根付いた不逞中国人の一人だと俺は推理していた。

「楊か? 楊だな?」

 俺がそう言うと、しばしの沈黙があった。

 自分の名前を知っているということで、俺が何者か類推しようとしているのだろう。

「そんな奴は知らん。さっさと要件を言え」

 すっとぼける事にしたらしい。

 今頃は、違法な機器を使って、俺のスマホの逆探知をしようとしているのだろうが、こっちは魔法使のセキュリティに守られている。

「情報があんだよ。百万円で買えよ」

 わざと伝法な喋り方で答える。相手が犯罪者なら、楊は逆に安心する。彼が一番警戒しているのは、公安外事二課だ。念のため「楊」と名乗らないのはそのため。

「内容による」

 乗ってきた。

 楊の所属する組織は、謎の団体に攻撃を受けていると勘違いしている。

 少しでも情報を集めたいところだろう。

 普段なら、こんな電話に応じない。

「洗浄予定のゼニが消えただろ? その在処と犯人を知ってるぜ、それを買えって言ってんだよ」

 大きな資金を動かす楊の組織にとって、三千万円ははした金。

 だが「盗まれた」ということで面子が潰れる。

 一人が盗みに成功すると、真似をする者が出てきてしまう。

 だから、裏切り者や敵対者には、徹底的で凄惨な報復が行われるのだ。

「おまえが言っている事が『本当』である証はどこにある?」

 楊が俺の肚を探ってくる。これで分かった。彼奴は俺と田中の正体を勘違いしたままだ。

「はぁ? 何言ってんだ、てめぇ。こっちの密告たれこみを信じるしかねぇんだよ。まぁヒントだけ言ってやると汚職さんずい事案だわな」

 わざと、うっかりという感じで、警察スラングを混ぜてやる。

 これで、楊はこっちが警察関係者であると、推理してくる。

 桑田を口封じで始末したのだ。だが、組織が知らない桑田の私的な仲間がいたかもしれないと思うだろう。

「分かった、会って話そう」

 楊が罠を仕掛けてくる。ミエミエだが、さぁっと鳥肌が立った。

 スマホを通じて、明確な殺意が流れ込んで来たようだった。

「ナメてんのか? あ? どうせ見張しきてんつけて、こっちの素性めんを割ろうって魂胆だろうが!」

 もう一度口を滑らせた感じで警察スラングを会話に混ぜ込む。ダメ押しだ。

 これで、こっちが公安ではない事が理解できただろう。

 訓練を受けた公安なら、警察官を匂わす言葉はおくびにも出さない。

「わかった、わかった。取引の手順はそっちが決めていい」

 薄く笑ったような声で、楊が言う。

 俺は『死人』となってから渡された口座番号を述べ、入金が確認されたらもう一度連絡を入れる段取りを組んだ。

 もう、これで引き返せない。

 俺の『意志』が、死を運ぶ事になる。


 別の番号をプッシュする。

 池田忠行警視庁副総監補佐の緊急用の番号だった。

 魔法使からの情報だ。

「なんだ」

 不機嫌そうな声。

 女の嬌声が聞えた。

 どこかにシケ込んでいやがるらしい。

 財務省なら、緊急呼び出しなどはないのだろうが、今は出向の身分とはいえ警察官。

 上位幹部ともなれば、緊急の番号は設定されている。

「あんた、命があぶないぜ」

 いきなりそう言ってやる。

 傅かれることに慣れた、お偉いエリート官僚様は、こうした物言いに慣れていない。

「何を言っておるのだ、貴様! この番号をどこで入手した!」

 怒鳴り返してくる。

「親切に教えてやってんだよ、ハゲ。『華央貿易』に繋がる連中が、あんたを裏切り者と勘違いしているらしいぜ。ガチでヤバいよ、あんた。だから、解決策を自宅に届けておいた。有効利用しなよ」

 そのまま、通話を切る。

 いつも、魔法使がやる無礼な仕打ちだが、池田みたいなクズにはお似合いだ。


 両国に戻り、隅田川沿いをぶらぶら歩く。俺は、結構この場所が好きなのかも知れない。

 そういえば、エイブ老人と出合ったのは、この近くだったか。

 数日、顔を出していないだけなのに、あの珈琲が飲みたくて疼く。

 今度は如月に電話を入れた。

 これまでの経過を報告する。

 池田を罠にかけた事も。

「私が考えていた結末と違うね」

 如月が渋い声で言う。

「こいつは、俺が始めた事です。結末も俺が決めるのがスジでしょう」

 エリート様同士の駆け引きなど、俺の知った事か。

「まぁいい。結果オーライだからね。まぁ、困ったのは、相変わらず大陸マフィアの連中が君を探していることだが、いいだろう、私がその件は処理しよう。片がつくまで、新宿には来るなよ」

 如月が何をどうするのか、俺には分からない。

 どうせ、またロクでもない事にこの事態を利用するのだろう。

 だが、大陸マフィアに狙われなくなるのはありがたい。

 また『BOWMORE』に通える。

「俺は、感謝すべきなんでしょうね」

「感謝は強要するものじゃないよ君。湧き上がるものだ」

 くそ、また言われた。真理ではあるが、コイツに言われると腹が立つ。

「では、お任せします。ありがとうございました」

「うむ」

 歩く、歩きながら、空を見上げると、三日月が利鎌のようだった。

 日付が変わる。

 銀行の残高参照アプリを起動するとが入金確認のアラームが鳴った。

 楊から金をせびらなくて良かったのだが、金をせびらないと、こっちが桑田の仲間の悪徳警官に見えない。

 楊の番号をプッシュする。

「実行犯は、笠原周作。指示を出したのは、池田忠行。銭の行方は笠原が知っている」

 一気に喋って、通話を切る。

 電源も落とした。

 今、大陸マフィアは悪徳警官の関与を疑っている。

 池田も笠原もそうした絵図面に合致する。

 俺の言葉を信じるなら、取引を持ちかけたであろう池田は、消される。

 笠原は、金の在処を吐かせるために拷問を受けるだろう。

 愛人の福島恵美子も息子の北斗も拉致されるはず。

 関係者全員抹殺は、大陸マフィアの常套手段だ。

 俺は、俺の『意志』で殺した。

 如月のように「結果オーライ」と平然と言えるほど、あっち側に入っていないが、もう俺はあっち側の住民だ。

 川岸にある桜の意匠の鉄柵に乗り出して、げぇげぇと吐く。

 ロクに物を食べていないので、胃液しか出てこない。

 傍目には、川風に吹かれに来た酔漢にしか見えないだろう。

 だが、違う。

 たった今、自分の意志で境界を踏み越え、それに拒否反応を起こした、哀れで情けない男なのだ。

 誇りの欠片は、砕けてしまった。




 北関東の港に俺はいた。

 津波に痛めつけられた港も、今は復旧し、ずっと不通だった電車も走る事になったそうだ。

 裕子の事を調べた。

 彼女の名前は松本裕子。

 茨城県高萩市に近い小さな漁港の出身。

 身寄りはない。天涯孤独の身の上だった。

 それゆえ『行旅死亡人』の扱い。

 埋葬は六十日の官報による告示を経て、発見場所である新宿区が行う事になる。

 俺は、裕子の故郷だったと思われる場所に立っていた。

 風が吹いていた。

 鹿島灘の海が群青色に染まっている。

 池田忠行警視庁副総監補佐は、自宅で拳銃自殺をしたらしい。

 エリート官僚の自殺ということで、様々な憶測が飛んだが、国会議員の不倫騒動が持ち上がると、誰も話題に上げなくなり、立ち消えになった。

 笠原周作は、行方不明。

 福島美奈子、北斗の母子も失踪扱いになっている。

 多分、出てこない。

 どこかに埋められたか、海にばらまかれて鮫の餌になっているだろう。

 楊の対立組織の構成員で、田中に良く似た体格の男と、俺によく似た体格の男が殺害された。

 警視庁では、外国人組織犯罪同士の抗争に発展するとみて、警戒を強めているそうだ。

 これで、俺と田中への大陸マフィアの指名手配が終わった。

 どうも、この騒動には如月の影がちらつく。

 敵同士を噛み合わせる手段は、彼奴が良く使う手段だ。

 大陸マフィアの資金洗浄用に、大量にストックされた寄付金は、笠原が持ち逃げした事になって完結した。如月が行方不明になった笠原に全部擦りつけた形だ。

 資金は、どこかに消えた。多分、『互助会』が回収したのだろう。

 正義の為に使う……という名目で。反吐が出そうだ。

 大陸マフィアは、大打撃。面子も潰れ、不可侵条約を結んでいた国民党系マフィアとの戦争が始まる様子だ。

 如月と『互助会』は、今回の騒動を目いっぱい利用したのだ。

 数十億円単位の金も動いた。

 その過程に俺は存在していたが、もう関わりたくない。

 楊が俺にダマされて振り込んだ百万円の他に、『互助会』から二百万円の振り込みがあった。

 今回の報酬のつもりらしい。

「君の命の砂時計に、砂を足させてもらったよ」

 それが、如月の言葉。

 俺が俺に科したルールまでお見通だと、暗に言ってやがるのだ。

 ぶっ殺してやりたいほど頭にきたが、他者の領域にズケズケと入ってくるのが、如月という人物。

 抵抗したり、怒ったりすると身がもたない。

 こんな事柄、本物の『死人』になっちまった裕子には、関係のない話だが。

 スズランの花を海に投げ入れる。

 裕子の無念は、これで少しは晴れただろうか?

 海を眺める俺の隣に裕子の気配があるよう気がした。

 遠くで貨物船の汽笛が鳴り、ウミネコが歌う。


 まるで、死人を悼むかのように。


=====『死人探偵』(了)============

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

身内に不幸があったり、父の会社を畳まされたり、第五回ネット小説大賞に別の作品が入選したり……と、何度か執筆中断を余儀なくされた関係で、完結が遅くなりました。

相変わらずの低空飛行でありましたが、第五回ネット小説大賞の運営スタッフさんから感想を頂き、「面白い」と言って下さる方もおられ、なんとかモチベーションをキープする事が出来ました。

本当にありがとうございました。

感謝・合掌


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