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死人探偵  作者: 鷹樹烏介
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ボクサー崩れ

 青竜刀を構えて、曲がり角で待ち構える。

 気を失った中国人は、死角に引きずっておいた。

 荒い息と、ドタドタと足音。

 俺が隠れ潜んでいる路地に、また一人入ってきた。

 古いビルが連なる新宿は、地図にすら載らないこうした路地が迷路の様に広がっている。

 見上げれば室外機が、まるで蝉の抜け殻の様にびっしりと壁面に貼りついている。

 中国語で何かを罵りながら、俺の脇を中国人マフィアが通過する。

 俺は青竜刀を思い切り横殴りに振った。

 雄叫びは自然と出た。

 ガツンという衝撃に手首が痺れる。

 刃の部分を向けないだけの分別はあった。だが、一キログラムはある鉄板が顔面にぶち当たったのだ。ただでは済まない。

 その中国人は悲鳴を上げて、後頭部を打ち付ける様にして地面に転がる。

 転がりながら青竜刀を振り回そうとした腕を俺は掴み、肘関節が曲がらない方向に思い切り体重をかけて捻じ曲げる。

 メリメリという嫌な音を立てて、ありえない方向に腕が曲がる。

 青竜刀を取り落したのを確認して、喉に足刀を叩き込み、ついで、何度も顔面を踏みつける。

 三人目が路地に入ってきたのは、その時だ。

 中国語でわめきながら、青竜刀を横殴りにぶん廻してしてきた。

 身を低く躱した俺の髪を何本か引き千切りながら、風を斬る音を残して刀身が擦過する。

 ガチンと火花を散らして、壁面に青竜刀がぶち当たるのが見えた。

「こなくそ!」

 低い姿勢のまま、思い切り相手の腹に肩をぶつける。

 同時に両脚を抱え込もうとした。ラグビーのタックルの要領だ。だが、相手は足を踏ん張って体勢を崩さなかった。

 カチャリと鍔鳴りがした。

 マフィア野郎が青竜刀を持ち変えたのだと分かった。

 逆手に持ち変えた青竜刀で、俺の背中を刺すつもりだ。

 相手に密着したまま、俺は背後に廻ろうとした。

 敵の利き手は右。なので、左側面に廻り込む。

 廻り込みつつ、思い切り体を後ろに逸らして、相手の腰を俺にへその上に乗せた。

 背筋をつかって地面から引っこ抜く。

 体勢は不完全だが、柔道でいうところの『裏投げ』だ。

 投げを打たれると判って、敵は足をバタつかせて抵抗した。

 左手の肘も俺の首に打ち下ろしてくる。

 目から星が散ったが、構わず仰け反った。

 男の体がフワッと浮く。

 背後に放り投げる。受け身は取ったようだが、体をひねった際に右肩を地面に打ち付けたようで、手から青竜刀が離れていた。

 それを拾う余裕はなかった。

 辛うじて、蹴り飛ばすことが出来たくらいだ。

 相手は拳を握って、両腕を緩く曲げて構えた。

 何か、拳法をやっているような感じだ。

 俺も左半身になり、手の甲を向けて上半身をガードする。

 黒澤のなんとかいう長ったらしい名前の拳法の見よう見まね。要するにハッタリだ。

 俺は、逮捕術、剣道、柔道の術科は、せいぜいC+程度でしかない。

 不意打ち以外の肉弾戦は苦手だった。

 ぬっと黒い影が路地に入ってきたのはその時だった。街灯を背にしているので、顔は分からないが、百八十センチはあるガタイのいい男だった。

 ああ、畜生、二対一じゃ、勝ち目はないなと、覚悟を決める。

 油断した。こんなに素早く楊が反撃に移ると予想できなかった、俺の致命的なミスだ。

 俺と相対していた男が、くるっと背後を振り返って、何か鋭く中国語で叫んだ。

「あ? 中国語は、まだ勉強してねぇよ」

 新たに路地に入ってきた男が言う。日本語だった。

 中国マフィアの男が一歩、闖入者の方に踏み出して、右膝に向かって前蹴りを放つ。

 日本人らしき男は、ひょいと狙われた右足を上げる。

 前蹴りをかち上げた膝で受けた形だ。

 そのまま、日本人の男が踏み込む。

 ラバーソールらしきバスケットシューズが、アスファルトに擦れてキュっと鳴った。

 中国マフィアの男の両腕のガードの隙間を縫って、パンチが二度閃く。

 ボクシングの『ジャブ』だった。早くて、残像しか見えないほどのスピード。

 パパンと二発肉を打つ音が響き、中国マフィアの男がグラっと傾き、ガードが上がる。

 日本人らしき男は、殆ど真横に体を傾け、地面から何かを拾い上げるような動作で、右のボディアッパーを突き上げる。

 ジャブを打った時とは比較にならないほどの重い打撃音がして、中国マフィアの男がくの字に体を曲げて「げぇっ」と、えずく。

 首根っこを掴んで無理やり上体を起こされた中国マフィアの男の頬に、九十度に曲げた日本人らしき男の右腕が唸りを上げて振り抜かれる。きれいなショートフックだった。

 一瞬で意識が飛んだが、ほぼ真横に中国マフィアの男は吹っ飛び、壁面に側頭部を叩きつけて、くたくたと地面に伸びる。

「伊藤さん、怪我はないっすか?」

 聞いたことがある声。とりあえず、俺は助かったらしい。

「田中、なんでここに」

 松戸の紹介で、『財団法人犯罪被害者支援会』の監視を頼むことにした青年だった。

 元・アマチュアボクサーだったと聞いていたが、ちゃんと格闘技を学んだ者の動きというのは、見事なものだ。

「松戸さんに頼まれて、伊藤さんをこっそり護衛していたんす。二人、表でぶっ倒したんですが、それで出遅れちまいました。まぁ、無事でよかったっす」

 そう言いながら、右手からメリケンサックみたいな物を外す。

 それは、ウォーキング用のダンベルだった。田中はこれをメリケンサック代わりに使ったらしい。

「前に話したと思うんすけど、俺、右手の靭帯やっちまって、握力が弱いんすよ。なので、こんな道具を使わにゃならんのですわ」

 メリケンサックを持ち歩いてたら、職務質問しょくしつされた時に、色々と面倒だ。

 だが、ナックルガード付のウォーキング用ダンベルなら、スポーツ用品なので問題ない。

「この二人、伊藤さんが? なかなかやるっすね」


 終電に近い、都営新宿線に乗る。

 中国マフィアは、新宿や渋谷や池袋などの大きな繁華街に拠点を構えているので、墨東方面に避難するためだ。

 俺が田中に案内されたのは、江戸川区の外れにある、閉鎖された町工場だった。

 旋盤工場だったらしいが機材は全部運び出され、ガランとした工場にはオイルの臭いと、金属の焼けた臭いと、無機質なスチールのロッカーだけが残っている。

 シャッターは閉ざされたまま。

 事務所が二階ほどの高さの足場に作ってあり、外側の階段と、工場内の階段で、出入りできるらしい。

「ここが、死んだダチの拠点だったとこっす。ライフラインは生きてますから、しばらくここにいるといいすよ」

 田中のスマホが鳴る。

 口パクで「松戸さんです」と俺にサインを送り、通話ボタンを押す。

「はい、佐藤の隠れ処に案内しました。あぶないとこでしたよ。今からですか? はい、了解です」

 松戸がここに来るそうだ。

 俺は、安心したからか、どっと疲れが出ていた。

 さすがに全力疾走は辛い。


 小一時間ほどで、松戸がこの廃町工場に到着した。

 相変わらず不機嫌そうな顔で、どっかとソファに座る。

「伊藤、お前、何をした?」

 いきなり口火を切る。

組織犯罪対策課そたいの連中から聞いたが、都内の大陸マフィアの連中が騒いでいるみたいだ。三合会トライアドと人民解放軍と組んでる、危ない連中だぞ」

 三合会は、漢民族の復権を目指した結社だ。清の時代に清王朝へのレジスタンス組織としてテロ活動を行い、主に海外の華僑や香港などの経済界に食い込んで勢力を拡大してきた団体である。

 中国共産党とは敵対していたはずだが、香港返還の際に親中派と組んだという経緯があり、人民解放軍とも上手くやっているらしい。

「外事二課も動いたか」

 ポケットからハイライトを出して、火を点けながら言う。

 公安警察の外事二課は主に中国の工作員を監視する部署だ。

「けっ! あの特高崩れどもは、北のシンパのスパイが国家公安委員長に就任した時の痛手から、復活してないぜ。だから、その隙間に如月みたいな秘密警察ゲシュタポが入ってきやがったんだろ」

 卓の上の俺のハイライトを勝手に一本拝借しながら、辛辣な口調で松戸が混ぜっ返してきた。

 松戸のイライラが収まるのを待って、俺は今までの経緯を説明した。

 『財団法人犯罪被害者支援会』の事、『社団法人心的外傷ケア協会』の事、金子の事、桑田の事、楊の事、『華央貿易』、『サクラ貿易』、『中華貿易公司』の三つの団体の事だ。

「魔法使から『財団法人犯罪被害者支援会』の人事データを貰う事になっている。まぁ、注意して行動するよ」

 松戸の眉間に深い皺が刻まれた。

「おまえ、『魔法使』ともつるんでやがるのか、組む相手を良く考えろよ」

 そういえば、松戸は『魔法使』が大嫌いだった。

「しばらくは、コイツがお前の護衛につく。単独での行動は慎めよ」

 無言を保っていた田中が、俺に目礼する。

 マフィアと交戦したばかりなのに、何の昂ぶりも見せず、微笑を口元に刷いていた。

 ボクサー崩れの用心棒。それが、田中の副業だった。


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