終 天の使い
漆黒に包まれた姿は間違いなくゾーイのよく知る死神そのものだが、半年間を共に過ごした死神とは別人である事はすぐに分かった。声も体格もまったく違う。ゾーイとほとんど変わらない高さの目線と、体格までもそっくりな印象がある。
立っているのは女人の死神だ。
「あなたは……」
彼女は違う。
半年を共に過ごした死神ではない。
違いは明らかなのに不思議な胸騒ぎがしていた。
胸騒ぎだけではない。人の魂を死後世界へと導く存在に、もう一度こうして会えた事に喜びを感じている。死が迫り衰弱していた時に初めて死神と出会った時と同じように、恐怖は少しも感じない。
古城の姫君、と呼ばれたせいなのか。
彼女とは初対面で間違いないのに初対面に思えない。
私はこの死神を知っている気がする。
知っているどころか、もっと、とても……
死神の女人は、仮面に覆われていない口元に優しげな弧を描く。小さな口も、唯一見えている肌も血色が感じられない程に白いのに、どこか暖かみがあった。
「姫の魂を死後世界に導くために現れたのではありません」
言われて初めて、新たな死期が迫っているから彼女が目の前に現れたという可能性に思い至らなかった事実に気がつき、ゾーイはハッとした。
「どうしても伝えたい事がありました」
「私に?」
足音もなく、気配すらも感じさせずに、彼女は一瞬にしてゾーイとの距離を縮めてくる。手を伸ばせば簡単に触れる事が出来る距離だ。
「諦めないでください。姫がずっと、大切に心に抱き続けた本当の想いを、恐れずにアルフレッドに伝えてください」
「……あ! 分かったわ!」
死神の女人の口から、アルフレッド、という名を聞いた途端、パッと笑顔を浮かべて自身の胸元で両手を合わせるゾーイに、死神の女人は訝しむように少しだけ首を傾けた。
「アルフの命を救ってくれた漆黒の女人は、あなたね?」
結婚前にアルフレッドから聞いた、幼い頃のヘデン兄弟の身に起きた不思議な出来事。死んでしまう筈だったアルフレッドの魂をこの世に繋ぎ止めた漆黒の女人の話を思い出していた。
死神の女人――漆黒の女人は、ほんの小さく口元に微笑を浮かべながらも、ゾーイの眼差しを避けるように顔をうつむかせた。
「きっかけを作り、与えたのは私です。でも、私には人間の命を完全に救い出す力はありません。中途半端にこの世に繋ぎ止めてしまったせいで、アルフレッドは長い間苦しみ続ける事になりました。あなたが言う、本当の意味で彼を救い出したのは、彼本人が持っていた生きる力と、彼を愛する人間達の力によるものです。兄のジークレッド、恩人のハルク……」
漆黒の女人はもう一度顔を上げる。口元に優しい笑みを浮かべたまま。
「古城の姫君」
仮面の下から透明の雫が静かに滴り、真白の肌を伝って顎からぽろりと落ちる様子に、ゾーイは息を呑んだと同時に衝撃を受けた。
私は彼女を知っていて当然だった。
「姫は、自分の魂を死後世界に導こうとした冷たい死神に、たくさんの愛情を注いでくれていましたね」
漆黒の女人が言葉を言い終わると同時に、ゾーイは勢いよく両手を伸ばし、飛びつくように抱きついていた。抱きついた拍子に、ゾーイの顔半分を覆っていた白い仮面は外れて足下に落下していたが、床にぶつかるような音も壊れたような音も何も響かなかった。
抱きしめ返される事はなかったものの、漆黒の女人は素直に両腕の中でされるがままになってくれている。
姫? と驚きながらも、柔らかさのある美しい高声で耳元で名を呼ばれた時、ゾーイの心は、込み上がる喜びのあまり一段と強く震えた。
「死神さ……お姉さん」
「お姉さん?」
「ええ、あなたの事よ。ずっと疑問に思っていた一つの謎が解けたわ。私のそばにいてくれた死神さんの正体はアルフだったと思っているけど、どうして声は別人みたいだったのかずっと疑問に思っていたの。どんなに全体が似ていても、声だけは明らかに違っていたから」
まだ消えてしまわないでね、と彼女に訴えるようにさらに両腕に力を込めて抱きしめる。
「死神さんの声は、アルフの声にお姉さんの声が混ざっていたような感じがする。あの時の死神さんはアルフであり、お姉さんでもあったのでしょう?」
漆黒の女人は否定も肯定もしなかった。
マント越しの両手でやんわりと胸元を押し返され、ゾーイはすぐに両腕を解いて解放した。彼女の顔を覗き込んで見ると、一度だけ流れ落ちた涙はもう止まっている。口元には明るい微笑が戻っていた。
「『魂を導く者』の使命を果たす為だけの存在だった私は、ヘデン兄弟と姫との出会いにより、今までは決して知り得る事は無かった人間が持つ秘めた力と愛を知り、素晴らしい体験も出来ました。これからも私は『天の使い』として新たな使命を果たしていきます」
「魂を導く者……だった?」
「この姿で私が姫に会えるのは、今が最後です」
漆黒の女人の言葉に戸惑うゾーイに、重なり合ったマントの隙間から、ほっそりとした白い両手をゆっくと差し伸べる。お腹の前の辺りで、行き場を無くして宙に浮いたままの、手袋に包まれているゾーイの両手を優しく包み込むと、そのまま握りしめた。
寒々しそうな程に青白い肌からは、布越しにもじんわりと温かさが伝わってくる。
「古城の姫君は私にとっても『運命の人』。たくさんの愛を教えてくれた人。ありがとう」
告げられたのは感謝の言葉。
困惑しながら瞬きをした瞬間、ゾーイの視界から、漆黒の空間も漆黒の女人の姿もすべてが消えた。
代わりに視界に広がった光景は、人々の熱気に包まれた豪華絢爛な王城舞踏場。
漆黒の女人に両手を握られていた時の姿のまま、元いた場所にそのまま戻っていた。
奏でられる優雅な音楽、貴婦人達の楽しそうな笑い声、紳士達の囁き合う声。全てがゾーイの耳を素通りしていく。
うるさい筈の喧騒が、不思議な程に小さくなっていく。
「新たな使命……天の……使い」
まるで夢のような一瞬の出来事。
漆黒の女人の言葉一つ一つを全て思い出す。彼女が一番に伝えたかった言葉を思い出した瞬間、考え事をしていたせいでうつむきがちになっていた顔をハッと勢い良く上げてもう一度じっくりと舞踏場を見渡した。
アルフレッドの姿はやはり見当たらない。
王城で、舞踏場ではない場所にいるとしたら、思い当たる場所はもう一つ。
逸る気持ちを必死に抑えながら、ゾーイはドレスの裾を両手で軽く持ち上げると一目散に駆け出していた。
*
目的の場所は舞踏場から遠くない。
そこそこの段数がある螺旋階段を上った先にある広間だったため、ドレスの重さもあり、体力のないゾーイの息は上がりきっていた。
しかし、呼吸を整える時間すらも惜しかった。
「ッアルフ!」
呼びながら、両開きの扉をノックもしないまま渾身の力で開け放つ。
扉から入ってちょうど真正面の場所に位置する壁に、両腕を組んで背中をもたらせながら落ち着いた様子で立っている背の高い一人の黒髪の紳士の姿があった。
漆黒の仮面をつけた顔を上げた紳士の正体は、やはりアルフレッドだ。
「……ゾーイ!?」
王城舞踏会に参加している紳士専用の休憩室。
今は休憩室として使われてる大広間だが昔は違う。アルフレッドと偽っていたジークレッドと初めて出会った『控えの広間』こそ、今ここにいる大広間だ。
王城舞踏会は始まったばかりであるせいか、アルフレッドの他に人の姿は見当たらない。横長に広い大広間の両端には椅子とテーブル、ソファがいくつか用意されているものの、ゾーイとアルフレッドの間を阻む物は何も置かれてはいなかった。
慣れない格好で全力疾走してしまった負担は大きすぎていた。ヒールを履いている足は信じられない程にガクガクと震え、汗も止まらず、髪も乱れてしまっている。暴れ狂う胸の鼓動も収まる気配がない。
扉を開け放ったまま数歩、よろよろと入室してアルフレッドに歩み寄ろうとしたが、駆け寄ってきたアルフレッドの両腕に身体を包まれる方が早かった。
「ねぇアルフ、」
「喋るのは後だ」
決して屈強な身体付きという訳でもないアルフレッドに素早く横抱きにされてしまう。どこにそんな力があったの? と驚いていると、壁際に置かれていた三人掛けのソファへと運ばれ、座る体勢で慎重に降ろされていた。正面に回り込んで片膝をついたアルフレッドに靴を脱がされる。足を直に触られた事実に思わず緊張してしまっている間に、アルフレッドはハンカチを取り出すと、額や頬に浮かぶ汗や崩れてしまった化粧を優しく拭ってくれていた。
「私、ドレスも着てるからすごく重かったでしょう?」
「ゾーイ」
ぴしゃりと鋭く名を言い放つアルフレッドの、仮面越しでも分かってしまう程の心配を隠さない真剣な表情に、はい、とゾーイは反射的に姿勢を正して返事をしていた。
ハンカチをしまったアルフレッドの両手は、ゾーイの両手を包むように重ね、握りこんでくる。
「俺が謝るべきだと理解していても今言わないと気がすまない。王城では何があっても、身体に大きな負担をかけるような行動だけはしないと約束しただろう?」
「や、約束は。すっかり忘れていたわ。頭から綺麗さっぱり消えてしまっていたみたい。ごめんね」
「……忘れ……」
ゾーイから視線をそらし、顔を横にしてから大きく一度息を吐いたアルフレッドは、やがて仕切り直すようにゾーイの方へと向き直った。
「ゾーイに無断で舞踏場を出て悪かった。すぐに戻るつもりが間に合わなかったんだな。一人きりになった時間があったから俺を探し回る羽目になったんだろう? ベスティリ卿と何かあったのか?」
「ううん。アルフ、違うのよ」
顔を一度ゆっくり左右に振りながらきっぱりと否定する。
「どうしても今すぐにアルフに伝えたい事があったから」
アルフレッドは怪訝そうに唇を強く引き結んでいる。
漆黒の仮面に包まれた瞳。
深い闇色の、優しさと何か強い信念を秘めた瞳をしっかりと見つめながら、ゾーイは満面の笑みを浮かべた。
「闘病中の一番苦しかった時にね、私のもとに死神さんが現れたの」
ひとまず今は聞き役に徹すると決めたらしい。
落ち着いた様子ではいるものの、両手を握るアルフレッドの力が強くなった事にゾーイは気付いていた。
「幼い頃に絵本や物語で知った死神とは全然違っていたわ。人間ではないのに人間味に溢れていて、言葉には棘もあるしすごく意地悪な事も言うのに、とても優しくて思いやりに溢れていたのよ」
髪と化粧は崩れ、頬もきっと火照って赤らんでしまっている。
今の自分は綺麗な姿とは程遠く、見苦しい姿だと分かっていたが、身を乗り出すように上半身を前へと傾けてアルフレッドに顔を近づけた。
「その装いで仮面をつけた今のアルフの姿は死神さんにそっくり。同一人物じゃないかと疑ってしまいたいくらいに似すぎているわ」
「……俺は人間だ」
何を言っているんだ。
死神が本当にこの世界にいるとは思えない。
反論されたり、誤魔化されたり、強制的に話を打ち切られてしまうか、初めてキーナに話した時のように信じられないといった素振りをされてしまう事を覚悟の上で話し始めたつもりだったが、ゾーイの予想に反して、アルフレッドの反応は普段の会話をしている時の様子とほとんど変わらない。
俺は人間だ、と、一度だけアルフレッドに対して「死神さん?」と口を滑らせて尋ねてしまった時と同じような返事をされただけ。
諦めないで。
恐れないで。
漆黒の女人が伝えてくれた言葉が勇気となって、ゾーイの背中を力強く押してくれる。
「ええ、あなたはアルフよ。でも、あまりにもそっくりだから、今この瞬間だけ死神さんになってくれないかしら?」
「死神に?」
「特別に何かして欲しい訳ではないわ。私が死神さんに伝えたかったけど伝えられなかった言葉を、代わりにただ聞いていて欲しいだけよ」
視線を重ね合わせて、ゾーイは言葉を続けた。
「私は死神さんが好きなの。私の初恋はあなたよ」
きつく閉じられていたアルフレッドの薄い唇が、力を失ったように小さく開かれていく。反対に、闇色の瞳は大きく見開かれていた。
珍しく驚きを隠さないアルフレッドに、ゾーイも驚いたもののもう一度微笑んだ。
「突然現れて、お別れも突然で、最初から最後まで私の心は死神さんに振り回されっぱなしで、死後世界に導かれるどころか置いていかれてしまったんだもの。もう二度と会えないと悟ってしまった時は悲しすぎて沢山泣いたわ。でもね」
熱かった筈のアルフレッドの両手が少しずつ冷えていき、手を握ってくれる力も弱くなっている。
今ならば簡単に手は解く事が出来る。
ゾーイは両手を引き抜くと、アルフレッドにされていた時のように、今度は自分の両手でしっかりとアルフレッドの両手を包み込んで力強く握った。
「死神さんは、この世界の、私がこれからの人生のすべてを捧げたいと心から思える運命の人の元へ導くための力を私に与えてくれたんだわ。死神さんの本当の正体は、人生を諦めてしまっていた私に、まだ知らなかった愛を教えて導いてくれる天使だったんじゃないかと今は思うの」
仮面姿のアルフレッドと視線を重ね合わせたまま、ゾーイは言葉を続けた。
「私をアルフの元へ導いてくれてありがとう」
死神に伝えたかった想い。
漆黒の女人と対面して思い、新たに抱いた感情。
ゾーイが全てを笑顔で言い終えた途端、アルフレッドは頭を深く下げた。まるで、顔を上げ続けるための支えが突然切られてしまい、失ってしまったかのような勢いで。
ゾーイの視界にはアルフレッドの後頭部と、仮面をつけるために結びあわせている黒のリボンがある。
「アルフ? 約束を破って無茶をしてまで今すぐ伝えたかった話が、あまりにも非現実的すぎてショックを受けちゃった?」
「いいや」
「妻の初恋相手が人じゃなかった事が嫌?」
「いいや」
「これからの人生のすべてを捧げたいと思える運命の人の元というのは、アルフのことよ」
「分かってる」
淀みなく返事はしてくれるものの、アルフレッドは微動だにせず顔も上げない。
多分とても困らせてしまっている。
申し訳なく思う感情以上に、本当に伝えたかった想いをこうして伝えることが出来て、ゾーイは万感の思いだった。思いがけず、アルフレッドが最後まで話を聞いてくれた事実の喜びも大きい。
ゾーイはアルフレッドの両手を握っていた手を離して、仮面をつけるために結びあわせていた黒のリボンに手を伸ばす。慎重にリボンを解いて仮面を外してソファの上へと置いた。
今は、素顔のアルフレッドと話したい。
「アルフはどうして一人でここに来たの?」
話題を変えて尋ねてみる。アルフレッドはやっと顔を上げたもののゾーイを見上げず、広間を見渡すように横を向いた。
横顔はいつもと何ら変わらない。
顔色も雰囲気も普段と同じアルフレッドの様子に、ゾーイはなぜかホッとした。
「特別な場所なんだ」
「特別? ここが?」
立ち上がったアルフレッドは、ソファに座るゾーイの隣に同じように腰掛ける。
片腕がゾーイの肩に回される。そのまま抱き寄せられ、アルフレッドの肩に顔を寄せた。
「ゾーイと初めて出逢った場所だから特別なんだ」
伝えたい事を、悔いなく伝える事が出来たからかもしれない。
アルフレッドがいつものように嘘をついても、ゾーイは自分でも驚く程に心が凪いでいた。普段ならば、どんなに気にしない素振りをしたとしても、必ず何かしら感じていた引っかかりは、もう何も無くなっている。
アルフレッドと対面するという意味で初めて出会った場所はここではない。しかし、確かにこの場所から全てが始まっていた。
運命が交わりあった特別な場所。
「違うわ。私とアルフの初対面はコーイック城よ」
「まだ言うか」
「アルフこそ!」
「……楽しそうだな?」
「そう?」
「文句の言い方がいつもと違いすぎる」
「分かっちゃうのね。実は、すごく楽しい」
顔を覗き込んでくるアルフレッドを見上げて、ゾーイは明るく笑った。
「本当の真実を知る事にこだわる必要はないって、今日になってやっと納得したの。そうしたら今はただ楽しくて、とっても幸せだなぁとしか思えなくなっちゃったみたい」
顔を近づける。
大切な運命の人の唇に、自身の唇をそっと重ねた。
「……姫」
唇を離し、しばらくお互いに静かに顔を見合わせていた時、アルフレッドが表情を変えずにぽつりと呟く。
姫?
ドキリと胸を騒がせたと同時に、座ったまま身体の向きを変えたアルフレッドの両腕に抱きしめられていた。ゾーイの顔がアルフレッドの胸元へと導かれる。なんとなく片手もアルフレッドの胸元に添えた瞬間、ゾーイはさらに驚いた。
「私は君を愛している」
早口ではあるものの静かな口調の言葉とは裏腹に、手袋をしたゾーイの手のひら超しに伝わってくるのは激しく鳴り続けている胸の鼓動。
信じられない思いのあまり、ゾーイはしばらくぼんやりと呆けてしまっていたが、少しずつ実感が込み上げていた。
アルフレッドは自分が死神だったと認めていない。
認めるつもりがない態度である事に変わりはない。
それでも今の言葉は、アルフレッドではなく『死神さん』からの返事なのだと分かってしまった。
ずっと堅く閉じられたままだったアルフレッドの一部分が、ほんのわずかなのだとしても開かれた瞬間が今、訪れたのかもしれない。
多幸感に胸がいっぱいになっていく。
精一杯の想いを受け取り、ゾーイはどうして良いのか分からなくなってしまった。
ゆるんでしまう表情を隠してしまいたい衝動のままに、アルフレッドの胸元に額をさらに強く押し付ける。シャツやタイが崩れてしまう事も気にする余裕も無くしてしまい、ぎゅっと手で握りこんでいた。
「ゾーイ」
「何?」
「仮面はどこに置いてきたんだ?」
慌ててアルフレッドから身体を離して、咄嗟にゾーイは両手で自分の顔を触った。
見知らぬ暗闇の空間で、漆黒の女人に抱きついてしまった拍子に落下してしまった事までは覚えているのだが。
「えっと……アルフを探している最中に落としちゃったみたい。多分、舞踏場にあるわ。早く戻って探さないと」
「待て」
急いでソファから立ち上がりかけたものの、裸足だった事を思い出す。靴を探して座ったまま上半身を動かした時、アルフレッドの両腕が伸びてくる。そのまま後ろから包み込まれるように抱き寄せられていた。
身じろぎ一つする隙も与えない力強さと身体の密着。
背中からアルフレッドに抱擁される事も、後ろから顔を覗き込まれる体勢も初めての事で、ゾーイは久しぶりに体中を緊張に巡らせて体温を上昇させてしまった。
「アルフ? どうしたの?」
「今夜は二人で過ごさないか?」
「え?」
「このまま帰ろうか」
「帰ッ、れないわ。最低限のご挨拶すらもまだ全然終わっていないのよ?」
「本音が漏れた。さすがに分かってるよ」
返事をするアルフレッドの表情は、このまま二人でいたいという願望がまったく隠しきれていない。
険しく眉を寄せたアルフレッドの表情に、ゾーイは頬を赤らめたまま相好を崩した。
「アルフだけじゃないわ。本当は私だって、早く帰って温かいハーブティーを用意して、飽き飽きするまでお喋りしながらずっとくっついていたいって思ってしまっていたの。アルフと二人きりで過ごす時間が好きだから」
アルフレッドの眉間の皺がゆるゆると解れていく。
やがて、幸せそうに微笑んだアルフレッドは、そのままゾーイの赤い頬に触れるように優しく口付けた。
「妻の誘惑に負けそうだ。でもそうはいかない」
「初めての王城舞踏会を楽しく過ごして忘れられない一夜にして欲しい、でしょう? 昨日アルフが言ってくれたわ」
「ああ。これからが本番だ」
「お父様ともまだ踊っていないの。最後まで参加しなきゃ」
「身体に負担がかかる行動だけは、」
「もうしない。約束! 今度こそ守るわ」
目を細めてまったく期待していない様子で渋い表情を浮かべるアルフレッドを見つめながら、ゾーイは笑ってしまった。
急いで身支度を整え直さなければいけない。
白い仮面を探し出さなければいけない。
すべき事は理解しているのだが、アルフレッドの腕の中から離れ難く、結局ゾーイは動く事が出来なかった。アルフレッドも同様なのか、両腕を解く気配はまだ見られない。
警備巡回の衛兵が階段を上る音が聞こえてくる時まで。
運命が交わりあった特別な場所で、何のとりとめのない会話をしながら笑いあう愛おしい時間を二人きりで過ごしていた。
* 古城の姫と運命の戀 fin *




