53.あの人を守るためならば
「時間がありません。あなたが知っていることをすべて話してください。あなたはスフェラが行う『浄化』を回避する方法を知っていますね?」
氷のような私の全身は冷えた。
うるさいくらいに自分の鼓動が鳴っているのが聞こえる。ごくりと飲みこむつばの音も、今の状況では頭に大きく響き渡る。
怖い、怖い、怖い……!
どうしたらいい?
アイル様のことだけは絶対に教えてはいけない。
こうなったら、嘘を吐くしか……でも、こんな状況じゃもっともな嘘なんて思いつかないし、そもそもヘルマンさんは嘘を見破るのが得意らしい。誤魔化は利かない。
こうなったら――
「言えません」
できるのは口をつぐむことだけ。
私の脳内では、サムズアップしながら溶鉱炉にぐつぐつと沈んでいく自分の姿が浮かび上がった。
私が答えると同時、がん! と大きな衝撃が走った。
エリックが私のすぐ横の壁を乱暴に蹴り上げたのだ。
「さっさと言えっつってんだろ! 痛い目見ねーとわかんねーのか!?」
激昂するエリックを、ヘルマンは片手で制している。
そして、底冷えするほどの眼差しで私を見据えた。
「教えてくれませんか。あなたが話してくれないと言うのなら、まずは左手の爪を1つずつはがします。それでも話さないと言うならば、右手も同じ目に遭っていただきます。それでもなお沈黙を選ぶと言うのなら、次は手の指を1つずつ切り落としていきます」
エリックの荒っぽい言動よりも、冷徹なヘルマンの脅し文句の方が利いた。
怖すぎて、心臓の辺りがぎゅっと縮んだのがわかる。全身が一気に冷やされて、震えが止まらない。
私、グロ系には本当に耐性がないの……!
そういう系の漫画やアニメは避けていたし、そういうシーンが不意に画面に映し出されると目を逸らしてしまうタイプだ。
いや……怖い……泣きそう。っていうか、もうすでに涙がにじんでる。
ここから逃げ出せるのならば、何でもする。裸になれと言われたらするし、犬の真似だってするし、靴を舐めろと言われたらそうする。
でも。
それでも。
私は首を縦に振ることはできなかった。
私の命よりも大事な物。
それを守るためならば――
「私がどうなろうとも……あなた方には絶対に言えないことです」
「それは自分の身よりも……世界を滅亡より救うことよりも、重要なことなのですか?」
「私にとってはそうです。私は……」
これを言ってしまったら、私はどうなるのだろう。
それを想像しただけで、震えが止まらない。どくんどくんと心臓の音がうるさくて、指先が氷のように冷たくなっていく。怖くてたまらない。
それでも、私は答えた。
「あの人を救うためならば、何でもします――!!」
ぴくりとヘルマンさんの眉が動いた。
呆れているのか、憐れんでいるのか――。
いや、ちがう。
複雑そうな面持ちだった。
その双眸にわずかに影がかかったようにも見えた。それはどういう感情なのだろうか。
しかし、それは一瞬のことだ。
ヘルマンさんはため息を吐くと、私に背を向けた。
そして、冷たい声で告げる。
「エリック。どんな手段を使っても構いません。彼女に情報を吐かせてください」
「ひひっ、任せときな、旦那」
複雑そうな面持ちのヘルマンさんとは対照的に、エリックはいかにも愉しそうだ。
舌なめずりでもせんばかりの形相で私に近づいてくる。
怖すぎて直視できない。私はぐっと目をつぶって、顔を逸らした。
ああ、RPGによくある描写。
『ルイーゼは めのまえが まっくらになった!』
今はまさにそんな気分だ。
人は絶望に直面すると、思考がまとまらなくなって、何も考えられなくなってしまう。
今から私は深夜アニメでも規制されるような、エログロ描写の目にあって……そして、ここでむごたらしく死にゆく運命なんだ。
ああ、願わくば最後にもう一度だけ。
あの人に会いたかった。
あの人に名前を呼んでほしかった。
私はそんな願いを頭に思い浮かべながら、心の中で叫んだ。
アイル様――!
心の中で叫んだ、その瞬間だった。
光が弾けた。
私の胸元からだ。
え、え、なに? と、混乱する私をよそに、私の懐から小さな光が何かの形を作って飛び出していく。手のひらサイズの人型。背中には大きな羽が生えている。
これってもしかして妖精!?
でも、何で?
その妖精がぱーっと辺りに眩いばかりの光を放った。
と、同時。
「ルイーゼ――!」
ぶん、と空気がうねる音が響いた。
私の視界に映りこんだのは、きらめく太刀筋。
それから起こったのは、一瞬の出来事だった。
気が付けば私の鎖が断ち斬られ。
私は誰かに抱き上げられた体勢で、宙を舞っていた。
その人物が華麗な動作ですとんと着地する。
私は目を白黒させながら、その人物の顔を見やった。
そして、息を呑んだ。
「あ、アイル様……!?」
ちょっと、待って! 最推しがドアップ!?
これは夢? それとも幻……?
それにしては触れ合っている体温が温かいし、アイル様の鼓動や息遣いがリアルに伝わって来る。
というか、近い! 近すぎる! 心臓が口から飛び出そう!
私はあわあわとしながら、今の状況を整理する。
この体勢はもしかして、いわゆる『お姫様抱っこ』というものなのでは……?
至近距離から、アイル様の精悍な眼差しと視線が交わる。
凛とした瞳は私の姿を見て、ほっと安堵したように柔らかく変化した。
「ルイーゼ……君が無事でよかった」
私はぷしゅうと頭から湯気をだそうなほどの勢いで赤面する。
身体的には無事だけど、心がまったく無事ではありません……!




