逃亡の結果
翌日から私がとった方法は、王子様よりも早く行動するというものだった。
王子様に絡まれる前に教室に行き、王子様に絡まれる前に目立たない場所で昼食をとる。
そして王子様に絡まれる前に帰る。
でも、昼食までミリアンちゃんと一緒だと目立ってしまう。それに何より彼女の「妹ちゃん」達が怖い。
そういうわけで一人寂しく、学校の敷地内、人気のない茂みに囲まれた芝生の上でカツサンドを頬張っていた。
「らんらららんららら~」
などと、「遠い日の歌」の一番盛り上がる箇所を口ずさみながら、新しいカツサンドに手を伸ばす。
すると、茂みの反対側から咳払いの音が聞こえた。
あれ? 誰かいるのかな?
茂みの反対側に回り込むと、そこにはひとりの男子生徒が。木にもたれかかって本を読んでいる。
「あの……」
「不愉快な雑音を発するのはやめていただけませんか?」
男子生徒は本から目を離すことなく告げてくる。
ざ、雑音!? しかも不愉快!? 私ってそんなに音痴だったのかな……
「す、すみません。その、人がいるとは思わなくて調子に乗ってしまいました」
「敬語じゃなくて結構ですよ。僕はあなたより一学年下ですから」
「え? えーと、私のこと知ってるんですか?」
「学内では有名ですよ。亜人でありながらラ・プリンセスに選ばれたユキ様」
男子生徒が顔を上げた。整った顔に、黒髪をオールバックにした少年は、眼鏡をかけていて、何か問題事が起こっても「想定の範囲内です」とか言いながら眼鏡を指で押し上げそうな知的な雰囲気を醸し出していた。
でもなんだか態度に棘がある。笑顔もないし。
やっぱりさっきの雑音が気に食わなかったのかな。
もう一度謝ろうかと思った矢先、少年のお腹が鳴る音が響いた。
と、同時に少年が顔を伏せる。でも私は見ていた。少年の顔が真っ赤に染まるところを。
「ええと、よかったら、サンドイッチ食べる?」
ランチボックスを差し出すと、少年は
「結構です」
と、拒否する姿勢を見せたが
「でも、午後の授業中にお腹が鳴ったら、もっと恥ずかしいでしょ? 私も騒音のお詫びだと思って食べてもらえると嬉しいし」
そう勧めながらランチボックスを差し出す。男子生徒は私の顔とランチボックスを見比べていたが、やがておずおずと言った様子でサンドイッチを手にして一口齧る。
「こ、これは……! 今まで食したことのない味のソースと肉とパンが渾然一体となって、まるで……まるで、そう、味のメリーゴーランド……!」
さっきまでのクールな雰囲気はどこへやら、少年は妙な比喩を交えながらカツサンドに豪快にかぶりつく。
一切れ食べ終わると、残りのカツサンドにも手を伸ばし、あっという間に完食してしまった。
「は! 僕としたことが、なんと不躾な真似を……! 申し訳ありませんでしたユキ様! あまりの美味しさについ我を忘れて……!」
私は首を振る。
「気にしないで。美味しそうに食べてくれるのを見ると、こっちも嬉しくなるし。アトレーユ様なんて、手もつけずに廃棄しちゃったんだよ。酷いよね」
「なんと、こんな美味なるものを廃棄するとは、アトレーユ様は人生を損してらっしゃる」
そ、そこまで……? さすがにそんなに絶賛されると照れる。
私は話題を変える。
「ところで君は……」
「グランデールです。ジェイド・グランデール。名乗りが遅れて申し訳ありません」
ジェイド君か。先ほどのどこか冷たい印象とは打って変わって微かな笑みを浮かべている。
「ジェイド君は、普段からお昼ご飯食べてないの?」
見たところお弁当もないし、学食に行くのなら、こんなところで本なんか読んでる場合じゃない。
「昼食を食べる時間を読書に回したいんです」
な、なんという勤勉家!
「だからって何も食べないっていうのは……」
「僕の勝手でしょう?」
それでも思春期真っ盛り食べ盛りの男子が昼食を抜くというのは、相当辛いのでは……?
なんてことを思いながら、私も芝生に座ると、ミリアンちゃんから借りた初等部の教科書を広げる。
「どうして隣に座るんですか?」
ジェイド君の不機嫌そうな声。
「私も勉強しようと思って。あ、そうだ。ジェイド君て魔法得意?」
「は? まあ、人並みには」
「それなら、明日からもサンドイッチ持ってくるから、私に魔法を教えてくれないかな。サンドイッチなら、片手で食べながら読書もできるでしょ?」
「なんで僕が……」
「お願い。アトレーユ様に見つかったら勉強する時間もなくなっちゃうし、友達もお昼は離ればなれになっちゃうし」
「マクシミリアン様ですね。あの方も大変そうでいらっしゃる」
意外と内情に詳しいんだな。
「私、どうしても魔法を使えるようになりたいの!」
「いきなり中等部三年から編入してくる時点で無謀だと思いますけどね」
うう……やっぱりそうなのか。一朝一夕で身につくようなものでもないみたいだ。
俯く私。しばらくしてからジェイド君がため息を吐く。
「わかりました。初歩的な魔法の使い方を教えるくらいなら」
「えっ、ほんと!? いいの!?」
てっきり断られるかと思っていた。
ジェイド君はからっぽのランチボックスに目を落とす。
「サンドイッチのお礼です。これでも義理堅いんですよ。僕は」
そういうわけで、ジェイド君との魔法レッスンは始まったのだった。




