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第四十三話 自分を守るために


「はぁぁぁ~…」


湯気の向こうの格子の外で風がピュウと吹き、木々のざわめく音が耳に届く。

ブクブクと口元までお湯に浸かればどっと疲れが押し寄せてきた。


「しかし…高杉さんが長州の人だったなんて…」


世間は狭いというかなんというか。これも巡り合わせというものだろうか。


…高杉さんに拾われ長州藩邸に引きずりこまれた私は、高杉さんの「疲れただろう!風呂にでも入れ!」の言葉に甘え、…というか有無を言わせずそのままお風呂場に放り込まれた。

素直にいただくことにしたんだけれど、隣で当たり前のように着物を脱ぎ出した高杉さんには正直度肝を抜かれましたわ、はい。

思わず「なにやってんすか!」って軽く蹴り入れたら、大事なところにヒットしちゃって大変だったんだけど。

ま、きっと大丈夫だろう。

あの人、悪い人じゃないんだろうけどねぇ…

なんかもう、いろいろすごいよ、うん。


それより…

これから本当、どうしよう。

ずっとここにいるわけにはいかないし…

なんかもう、藩だの組だのそーゆーところじゃなくて、普通に平穏にひっそり生きていける場所ってないんだろうか。それが駄目ならせめて殺し合いとは無縁のところで。


バイト感覚でそこらへんのお店で働かせてくれって言ってもさすがに無理だろうし…

だったらなにもかも割りきって島原って手もあるけど、あそこはなぁ…

要はお酒の相手から本番もアリの風俗ってわけでしょ?お酒の相手だけならともかく、本番はさすがに抵抗がある。

なんでだろう…現代だったらワンナイトラブなんて平気だったんだけどなぁ…

ま、働きたくても舞踊も和楽器もできない、それでいてこの時代ではすでにちょい年増扱いの私は間違いなく門前払いされるだろうけどね。


…とりあえず……

高杉さんがいいって言ってくれれば、少しの間だけここにいさせてもらうしかないみたい。

そんでこれから先、どうするか考えよう。


そんなことを考えながら湯船のお湯で顔を洗えば、ふとあることを思い出した。


…少し前。

新選組のみんなが護衛で出掛けた時、楠くんのところに広戸さんって人が訪ねてきたっけ。

もしかしてあの広戸さんって人も間者なのかな…

同じ、長州の人なのだろうか。

それともただの友達なのだろうか。

…いや、ただの友達って感じじゃなかったな、うん。

あの時は二人の独特な雰囲気に、もしかしてゲイ!?なんてワクワクテカテカしてみたけど、今考えればきっと広戸さんも楠くんと同じ類いの人だと思う。


楠くんが亡くなったって知ったら…どう思うんだろう。


お風呂出たら広戸さんのこと、ちょっと高杉さんに聞いてみようかな。

…きっとあの人もただ者じゃないんだろうから。

長州藩邸に入ってから、お風呂場までの道のりの中で会った人たちは、数人だったけどほぼ全員が高杉さんに深々と頭を下げてたんだもん。

もしかしなくても立場が上の人なんだろう。


あ!でも広戸さんのこと、なんで知ってるのか聞かれたらまずいかも。いや、まずいな。

確か長州は新選組とか、幕府側の方と敵対してて…私、数時間前までその新選組の屯所にいました~!…なんて言えるはずがない。

高杉さんなら「そうかそうか!」なんて流してくれそうだけど、ここは黙っておくのが利口だな。


…しかしあれだね。あーゆうタイプの高杉さんを上司にもつ部下も。

部下にもつ上司もたまったもんじゃねーな。

色々大変なんだろーなぁ。


そんなこと思ったらなんだか面白くて。

私は屯所を出てから初めて小さく笑ったのだった。




***




…――ベベン


お風呂を出て、夜風に涼みながら歩けばふと耳に届いた楽器の音。

なんだろう…

三味線…、だろうか。


音に導かれるように広い縁側を辿っていくと、そこには月明かりの下、盃を煽りながら三味線をたしなむ高杉さんの姿があった。


なんかすげー色っぽいなぁ…

いや、色っぽいってゆーよりか艶っぽい。


その姿に見とれていれば、私に気付いたのか高杉さんはニカッと笑い手招きをした。


「あ、お風呂ありがとうございました」

「どうだ、すっきりしたか!」

「はい。おかげさまで」


「まぁ呑め!」と、差し出された盃を受け取れば、高杉さんは再び静かに三味線を弾きはじめた。


ベベン―、ベベンと夜の澄んだ空気に響き渡る心地よい音色。


ピアノとかの洋楽器の音色も癒されるけど、こういう和楽器の音色ってとても素敵だ。

やっぱり日本人だからだろうか。波長が合っている気がする。


…それにしても高杉さん。剣の腕前もすごかったけど、三味線の腕前もなかなかだ。

そこら辺の芸妓が弾くよりも上手いと思う。


隣に腰を下ろし、勧められた酒を煽りながらしばしその音色に聞き入っていると、ふと高杉さんが口を開いた。


「…少し前にな。禄を160石貰ったんだ」


……ろく?

な、なんだいきなり。なんのことだ?


ちらりと高杉さんを盗み見るも、表情はいたって真剣。ろくってなんですか?なんて聞けない雰囲気だ。

ど、どうしよう。とりあえず聞いてればわかる、かな?


軽くプチパニックの私をよそに、高杉さんは、ベベン、と静かに続けた。


「…だがな、京へ出兵をと暴走しようとしていた来島さんを説得した時に言われたんだ」

「………」

「鼻糞ほどの禄が惜しくて臆病者になったかと」


――ベベベン


「その言葉にカッときてな。違う!それは俺の正義のためだと。ならばその禄、惜しくないことをお目にかけようと、そのまま脱藩してきちまった」


馬鹿だろう?そう言って高杉さんはハハハッと笑った。


…だっぱんっていうのはその藩を許可なく抜けるってことで、要は家出みたいなことだよね。ろくっていうのは…きっと給料みたいなもんかな、と思う。


「あと数日のうちに長州に帰ろうとは思っているんだがな。なかなか煩悩を捨てきれん」

「ぼんのう?」

「ああ。帰れば俺はきっと牢獄行きだからな。今のうちに酒やら女やら、堪能しておかないとな!」

「は?…ろうごく?」


高杉さんは小さく笑ったけど、私はその言葉を聞いて思わず目を丸くした。


藩を許可なく抜けただけで牢屋に入れられちゃうの?

そんなに重い罪なの?脱藩って。


……人を殺した奴が何事もなかったかのように娑婆で暮らしている。

脱藩なんて、誰にも迷惑をかけていない人が牢屋に入れられる。

……本当に理解し難い時代だ、ここは。


なんだかやりきれない気持ちになり、盃を一気に煽れば、辺りに響き渡っていた三味線の音がふいに止んだ。


「…してお前は」

「はい?」

「お前はなんで家出をしてきた」


凛とした眼差しに

そして静寂に

思わず息が詰まりそうになった。


「亭主と喧嘩でもしたか?」

「いえ、私、年増ですけど独り身なんで」

「ほう。ならば俺とは運命の出逢いなのかもしれんな!」

「いや、それはないでしょう」


やんわりと即座に否定すれば高杉さんは「お前、面白いな!」と豪快に笑った。

でも、もしかしてそうなのかも…と、ちょっとだけ思ってしまった私は精神的に参ってるのかもしれない。


「まぁ、お前が年増なのはともかく…」


余計なお世話じゃ。


「それなりの理由があるんだろう?」


…理由、か……


とにかく…あのまま屯所にいたくなかった。

というかこの時代に。

この時代に私の居場所はない。

あの人の隣だって、私の居場所じゃなかった。

屯所を飛び出せば、もしかしたら元の世界に戻れるんじゃないかって。

そう思った。


…でも一番の理由はそれじゃない。

あのままあそこにいて、自分を見失うのが怖かったんだ。

あの時、歳さんの腕に抱かれて、何が正しくて何が間違ってるのか一瞬わからなくなった。

このまま流されて、これから先のすべてのことに目を瞑ってしまえばいい。そしてこの人の隣にいればいいとすら思った。

でもあの眼を見てハッとした。

それじゃいけない。このままだと、今まで私が善悪だと思ってきたことが覆されてしまう。

そう思ったから。


だから…

だから…


「…自分を守るため、かな」


言葉少なにそう答えれば、高杉さんは静かに「そうか」と頷いた。


私は弱い。

今までしっかり自分というものを持たずに、フラフラ流されるまま生きてきたツケだこれは。

強く、ならなきゃいけない。

この時代で生きていくほかならないこれからの自分のために。ちっぽけな自分の正義を守るためにも。


目の前の盃を一気に空にすれば、喉が一瞬にして、熱くなった。


「もう一つだけいいか?」

「?…なんですか」


高杉さんの空気が変わったのがわかった。

私に向ける視線はさっきまでのものとは比べ物にならないくらい鋭い。

思わず身構えれば、ポン、と投げられた風呂敷に包まれたある物。


あ…

そ、れは……


「お前……、どこから来たんだ?」


高杉さんの言葉にグッと唇を噛み締めた。



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