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よもつひらさか

 島崎靖司邸に着いた。


「こんにちは、叔父さん」桜がカギのかかっていない玄関の引戸を開ける。

「やあ、いらっしゃい。桜ちゃん」靖司は存外元気だった。昨日の事を忘れてるかのように。


 客間に通される。

 床の間を背に靖司が座る。姿勢の良い正座だった。

 ローテーブルを挟んで、俺は靖司の前に正座する。右に祐実が、左に瑞希が座る。

「お茶出すよ。台所借りるから」桜が部屋を出ていった。

 開けられた障子の向こうに庭が見える。


「昨日は妹たちが押し掛けてすみませんでした」

「いやいや、刀に興味がある人は大歓迎だよ」

 今は本題に入る気はない。しばらく居合や刀の話をする。


 桜が冷えた麦茶を持ってきた。


 頃合いを見て、「みんな、席を外してくれないか?」と言った。

「居間に行こう」桜が二人を連れて出ていった。


「改めて自己紹介させてもらいます。僕は高坂洋介。祓い屋とか拝み屋とかの類いです」

 靖司は黙っている。


「桜さんに頼まれて来ました。誰もいないはずの部屋から人の気配がしたり、突然ものが壊れたり。そういう事が頻繁に起きる。そういった相談です」

 実際に頼まれたのは瑞希だけど。


 靖司は黙っていた。

 俺も黙っている。彼が話すのを待った。


黄泉比良坂(よもつひらさか)を知ってるかな?」

「ええ」

 古事記に書いてある。


「君は大切な人を失った経験は?」

「幸い、ありませんね」

「後悔しないようにしなさい」

「そのつもりです」

「下らない話だよ?」

「聞きたいですね」


 靖司は少し考えてから話を続けた。

「妻とケンカしてね。ケンカの原因は……、いやどうでもいいか。下らない事だった。なぜそんな事でケンカしたのかも今となっては不思議な事だ。ケンカすることもないようなどうでもいい事だった」

「わかります。原因なんていつも些細なものですね。そして、いつの間にかいつも通りになっている」

「よくわかるね。結婚してないだろ?」

「妹がそんな感じでしたよ」

 今は妹の祐実とケンカなんかしない。祐実も物分かりが良くなったものだ。


「その日私は寝室ではなく、居間で寝たんだよ」

 そう言って目を閉じた。

 待つ。


「朝になっても妻は起きてこなかった。脳溢血だよ。一緒に寝室で寝ていたら気付いただろうか?」

 それはわからない。今となってはわからない。その問いかけはずっと続く。答えがないから、永遠に繰り返される。

 寝室で寝ていたら、ケンカなんかしなかったら、助かったかもしれない。


「それで黄泉比良坂へ?」

「行けたら良かったのだけどね。君は行けるかい? 霊能力者なんだろう?」

「行けたとしても連れ戻すことは不可能ですよ」

 そんな事をしようとも思わない。


「連れ戻したのですか……」

 死んだ人は帰らない。連れ戻された魂は、悪霊と何の変わりもない。

 それが黄泉比良坂の神話だ。



読んでくれてありがとうございます。

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