青年は抱きしめられて目覚める
プロローグ終わって、琥太郎側です。
撫子が入ったことでどうなるか……。
柔らかい感触。
意識が覚醒した時、青年が感じた感触はそれだった。徐々に光が差し込んでいく暗闇の中で、感じられる感触はただ一つだけ。
おかしい。ぐっすりと眠っていたはずだった。しっかりと意識を暗闇へと埋没させて、体と脳を休める。そんな時間だったはず。なのに感じる感触は、いったいなんなのだろう。
明るい日差しが、覚醒した意識に突き刺さる。目が覚めてしまったのだから、自分は起きなければならない。
「……ん、っ……どういうこと……だ?」
パチリ、青年は眼を覚ます。少しだけ明るくなった、自分が眠っていた場所。それを横目で見れば、いつもの場所。レッドヴィルの宿屋。木でできた建物。その床に敷かれた薄い布団。いつも通りの光景だ。
「(いつもの場所だ。だが……だとしたらあれは)」
なぜだ。と心の中で思う。そして、目の前へと、自らの移した。感触を知りたい。その一心で。
「あれは……いった」
瞬間。青年は、硬直する。その目に映してしまったことを、酷く後悔する。
「……嘘だろ」
青年……琥太郎は天を仰ぐ哀れな囚人のように小さく呟いた。とんでもなく困惑させるような状況下では、どんな思考も無駄なように。ただ呆けることしかできないのである。
「……母さん……」
ただ一言だけ、琥太郎は呟いた。
そう、琥太郎は今の今まで、母である撫子に抱かれて眠っていたのだ。ギュッと、しっかりと。自分の頭を抱いて、胸に寄せて……。さっきまで感じていたのは、その感触だったのだ。
そう、ここ数日。撫子と合流して、一緒になって。数日。こんな朝が続いている。彼女が着ているのは、白の寝間着。紫の模様をあしらっている、いかにも和風のそれは、いつ用意したものだろうか。
「……すぅ、すぅ……」
寝息を立てるたびに、撫子の胸の奥がゆっくりと動く。真っ白な陶器のような肌。冷たそうではあるが確かに感じるその暖かさ。やさしく自分を抱きしめる腕。そして、しっかりと感じられる……。豊満な胸。母性を感じさせるのに、これ以上なものはない。誰もがそれを認めている。
それら全てをもって、撫子は琥太郎を包み込んでいるのだ。
一体いつまで? いつからだ? と琥太郎は思う。前日はそうじゃなかったし、寝るときも一人だ。
ただ少なくとも。琥太郎はこう思っていた。
これは、わざとだ。寝ている間に自分の布団へと、一緒にやってきて。こうやってぎゅっと、抱き付いたのだろう。同じことを、されたことがあった。
アレは確か、高校一年生。琥太郎がたまたま用事で夜遅くまで学校にいた時。帰ってきて早々、抱き付かれて。
『絶対離れませんからね、私は琥太郎さんから離れたくないです……絶対!』
なんて言われて、風呂から食事から、就寝まで。それこそずっとくっついたままだった。そうやって、抱き付かれたまま眠ったこともあったと。普通に考えれば正しくないことなのはわかる。だけれど、それが撫子の心なのだと思う。ただ単に、息子である琥太郎を愛しているだけなのだ。その愛が過剰すぎるだけなのである。
琥太郎のことを夫だの妾だの、そんな風に思っていそうな彼女なのだから。
「……ん……こたろ……さん……」
寝言が聞こえる。ぎゅっとやさしく。されど深く深く。柔らかさを感じさせるように抱いて。まさに鈴の音。吐息もASMRもかくや。
しかし当の琥太郎は、これ以上撫子の抱擁を堪能する気がなかった。何とかして、脱出を試みようとした。力づくで抜けようとするのは駄目だと思った。確実に抵抗されるし、何より撫子を傷つけるつもりはない。
もぞもぞと。少しばかし、身をよじってみる。
「……ん、ふ……ぅっ」
がさっ。と音を立てると、撫子はくすぐったそうに身をよじった。小さな笑い声まで聞こえてきて、彼女の腕が、少しばかし緩む。
しめたものだ、と思った。琥太郎はすぐに抜けようとする。
縄抜けの要領で、下に体を動かせば。
「……抜けたっ」
するっと、撫子の抱擁から脱出することができた。そのままゆっくりと立ち上がる。
「……あ、ら……琥太郎さんが……」
そしてすぐに、ぱちり。
違和感を感じた母親が目を開けた。目を少し指でこすりながら、彼女はゆっくりと上体を起こす。
「琥太郎さん、おはようございます♪」
「おはようございます……、ですが……。さすがに、心臓によくないです」
「そうでしたか。最初の数日はこうでしたが、それがおいやでしたら次は最初から琥太郎さんと一緒のお布団へ……」
「それも困るのですけれど」
毎日一緒の布団ではたまらない。ちゃんと眠れてはいるが、色々と良くない。
「ですが……母は心配なのです」
そんな中でふと、琥太郎は撫子のつぶやきを聞いた。
「琥太郎さんはあの時、私の手から離れていってしまった。怪我するかもしれない、誘拐されるかもしれない、もしかしたら死んでしまうのかもしれない。私の心配が、本当に起きてしまったのです」
「……」
そんな言葉を聞いたら、琥太郎としては何も言えなかった。撫子は、ずっと女手一人で家族を養い、育ててくれた。それこそ、今の今まで、道も外れず、友にも恵まれ……という健全な状態でいれたのは間違いなく、撫子の功績なのだ。心配性で、自分のことをひたすらに愛している。息子としてではなく、一人の男としても……なのは困るけれど。
撫子の愛。それがあったからこそ今の自分がいるというのは。否定できないのである。
「手放したくないのですよ、もう。琥太郎さんのことは」
「……母さん。それは……俺だって」
撫子の愛。それはとても大きいものだけれど。それ自体が自分に向けられているのは悪い気がしなかった。だって、母親に愛されている。それを悪いと思うのは、おかしいことじゃないかと思うのだ。自分だって。母のことは、撫子のことは。感謝しているし、好きである。決して嫌っているわけでは、ないというのだ。
とてつもなく、良い母親だ。嫌う理由がない。
「ですので……私は包むのです。琥太郎さんのことを。私の腕や胸で」
「そこまではしなくていいと思うのですが」
「恥ずかしがる必要はありません。むしろ私は直接肌と肌の密着でも! さあ、さあさあ!」
「やめ! そこまで飛躍したらまずい!! ちょっと、服! はだけさせない!で!」
琥太郎がそう言うが、撫子は寝巻きをはだけさせて、がばっと両手を伸ばし、受け止める体制を作っていた。思わずいつもの調子以上の勢いで突っ込んでしまった。撫子をはじめとした、目上の相手。それに大事な話。そんなときは必ず敬語。目の前の相手から叩き込まれたマナーだ。だけれど、感情が高ぶると、思わず素の言葉が出てしまう。
そういう癖は、今はともかくとして、見逃しちゃくれない。この人は厳しいのだから。肝に銘じる、琥太郎であった。
「……なでしこさん!」
ダンッ!
その声と共に、背後より音を立ててやってくる者が一人。といっても。琥太郎にはそれが誰だかわかっていた。怒りの声音を携えて、この状況に食って掛かる人間は、一人しかいない。
「……勝手にこたろーの布団の中に入り込んで。いくら母親といえどそれは」
当然の如く青葉だった。腕を腰に当てて、撫子のことを見下ろして。鋭い目で睨め付けている。幼馴染と母親と。この二人は、互いに琥太郎の争奪戦を繰り広げる中だ。いわば恋のライバルというもの。こういうことになると、青葉は撫子にくってかかってしまう。魔王戦の後に撫子が琥太郎へ口付けした時もそうだった。
まあ、撫子は青葉のことも好きだし、青葉も撫子には感謝しているから、完全なる敵対関係には至っていないが。
「絶対認めない。琥太郎も困ってるし、なでしこさんでもそれは認めない」
青葉はしっかりと、そう断言した。琥太郎にとっては助け舟のようなものだ。
「……大体、私ができないことを平然とやってのけるから。私だって」
青葉の最後の言葉は聞き流したけれど。
「とにかく。私達は今は一緒だけど、ルール。規則だけはちゃんと守ってほしいと思う。それが例えなでしこさんでも、譲れない」
「あらら……琥太郎さんもそうですけれど、青葉さんにもそう言われてしまえば、ですね。寝ている琥太郎さんのベッドに忍び込むのは、やめようと思います」
すんなり引き下がった。意外というわけではない。他人に受けた指摘は必ず自分のものにする。他者に厳しいが、自分にも厳しいのが撫子なのだ。
「……その代わり、夜中に琥太郎さんのところへ夜這いにでも行こうかと。琥太郎さんと面と向かって。久しぶりに夜半の語らいをすると言うのも。いいと思うのです。……夜這いと言うことで、私はそれより先の方向へ進んでしまっても、構わないのですけれど、ふふ♪」
「なでしこさん!」
ダメだった。差し出された代わりの案に、青葉は思わず絶叫する。
「或いは青葉さんも交えて、と言うのも。琥太郎さんの幼馴染であるあなたのことも、私は大好きなのですから♪」
「……それなら持ち帰って検討する」
「母さんに買収されるんじゃない」
撫子の言葉に、青葉が買収されかけていた。撫子の言葉自体は本気なのが、さらにタチが悪い。
琥太郎第一主義なのは当然なのだが、それ以上に博愛主義。琥太郎と関わった全てを愛するのが……相丘撫子の本質なのだ。
「あれから数日。まだやってんのね」
「仕方ないさ。あの二人は琥太郎のこと大好きだからな。あたしもだけどさ」
「仲良くていいことだと思いますけれどね〜〜」
その傍らで、シエテと玲と輝美の三人は画面を見ていた。PCの画面。Gotube。シエテのチャンネルだ。決して大きくないディスプレイを、三人がじっと見つめている。
「しっかし……どうだ? まだまだ時間かかりそうか?」
「人数はちょくちょく増えてるわ。でももう少し、後ちょっとといったところで伸び悩んでいるのよね」
玲の質問にシエテが言う。
「なかなか時間かかりますよね〜〜。登録者数10万人は。私たちの世界でも結構到達するのに……」
輝美が補足するように言った。
『あるしえてチャンネル』、登録者数9万9000人。これが現在の数字だ。後1000人。1000人登録すれば、大台に乗る。
「あの勇者の奴、相当大きいムーブメントを引き起こしたのよね。あれで爆発的に登録者数増やしたのよ」
シエテは思い出す。勇者と魔王の決戦。そのライブ映像。それを配信した直後から、登録者数が一気に増えたのである。
最初は10人とかそこらだったのに、この世界に来てからどっと増えたもんだ。
「もう底辺なんてもんじゃないわよ、私は」
「最初から誰もお前のこと、底辺だなんて思っちゃいないさ」
玲がシエテの自虐を慰めるように言う。
それからしばらく、画面を見つめていたが……。
「ダメだー。やっぱ朝早くは無理ね」
パタン、とシエテはPCの蓋を閉じる。小さくため息をついた。
「朝っぱらからずっとパソコンか」
琥太郎が問いかける。
「気になるじゃない。私の名前がいつ大台に乗るかってのは。だからあんたより早く起きて、すぐにPCつけたのよ」
「あたしたちはそれを見学してたんだ。それで今日一番遅起きだったのが、琥太郎ってわけだ」
「……ついに一番遅起きか」
「別に悪いってわけじゃないけどな。いつもめっちゃくちゃ早いし」
シエテと玲が答える。それよりも、割と早起きだったはずの自分が、いつもより長く寝ていたのに驚いた。
「私と一緒に住んでいた時はそんなことは今までなかったですけれど、ずいぶんお疲れだったのでしょうね。疲れを残すのはいけないことではありますが……」
「仕方ないさ。色々疲れる仕事なんだよ、冒険者は」
「なんと……。全く知りませんでした」
「ずっと魔王のところにいたらしいじゃん。だったらこの世界のこと、あんまわかんないのも当然だろ」
撫子が心配そうにする中、玲は仕方ない、と言った。琥太郎にとってもそれが正しい答えで、自分が今置かれている立場を考えれば、それが正しいことなのだ。はっきりと思う。冒険者という職業は、考えてみればかなり大変で、色々なものを使う職業だ。
心と体は既に慣れてはいたつもりだけれど、案外慣れていないらしい。
「なるほど。母は理解いたしました」
「そういうことさ。理解できたならそれで……」
こくんと小さく頷いて、撫子はぽつり呟く。
そして、間髪を入れずに。
「でしたら私も、琥太郎さんと同じく冒険者へなります!」
「え、マジで!? いきなり!?」
「げっ、とんでもないことになった!」
そう言い放つのであった。
シエテと玲の驚きを背に、撫子は続ける。
「えぇ。琥太郎さんと同じものを。私は琥太郎さん母であり、それに琥太郎さんを愛しているのです。それこそ、一生一緒にいたいくらいに。ですので……琥太郎さんが苦労しているのでしたら、一緒に背負うのが私の定めなのでございます」
「別に琥太郎は苦労してないと思うんだけどなあ!?」
「……困る」
玲の言葉に青葉も乗っかって、一つの感情になっていた。
とんでもないことを口走った。と琥太郎も思ったけれど、撫子からしたら当然のこと。琥太郎を愛しているが故に……琥太郎のことになったらすぐに動けてしまう。そんな感じだから、もう慣れた。それが重なって、17年。
「そうと決まれば。たしか……ぎるど、でしたね。そこへと向かいましょう。そこにいけば、きっと。楽しみですね。ふふ♪」
ひらり、寝巻きを翻し。早着替えするは、黒の衣装。煌びやかな鴉羽のようなもの。それに身を包んで……歩き出す。
鼻歌まで聞こえそうな、そんな撫子のご機嫌っぷりを見ながら、
「いつもの母さんだ。何も変わってはいない」
「……うん。とっても、いつもの撫子さん」
「安心はするんだけど、ただなあ……あの人はなぁ……」
琥太郎と青葉と玲。
撫子の顔を思い浮かんで……深く深い、ため息をつくのだった。
「あ、私たちもいきましょうか〜〜。ちょうど、朝ごはんの時間ですし!」
「PCと睨めっこし続けるのも飽きたわ。ご飯食べにいきましょ。……色々含めて」
「……そうだな」
PCを閉じたシエテと輝美に言われて、琥太郎たちも着替えてギルドへ向かう。何はなくとも、とりあえずはご飯。そこから色々、考えよう。
そう、切り替えるのであった。
──ピロン。
スリープ状態のまま放置されたPCが何かしらの報告を受け取るのは、琥太郎たちが離れて、ほぼ同時だった。
相丘撫子。彼女は琥太郎をはじめとした全体愛と、自由と。そんな感じでできています。
割と書きやすいし動くので好きです。
後玲とシエテはおそらく矯正対象。




