第6話:凋落の序曲
アランが辺境のルナ村で悠々自適のスローライフを謳歌し、知らず知らずのうちに新たな伝説を築き始めていた、ちょうどその頃。
彼を追放した勇者パーティーは、王都からほど近い中級ダンジョン『貪食者の洞窟』にいた。
「チッ……! 雑魚ばかりが、ちょこまかと!」
勇者カイルが悪態をつきながら、聖剣を振るう。光の刃が数匹のゴブリンを薙ぎ払うが、すぐに後続の群れが通路の奥から湧いて出てきた。一月前のアラン追放以来、彼らは思うような成果を上げられずにいた。貴族たちへの面目もあって、手っ取り早く手柄を立てられるこの中級ダンジョンに挑んだのだが、その目論見は大きく外れていた。
「ゴードン! さっさと前衛を片付けろ!」
「わかってるよ! だが、こいつら、やけに動きが素早いんだよ!」
戦士ゴードンが巨大な戦斧を振り回すが、ゴブリンたちは巧みにその攻撃をかいくぐる。以前なら、敵の攻撃など意にも介さず突撃できたはずなのに、今では一撃一撃がやけに重く感じられた。見えない何かに守られていた感覚が、今はもうない。結果、彼の分厚い鎧には、ゴブリンの錆びた剣による無数の傷が刻まれていた。
「セラ! 何をしている! 早く焼き払え!」
「今やってますわ! 『ファイアボール』!」
魔法使いのセラが杖を振り、炎の球を放つ。しかし、ゴブリンの集団の中にいたシャーマンが歪な杖を掲げると、薄汚い魔力の障壁が出現し、炎の勢いをいとも簡単に減衰させてしまった。以前なら、こんな下級モンスターの障壁など、アランが詠唱の間にこっそりと無力化してくれていた。だが、その事実にセラは気づいていない。
「なっ……わたくしの魔法が、ゴブリンごときに!」
プライドを傷つけられたセラは、さらに強力な魔法を放とうと詠唱を始めるが、別のゴブリンが投げた石が側頭部に当たり、集中が途切れてしまう。
「きゃっ!」
「リナリア! 回復を!」
カイルの叫びに応え、聖女リナリアが癒しの光をセラに向ける。だが、その隙を突いて、毒矢が彼女の腕を掠めた。
「うっ……!」
「リナリア様!」
パーティーの連携は、もはや無いに等しかった。前衛は敵を捌ききれず、後衛は詠唱を妨害される。回復役は自分の治療に手一杯。誰もが、自分のことだけで精一杯だった。
アランがいた頃は、こうではなかった。
ゴードンが突撃すれば、彼の足元は岩のように固められ、敵の刃はなぜか彼を逸れていった。
セラが大魔法を放てば、敵は面白いように無防備を晒し、その威力は常に最大限に発揮された。
リナリアが祈りを捧げる時、敵からの妨害が彼女に届くことは決してなかった。
そして、カイルが聖剣を振るう時には、必ず、敵の最も防御が薄い箇所に、絶好の隙が生まれていた。
それら全てが、アランの地味で目立たない『古代魔法』による、超高レベルの支援の賜物だったことなど、彼らは知る由もなかった。彼らは、それら全てを自分たちの実力だと勘違いしていたのだ。
「くそっ! 俺の聖剣の邪魔をするな!」
焦ったカイルが、ゴードンの横をすり抜け、単独で敵陣に切り込む。だが、それはあまりにも無謀な突出だった。四方からゴブリンの群れが殺到し、彼は瞬く間に包囲された。
「カイル様!」
リナリアの悲鳴が洞窟に響く。
結局、彼らは命からがらダンジョンの入り口まで撤退するしかなかった。中級ダンジョンの中層にすらたどり着けずにの敗走。それは、勇者パーティーの名には到底相応しくない、屈辱的な結果だった。
◇
「……どういうことだ、これは」
王都のギルドへ戻る馬車の中、雰囲気は最悪だった。
最初に口火を切ったのは、カイルだった。彼は腕を組み、不機嫌さを隠そうともせずに仲間たちを睨め付けた。
「ゴードン、お前は前に出すぎる。もっと周りを見て動け」
「んだと、てめぇ! 俺が前に出なきゃ、誰が敵を止めんだよ! それを言うなら、セラの魔法が全然効いてなかったじゃねえか!」
「わたくしのせいではありませんわ! あのシャーマンの妨害が、異常に巧みだっただけです!」
「リナリナの回復も、最近遅いんじゃねぇか?」
「そ、そんなことは……! ですが、皆さんの怪我が以前より多くて、私の魔力が……」
責任のなすりつけ合い。誰もが、自分の不調を認められず、原因を他人に求めていた。
アランがいた頃は、こんな会話にはならなかった。彼はいつも黙って、仲間たちの能力が最大限に発揮される状況を、完璧に作り上げていたからだ。彼らは、あまりにも快適な環境に慣れすぎていた。
「……静かにしろ!」
カイルが、苛立ちを込めて一喝する。
「全て、俺の指示が悪かった。……だが、お前たちも少し弛んでいるんじゃないか? アランが抜けて、パーティーのバランスが少し変わっただけだ。すぐに慣れる。次の依頼では、必ず完璧な連携を見せるぞ」
リーダーとして、彼は無理やり話をまとめた。だが、その言葉が空虚なものであることは、誰の目にも明らかだった。
『アランが抜けて』。
その名前を口にした瞬間、馬車の中の空気が、一瞬だけ凍りついた。
誰もが、心の奥底で、同じことを考えていた。
(あいつがいた頃は、こんな簡単なダンジョン、半日もかからなかった)
しかし、その思いを口にすることは、自分たちの過ち――アランを追放したという判断が、間違いだったと認めることになる。それだけは、彼らの肥大したプライドが許さなかった。
◇
王都に戻った彼らを待っていたのは、冷ややかな視線だった。
簡単な討伐依頼の失敗は、瞬く間にギルド中に広まっていた。
「おい、見たかよ、勇者様御一行の情けない姿を」
「ゴブリン相手に撤退だって? 笑わせるぜ」
「最近、たるんでるんじゃないのか。あの公爵家の三男坊が抜けてから、おかしいよな」
酒場の隅で交わされる冒険者たちの囁き声が、カイルたちの耳にも届く。
ゴードンは怒りに顔を赤くして席を立とうとし、セラは扇で顔を隠して俯き、リナリアは泣き出しそうな顔でカイルを見つめた。
「……気にするな。雑魚の戯言だ」
カイルは平静を装って呟いたが、握りしめたジョッキがミシミシと音を立てていた。
さらに追い打ちをかけるように、ギルドの職員が彼らのテーブルにやってきた。
「勇者カイル様。先日依頼のあった、メルトリア伯爵からの護衛任務ですが……今回は、別のパーティーにお願いすることになった、との伝言です」
「なっ……! なぜだ! 伯爵は、俺たちの長年の支援者だったはずだ!」
「……最近の、皆様の評判を鑑みて、とのことです。では、失礼します」
職員は事務的な口調でそう告げると、足早に去っていった。
資金源の喪失。それは、彼らの活動の根幹を揺るがす、深刻な事態だった。
「どうなってやがる……! なにもかにも、おかしいじゃねえか!」
ゴードンがテーブルを叩く。
その時だった。セラの口から、抑えきれない本音が漏れた。
「……全部、あいつが抜けたせいよ」
はっとしたように、彼女は口を押さえる。言ってはならない言葉だった。
しかし、一度漏れた本音は、堰を切ったように他のメンバーの心にも広がっていく。
そうだ。あいつがいなくなってから、全てが狂い始めた。
俺たちの実力が、こんなはずはない。
俺たちは、もっと強いはずだ。
悪いのは、俺たちじゃない。
勝手にパーティーを抜けて、俺たちのリズムを狂わせた、あいつが――アランが、悪いのだ。
カイルの中で、焦りと屈辱と怒りが、黒い渦となって膨れ上がっていく。
自分たちの実力不足を認める代わりに、彼は最も簡単な逃げ道を選んだ。
責任転嫁。そして、逆恨み。
「……そうだ」
カイルは、低い声で呟いた。その瞳には、暗い炎が宿っていた。
「全ての元凶は、アランだ。あいつが、俺たちを裏切ったんだ」
「カイル様……」
「だが、見ていろ。俺たちは、あんな時代遅れの魔術師がいなくても、必ず魔王を倒す。そして、俺たちが真の英雄であることを、世界中に証明してやる。あいつが後悔で顔を歪めるくらい、完璧な勝利を収めてやるんだ!」
彼はそう宣言し、ジョッキに残っていたエールを呷った。
その言葉に、他のメンバーも、まるで何かにすがるように同意する。そう思い込むことでしか、彼らは自分たちのプライドを保てなかったのだ。
しかし、彼らの誓いが虚勢であることは、その焦燥に満ちた表情が何よりも雄弁に物語っていた。
勇者パーティーの凋落。
それは、まだ始まったばかり。
彼らが、自分たちが捨てたものがどれほど価値のある宝だったのかを、骨身に染みて理解するのは、もう少しだけ、先の話である。




