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第25話:再会

聖女リナリアが、覚悟を決めて、村へと続く道を歩き始めた。

その一歩は、あまりにも重かった。まるで、足に鉛の枷をはめられているかのようだ。一歩、また一歩と進むごとに、過去の記憶が、鋭い棘となって彼女の心を苛んだ。


アランを、役立たずだと、心の中で見下したこと。

カイルが彼を追放した時、何も言わず、ただ、冷たい傍観者であったこと。

彼の繊細で、しかし、的確な支援魔法に守られていたことに、微塵も気づかず、全てを自分たちの実力だと、驕り高ぶっていた、愚かな日々。


(……合わせる顔が、ない)


今、彼らが向かっているのは、奇跡を乞うための巡礼の道。

だが、同時に、それは、自らが犯した罪を、断罪されるための、断頭台へと続く道でもあった。


村人たちの、穏やかで、親切な視線が、むしろ、彼女の罪悪感を、抉り取っていく。

こんなにも、心優しい人々が住まう、光に満ちた場所。

この楽園を創り上げた、あの穏やかな青年を、自分たちは、無情にも、パーティーから切り捨てたのだ。


リナリアの足が、ついに、止まった。

丘の上の屋敷へと続く、坂道の、その手前で。

もう、これ以上、進むことができない。恐怖と、羞恥で、体が、動かない。


その、震える彼女の背中に。

そっと、無骨で、大きな手が、置かれた。


「……リナリア」

戦士ゴードンの、かすれた声だった。

「……一人で、行かせるわけ、ねえだろ」


彼の後ろには、顔を伏せたまま、魔法使いのセラも、立っていた。

彼らもまた、決意を固めていたのだ。

リナリア一人に、全ての罪を背負わせるわけには、いかない。

これは、パーティー全員の、罪なのだから。


三人は、顔を見合わせた。

言葉はなかった。

だが、その目には、同じ、覚悟の色が宿っていた。

彼らは、再び、歩き始めた。今度は、三人で。

自分たちの、運命が待つ、丘の上を目指して。



丘の上の屋敷は、彼らが想像していたよりも、ずっと、質素で、穏やかな場所だった。

手入れの行き届いた家庭菜園。軒先で、気持ちよさそうに昼寝をする猫。

だが、その、あまりにも平和な光景とは、裏腹に。

屋敷の周囲には、素人である彼らでさえ、肌で感じ取れるほどの、清浄で、そして、圧倒的な力が、満ちていた。


彼らが、屋敷の門の前までたどり着いた、その時だった。

二つの、影が、まるで、森の木陰から滲み出すかのように、彼らの前に、すっ、と立ち塞がった。


一人は、陽光を反射して輝く、白銀の鎧に身を包んだ、怜悧な美貌の女騎士。

もう一人は、白金の髪を風になびかせ、人間とは思えぬほどの、神秘的な美しさを湛えた、エルフの女性。


二人が、ただ、そこに立っているだけで、周囲の空気が、ピン、と張り詰めた。

ゴードンは、戦士としての本能で、瞬時に理解した。

(……勝てない。次元が、違う)

目の前の二人が放つ気配は、かつて彼が対峙した、どんな魔物や、達人剣士とも、比べ物にならなかった。それは、もはや、個人の強さという領域を超えた、自然そのもののような、抗いがたい力の奔流だった。


セラもまた、エルフの女性から放たれる、清浄で、しかし、底知れない魔力の奔流に、完全に、圧倒されていた。


「――何用かな、人間たちよ」


先に、口を開いたのは、女騎士だった。

その声は、冷たく、澄み渡り、まるで、研ぎ澄まされた剣の切っ先のように、鋭かった。

「この丘は、アラン様の聖域。邪な心を持つ者の、立ち入りは、許されない」


「あなたたちの魂からは、深い、深い闇の匂いがします」

エルフの女性が、静かに、しかし、有無を言わさぬ口調で、続けた。

「あなた方の、仲間の一人から発せられる、おぞましい呪いの気配……。そのような、不浄なものを、この清浄な地に、持ち込むことは、許しません」


その言葉は、彼らにとって、死刑宣告にも等しかった。

やはり、だめなのか。

門前払い。それどころか、ここで、斬り捨てられても、文句は言えないだろう。

ゴードンとセラが、絶望に、顔を歪めた。


だが。

リナリアは、違った。

彼女は、もはや、何も、失うものはなかった。

愛する人の命と、自分たちの罪を、その両肩に、背負っているのだ。


彼女は、二人の、あまりにも強大な守護者の前で。

何の、躊躇もなく。

その場に、両膝を、ついた。

旅の汚れが付いた、粗末なスカートが、土にまみれるのも、構わずに。


「……お願いいたします……!」


リナリアは、額を、地面に、こすりつけた。

聖女としての、誇りも、何もかも、かなぐり捨てて。


「私たちは……! 私たちは、決して、害をなしに来たのでは、ありません……! ただ、ただ、慈悲を……! 聖者アラン様の、奇跡を、乞いに……参りました……!」


彼女の、悲痛な声が、静かな丘に、響き渡る。

「私たちの、リーダーが……仲間が、今、死にかけています……! 誰にも癒せぬ、呪いにかかり……! 彼を救えるのは、聖者様しかいないと……! 私たちは、知っています……! 私たちが、どれほど、愚かで、身勝手で、この地を訪れる資格のない者であるかということも……!」


「ですが……! どうか……! どうか、お願いです……! 彼を、アラン様に、会わせてください……!」


その、あまりにも、必死な、魂からの懇願。

イザベラとルミナは、思わず、言葉を失った。

彼女たちの瞳から、敵意が、わずかに、薄れる。


その、張り詰めた、均衡を破ったのは。

丘の上から聞こえてきた、のんびりとした、間の抜けた声だった。


「――あれー? イザベル、ルミナ。お客さん? 門の前で、騒がしいけど、どうしたのー?」


声の主は、丘の上から、ひょっこりと、顔を出した。

手には、収穫したばかりの、泥付きの大きなカブが、二つ、三つ。

少し汚れた、普段着のシャツ。穏やかで、人の好い、笑顔。


アランだった。


彼が、セラフィーナを伴って、坂道を、のんびりと、下りてくる。

そして、門の前で、土下座同然の姿勢でいる、三人の、見慣れた顔に、気づいた。


アランの足が、止まる。

その、いつもの、穏やかな表情が、初めて、心からの、純粋な「困惑」の色に、染まった。


「……あれ?」


「……リナリア? ゴードン? それに、セラまで……?」


「……なんで、みんな、そんなところにいるの? しかも、なんで、土下座なんか、してるわけ?」



アランの声。

一ヶ月以上ぶりに聞く、その、何も変わらない、穏やかな声。

その声が、まるで、天からの雷のように、三人の、心を、貫いた。


リナリアが、ゆっくりと、顔を上げた。

その瞳に映ったのは、自分たちが、記憶している、あの、アランの姿。

だが、同じようで、何かが、決定的に、違っていた。


彼の隣には、天女のように、美しく、そして、気品に満ちた女性セラフィーナが、親しげに、寄り添っている。

彼の後ろには、王国最強クラスの、騎士と、エルフが、まるで、忠実な影のように、控えている。

そして、彼自身が纏う空気は、以前のような、どこか、影の薄いものではなく。

穏やかで、ありながら、まるで、春の陽光そのもののような、絶対的な、安心感と、存在感に、満ちていた。


自分たちの、みすぼらしい、今の姿。

ボロボロの装備、汚れた衣服、絶望に、やつれた顔。

そして、彼の、光に満ちた、穏やかな、今の姿。


その、あまりにも、残酷な、対比。

自分たちが、何を、失ったのか。

自分たちが、どれほど、愚かだったのか。

その、全ての、答えが、そこにあった。


ああ。

ああ。


リナリアの、瞳から、ついに、堰を切ったように、涙が、溢れ出した。

言葉が、出てこない。

ただ、嗚咽だけが、喉から、漏れる。


「……アラン、さん……」


「……あ……アラン、さん……!」


その、泣きじゃくる、かつての仲間の姿を。

そして、その隣で、同じように、顔を伏せ、肩を震わせる、ゴードンとセラの姿を。


アランは、ただ、全く、状況が、理解できないまま。

途方に暮れた顔で、立ち尽くすことしか、できなかった。


(え、何? 何この状況? 勇者パーティーが、なんで、うちの門の前で、土下座して、号泣してんの?)

(もしかして、俺、なんか、したっけ……?)


再会。

それは、どちらにとっても、あまりにも、唐突で。

そして、あまりにも、奇妙な形で、果たされた。

彼らの、長い、長い、巡礼の旅は、今、ようやく、その、終着点へと、たどり着いたのだった。

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