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第19話:英雄、立つ(ただし不本意)

「面倒だが、ちょっと、片付けてくるか」


アランが、まるで庭の草むしりでも宣言するかのように、そう口にした瞬間。

王女セラフィーナ、騎士イザベラ、そしてエルフのルミナの三人は、感極まった表情で、その場に崩れ落ちそうになるのを必死にこらえていた。

その背中に、今や一国の、いや、世界の命運が託されたのだ。


「ああ……アラン様……! なんという、なんというご決断を……!」


涙ぐむセラフィーナを筆頭に、彼女たちはすぐさま、この国を救うための「作戦会議」を開始した。


「アラン殿、して、作戦はいかに?」

イザベラが、真剣な眼差しで問いかける。その頭の中では、歴戦の騎士として、考えうる限りの戦術が目まぐるしく駆け巡っていた。

「帝国の布陣は、おそらく鉄壁。ですが、貴公の転移魔法で敵の中枢に乗り込み、指揮官を討ち取る電撃作戦ならば、あるいは……。我が剣、いつでも先陣を切る準備ができております」


「お待ちください、イザベル」

ルミナが、静かに首を横に振る。

「契約者様の御力は、そのような血生臭い方法に頼る必要などありません。国境に広がる大森林の精霊たちに呼びかけ、巨大な幻想を見せて帝国軍を惑わすか、あるいは、地の底から古の守護者たちを呼び覚まし、彼らの戦意を根こそぎ奪い去るという手も……」


「クライネルトの王国騎士団も、決して無能ではありませんわ。アラン様の指示があれば、彼らは一人の兵士として、完璧な働きを見せるはずです。後方支援は、わたくしにお任せください!」


三者三様の、壮大で、緻密な作戦案。

Sランク冒険者パーティーもかくやという、完璧な布陣。

彼女たちは、キラキラと輝く、期待に満ちた瞳で、彼らの「最高指揮官」であるアランを見つめた。

自分たちの提案を、彼がどのように采配し、神の如き戦術を組み立てるのか、固唾を飲んで見守っていた。


そんな彼女たちの熱意を、アランは、心底うんざりした顔で受け止めていた。


(電撃作戦? 疲れるに決まってる。精霊に呼びかける? 手順が面倒くさそうだ。軍との連携? 人と話すのが一番面倒くさい……)


彼は、三人の熱弁を、大きなため息一つで遮った。


「……いや、どれも、すごく面倒そうだから、全部却下で」


「「「え?」」」


三人の口から、間の抜けた声が漏れる。

アランは、やれやれ、と首を振りながら、自らの「作戦」を、簡潔に、そして、この上なく投げやりに説明し始めた。


「まず、国境まで行くだろ。歩くと時間がかかって面倒だから、何かで速く行く」

「は、はあ……」

「で、着いたら、俺がちょっと、帝国軍の奴らと『お話』をしてくる」

「お、お話……でございますか?」

「うん。で、話が終わったら、帰ってくる。できれば、夕食の時間までには」


以上。

あまりにも、シンプル。あまりにも、スローライフ的。

三人の頭の中は、巨大なクエスチョンマークで埋め尽くされた。


だが、彼女たちの脳内に深く刻み込まれた「アラン様=神の如き賢者」という絶対的な方程式は、この常識では考えられない「作戦」を、瞬時に、最高レベルの神算鬼謀へと変換させた。


イザベラは、はっと目を見開いた。

(……そうか! 『お話』……! それは、単なる対話などではない! 敵将、いや、皇帝ウラジミールの前へ単身で乗り込み、その絶対的な覇気と、抗いようのない力そのものを見せつけることで、相手の戦意を根元から断ち切るという、まさに覇王の交渉術!)


ルミナも、深く頷く。

(『速く行く』……古代の転移魔法か、あるいは時空そのものを歪める秘術をお使いになるに違いない。『お話』……それは、言葉による説得ではない。森羅万象を味方につけた契約者様が、彼らの魂に直接語りかけ、戦うという選択肢そのものを、彼らの精神から消去するのだわ……!)


セラフィーナは、涙ぐみながら、アランの言葉の真意を悟っていた。

(『夕食までには帰る』……。それは、この戦争を、誰一人が家族との温かい食事を逃すことなく、終わらせるという、アラン様の慈愛の現れ……! なんという、なんという深いお考えなのでしょう……!)


三人は、顔を見合わせた。そして、彼女たちの間でしか通じない、完璧な意思疎通が、無言のうちに成立した。

アラン様のお考えは、我々凡人の理解を遥かに超えている。我々は、ただ、その神の如き御業を、見届けるのみ。


「「「承知いたしました!!」」」


三人が、完璧な敬礼と共に唱和する。

「え、何が……?」

と首を傾げるアランをよそに、救国の英雄とその忠実なる使徒たち(と彼女たちは思っている)の、出陣準備は、こうして始まった。



アランの「出陣準備」は、五分で終わった。

カバンに、道中で読むための古文書を一冊、ルミナが焼いたハーブクッキーを数枚、そして、水筒。以上。

一方、三人の少女たちは、鎧を磨き、剣を確かめ、魔法の触媒を点検し、まるで最終決戦にでも臨むかのような、物々しい準備を整えていた。


「じゃあ、行こうか」


アランは、屋敷の裏にあった、手頃な大きさの丸太を指差した。

そして、その表面に、指先でさらさらと、古代のルーン文字を一つだけ描き込む。


「《風よ、我が僕となれ》」


すると、何の変哲もなかった丸太が、ふわり、と宙に浮き上がった。

「ええい。みんな、これに乗って」

「こ、これは……浮遊魔法!? これほどの質量の物体を、たった一つのルーンで……!」

イザベラが、驚愕に目を見開く。


「馬車を出すのも、馬の世話も、面倒だからね。これが一番楽だ」

アランが、こともなげに言う。

(飛空艇……! いえ、それよりも遥かに高次元の、魔法の乗りマジックアイテムを、一瞬で創り上げてしまった……!)

三人のアランに対する評価は、もはや計測不能の領域へと突入していた。


アランが創り出した魔法の丸太は、驚くほど静かに、そして、矢のように速く、空を駆けた。

眼下には、クライネルト王国の豊かな大地が、あっという間に過ぎ去っていく。アランは、早速、カバンから取り出した古文書を読み始め、時折、ハーブクッキーを齧っている。

その、あまりにもリラックスした姿。セラフィーナたちには、それが、絶対的な強者が持つ、究極の自信の現れにしか見えなかった。


数時間後。

魔法の丸太は、東部国境を見下ろす、高くそびえる山の頂に、静かに着地した。


「……ここまで来れば、十分だろう」


アランが、本から顔を上げる。

そして、四人の目の前に、息を呑むような、絶望的な光景が広がった。


眼下に広がる、巨大な平原。

その地平線の果てまでを埋め尽くす、黒々とした、鉄の奔流。

ゲルマニア帝国の、十万を超える大軍勢。

整然と並ぶ無数のテント、天を突く攻城兵器、檻の中で不気味に唸る魔獣たち。そして、陣地の中央に、まるで巨大な毒キノコのように鎮座する、紫色の不吉な魔力を放つ、数十基の『魔導カノン』。


それは、もはや軍隊というより、一つの国を飲み込むために動く、巨大な災害そのものだった。

その圧倒的な光景を前に、セラフィーナは顔を青ざめさせ、歴戦の騎士であるイザベラでさえ、ごくり、と喉を鳴らした。


「……なんという、数……。そして、あの禍々しい魔力の奔流は……」

「あれが、帝国が誇る、魔王軍の技術を応用したという、魔導兵器……」


誰もが、その絶望的な戦力差に、言葉を失う。

三人の少女たちは、不安げな視線を、彼らの唯一の希望である、アランへと向けた。

彼は、この地獄のような光景を前に、一体、何を思うのか。


アランは、読んでいた本をぱたり、と閉じると、眼下に広がる帝国軍の大陣営を、じーっと、見つめた。

そして。


「うわああぁぁ……」


心の底から、絞り出すような声が、彼の口から漏れた。


「……なんつーか……すっごい、面倒くさそう……。これ、絶対、昼寝の時間、潰れるやつじゃん……」


世界の命運を左右する、英雄の、第一声。

それは、自らの安眠が妨害されることへの、どこまでも個人的で、切実な嘆きだった。

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