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第17話:王都の焦燥

アランが辺境の地で、日に日に拡大していく勘違いハーレムに首を傾げながらも、穏やかなスローライフを継続していた、ちょうどその頃。

クライネルト王国の心臓部、王城の大会議室は、鉛を溶かしたかのような、重く、張り詰めた空気に支配されていた。


玉座に座る国王ウィルフレッドの顔には、深い疲労と焦りの色が浮かんでいる。その前に並ぶのは、宰相である老大公ダリウスを筆頭に、王国騎士団長、そして居並ぶ大臣たち。国の最高首脳部が一堂に会していた。


「――以上が、東部国境からの報告です」


騎士団長が、苦渋に満ちた声で報告を締めくくった。

内容は、絶望的の一言に尽きた。

王国と国境を接する、北の軍事大国『ゲルマニア帝国』が、国境付近に十万を超える大軍を集結させ、大規模な軍事演習を開始したというのだ。それは、誰がどう見ても、侵攻への最終準備としか思えなかった。


「ゲルマニアの皇帝、”鉄血帝”ウラジミール……。奴の野心は、留まるところを知らんな」


国王が、呻くように言った。

ゲルマニア帝国は、伝統や騎士道を重んじるクライネルト王国とは対照的に、魔術と科学を融合させた『魔導兵器』の開発に力を注ぎ、急速に版図を拡大してきた、好戦的な国家だ。その軍事力は、今や王国の三倍とも言われている。


「我が国の騎士団は精鋭揃い。ですが、帝国の物量と、あの忌まわしい『魔導カノン』の前では、苦戦は免れますまい」

騎士団長が、悔しそうに唇を噛む。

「防衛戦に徹したとしても、国境が突破されるのは、時間の問題かと……」


会議室に、重い沈黙が落ちる。誰もが、有効な打開策を見いだせずにいた。

その時、一人の大臣が、かすかな希望にすがるように口を開いた。


「……陛下。我らには、まだ、勇者パーティーがおります。彼らを国境へ派遣すれば……」

だが、その言葉は、宰相ダリウスの冷たい一言によって、無残に打ち砕かれた。


「その勇者パーティーは、もはや何の役にも立たんよ」


ダリウスは、懐から取り出した一枚の報告書を、テーブルに放り投げた。


「高難易度クエストに失敗し、ギルドに莫大な借金を負った挙句、自分たちの魂である装備を全て売り払ったそうだ。今では、日銭を稼ぐために、スライム退治で糊口をしのいでいるとのこと。もはや、”元”勇者パーティーと呼ぶのがお似合いだろうな」


その、あまりにも情けない報告内容に、大臣たちは言葉を失った。国の威信をかけ、莫大な予算を投じて組織した切り札が、この国難の瀬戸際に、全く頼りにならないどころか、国の恥さらしと成り果てていたのだ。


希望が、一つ、また一つと潰えていく。

絶望的な空気が、会議室を支配しかけた、その時だった。


「……陛下。一つ、まだ、我々には打つ手がございます」


宰相ダリウスが、静かに、しかし、力強い声で言った。

「にわかには信じがたい話やもしれませぬが、この国、いや、この世界のパワーバランスを覆しかねない、一枚の『切り札』が、我らの手元にはあるのです」



ダリウスは、全ての視線が自分に集まるのを確認すると、ゆっくりと話を始めた。

「皆様、クライネルト公爵家の三男坊……アラン・フォン・クライネルト殿のことを、覚えておられるかな」


その名に、何人かの大臣が眉をひそめた。勇者パーティーを勝手に抜け、公爵家の厄介者となっている、あの冴えない青年。彼が、一体何だというのか。


「まず、これは、冒険者ギルドの中央本部から、私だけに極秘裏に届けられた、特A級の警戒情報だ」

ダリウスは、一枚目の羊皮紙を広げた。


「対象:アラン・フォン・クライネルト。西部辺境ルナ村在住。推定ランク:SSS。特記事項:単独でAランクモンスター『魔甲虫の女王』のコロニーを、周囲に一切の被害を出さず、痕跡すら残さず『消去』した可能性、極めて大。また、武装した騎士団三十名を、詠唱もなしに、無血で制圧したとの未確認情報あり。ギルドとしての最終判断は、『接触を推奨せず』……以上だ」


「「「なっ……!?」」」


会議室が、どよめきに包まれる。

SSSランク。それは、ギルドが規定する最高ランクであり、単独で国家を滅ぼす力を持つとされる、伝説級の魔物や災害にのみ与えられる等級だ。一人の人間に、それも、あの気弱そうな青年に、そんな等級が?


「馬鹿な! ギルドの判断ミスではないのか!」

「にわかには信じられん……!」


懐疑的な声が上がる中、ダリウスは、動じることなく二枚目の羊皮紙を広げた。


「これは、我が国が誇る諜報機関『影のシャドウ・オウル』が、命がけで持ち帰った、最新の報告だ。先日、私が特命を出し、彼の地へ調査員を派遣した」


ダリウスの声が、一段と低くなる。


「報告によれば、賢者アランは、現在、エリュシア王国の第一王女セラフィーナ、及び、王国最強と謳われる近衛騎士イザベラ・ラングフォードを、側に置いている、とのこと」

「エリュシアの王女が、なぜ、そのような辺境に!?」

「理由は不明。だが、王女と騎士は、アラン殿に絶対的な忠誠を誓っているように見えた、と。さらに、森の民エルフの、極めて高貴な身分と思われる女性も、彼に付き従っていたそうだ」

「エルフまでも……!?」


報告は、さらに衝撃的な内容へと続いていく。


「我が『影の梟』が誇る最高の隠密術をもってしても、アラン殿に近づくことは叶わなかった。彼に仕える女騎士とエルフの二人が、我々の接近を完璧に察知し、阻んだからだ。その実力、我が諜報員曰く、『王国騎士団長に匹敵、あるいはそれ以上』」


その言葉に、騎士団長が、カッと目を見開いた。


「そして、肝心のアラン殿本人だが……」

ダリウスは、ゴクリと喉を鳴らした。

「……遠目から魔力を測定した結果、『測定不能』。まるで、そこに一つの海があるかのようだった、と。結論として、諜報員はこう締めくくっている。『対象アランへの敵対は、国家の滅亡を意味する。彼は、もはや人間というカテゴリーには収まらない、規格外の存在である』……以上だ」


シン、と。

大会議室は、水を打ったように静まり返った。

もはや、誰も、その報告を疑う者はいなかった。複数の、信頼できる情報源が、同じ結論を指し示しているのだ。


クライネルト公爵家が見捨て、勇者パーティーが追放した、あの三男坊が。

今や、国家の存亡を、その気まぐれ一つで左右できるほどの、絶対的な力を持つ「何か」と化している。

その、あまりにも非現実的な事実を、王宮の重鎮たちは、認めざるを得なかった。



「……もはや、道は一つしかあるまい」


長い沈黙を破ったのは、国王ウィルフレッドだった。その顔には、覚悟の色が浮かんでいた。

「その、賢者アラン殿に、国の救済を請う。他に、選択肢はない」


その決断に、反対する者はいなかった。

だが、すぐに新たな問題が浮上する。


「しかし、陛下。誰を使者として送りますか? 報告によれば、アラン殿は、極めて穏やかな性格でありながら、自らの平穏を乱されることを、何よりも嫌うご様子。下手に尊大な態度を取る貴族などを送れば、即座に機嫌を損ね、最悪の場合、帝国ではなく、我々が彼の怒りを買うことになりかねません」

ダリウスの指摘は、的を射ていた。


「うむ……。彼と面識があり、かつ、穏健な人柄の者は……」

国王が、頭を悩ませる。

その時、一人の若い大臣が、恐る恐る手を挙げた。


「……陛下。僭越ながら、一つ。報告によれば、エリュシア王国のセラフィーナ王女が、彼に深く心酔し、お側にいる、と。ならば、そのセラフィーナ王女に、我々とアラン殿の仲介をお願いするのが、最も確実かつ、穏便な解決策ではないでしょうか?」


それは、誰もが考えたが、口に出せなかった案だった。

「馬鹿者!」

ダリウスが一喝する。

「セラフィーナ王女は、あくまで『お忍び』で我が国に滞在しておられるのだ! 我々が、その存在を公式に認め、あまつさえ、こちらの都合で協力を要請するなど、重大な外交問題に発展しかねん! 下手をすれば、帝国だけでなく、エリュシア王国まで敵に回すことになるぞ!」


「も、申し訳ありません!」

若い大臣は、顔面蒼白になって縮こまる。


会議は、再び暗礁に乗り上げたかのように見えた。

だが、ダリウスは、静かに言葉を続けた。

「……だが、考え方の筋は、悪くない」

「宰相閣下?」

「我々が、セラフィーナ王女に直接頼むのではない。我々が派遣した『使者』が、現地で王女と『偶然』出会い、彼女に協力を『個人的に』お願いする、という形を取れば、話は別だ。問題は、その『使者』を、誰にするか、だが……」


アランと親交があり、セラフィーナ王女とも対等に話ができ、そして、この国家の危機を一身に背負う覚悟のある、適切な人物。

そんな都合のいい人材が、果たして、いるのだろうか。


王宮の最高首脳部が、国の存亡を賭けて、一人の青年への「陳情」の方法を、必死に模索していた。


その頃、当のアランは。

「うーん、この光る苔、綺麗だなあ。これを瓶に詰めれば、電気もいらない、エコなランプになりそうだ」

エルフのルミナが森から持ってきた、珍しい苔の生態を観察しながら、セラフィーナが淹れてくれたハーブティーをすすり、完璧なスローライフの、新たな充実に思いを馳せていた。


彼の知らないところで、彼の平穏な日常を揺るがす、国家規模の「面倒ごと」が、すぐそこまで迫っていることを、彼はまだ、知る由もなかった。

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