神子との接点
アメリアにいいようにされて数日、大神殿より有志を募る通達が届いた。
……いいようにとは言ったが、最後までは致していない。あのあと解散した。家の庭で事を起こしてなるものかッ。
件のアメリアのせいで、寝ても覚めても彼のことでうなされている。
……恋する乙女か。断固拒否だ。
さて、神子の話だ。
これまでの我が家であれば、有志などと呼びかけられれば、喜んで人を送り出しただろう。
あれから母上は大神殿から距離を置き、あの熱心な信仰心を下火にさせていた。
父上もそれは同じで、礼拝へは私とともに向かうが、どちらかといえば情報を収集しているらしかった。
致し方ないだろう。あんなことがあった。不信を抱いても仕方ない。
礼拝へ来なくなった母上を、司教殿は心配しているらしかった。けれども、こちらとしても距離を置きたい。
つまりは、本来差し出されるはずのイオリが、神子との接点を失ったんだ。
どういうことだ? イオリは今日もにこにこと、私の隣で茶を淹れているぞ?
おかしい。アメリアとディックは史実通り護衛となった。クリスも世話係に任命されている。
イクシスも王族として面会し、残りはフランとイオリだ。
イオリ、きみはどこで神子と出会いたい?
これまで不安に晒されていた民衆は、神子の登場により、期待を爆発させた。
神子まんじゅうとは、一体どんなまんじゅうなんだ。町おこしか……?
少ない情報に尾ひれはひれがつき、噂がひとり歩きしている。
髪は黒くて長い。
類稀なる美少女。
この世のものではない衣服をまとっていた。
鈴のような声音。
肌が白くて透き通るよう。
神々しい。
私のときとは随分な違いだな。この国の人間は、噂好きだ。
そうこうしているうちに、早速神子は『聖域の森』へ送り込まれ、最初の敗退を決めたらしい。
構成された人員などは不明だが、怪我人などはいないだろうか? 皆が無事であればいいのだが……。
実際に確認する機会が巡ってきた。
司教殿より、『神子と年の近い子を配置したい』との通達がきたからだ。
クリスでは駄目だったのか……? 私でなくとも、フィオナ嬢や適任がいるだろうに……。
疑問に感じた。両親もあまり良い顔はしなかった。
けれども、知り合いが怪我を負っているかもしれないと思うと、心配になってしまう。
それに、きっとこれがイオリと神子の接点になるのだろう。私はイオリを連れて、大神殿へ向かうことにした。
忙しいだろうに、出迎えてくれた司教殿が、神子の元まで直々に案内してくれる。
彼の法衣を追い、立ち入ったことのない大神殿の深部を見回した。
「入り組んでいるんだな」
「上から見ると、女神の紋になるように建てられているんだよ」
「なるほど」
おっとりとした司教殿の説明を聞き、納得してしまう。複雑に交差する通路は、迷路のようだった。
ふと、遠くから誰かの話し声が聞こえた。司教殿が歩みを進める度に、声量は大きく聞こえる。
……どうやら、向かう先に人がいるらしい。神子付きの誰かだろうか?
廊下を曲がると、神官服の後姿と、黒髪の少女が見えた。
「浄化の説明は担当官よりご説明いたします」
「ですがっ、私、早く皆さんのお役に立ちたいんです!」
「焦る気持ちは重々承知しております。そのお気持ちを無碍にしないよう、私どもも専門の担当官をご用意しております」
「クリス、神子様がどうかなさったのですか?」
げっ、振り返った神官服が司教を見詰め、嫌そうな顔をする。
その顔は、紛うことなくクリスのものだった。
……クリス、そんな丁寧な言葉遣いができたんだな。知らなかった。きみの成長を喜ばしく思うぞ。
クリスの水色の目が、司教殿の後ろにいる私へ留められる。はっと目を瞠った彼が、物凄い勢いで私を連れて走った。
別の廊下へ押し込められ、彼がぜいぜい肩を上下させる。
「なっ、何でユカがここにいるんだよ!?」
「見事な猫被りだな、クリス。ふふん、ようやく見せてもらったぞ」
「あああああッ、忘れろ!!!」
ひそめた声で、クリスが叫ぶ。
彼は耳まで真っ赤に染まっており、そこまで照れなくともといいのにと苦笑した。
あれか? 授業参観に親が来た子どもの気持ちか?
「待て、イオリ。クリスは私の友人だ。その手を下ろしてくれ、頼む」
にこり、完璧な笑顔でイオリが刀の柄に手を添えている。えほんっ、彼のさらに背後で、司教殿が咳払いした。
「クリス、ユカを離しなさい。ユカ、神子様をご紹介しましょう。こちらへ」
司教殿のおつきが扉を開け、黒髪の少女を部屋へ招いている。
こちらを振り返った彼女は、不安そうな顔で肩身を狭くしていた。
*
神子の髪は、肩口で揃えられていた。艶やかな黒髪は噂の長さとは異なり、やはり噂は当てにならないのだなと実感した。
紺のセーラー服をまとった彼女が、行儀よく揃えた膝の上に手を置く。ソファに座る背筋はぴんと伸び、育ちの良さがうかがえた。
けれども眉尻を下げる彼女の顔は、とても浮かない。不安そうだ。
……彼女からしてみれば、突然訳のわからない世界に連れてこられ、いきなり「浄化しろ」と負け戦へ送り込まれたんだ。
立派な拉致監禁の上の強制労働……なあ、この国、大丈夫か?
国をあげて、女子高生を誘拐したんだぞ……?
「お初にお目に掛かる。私はユカ・ルクレシア。彼はイオリ・キサラギだ。よろしく頼む」
座り心地の良いソファから立ち上がり、顔色の悪い彼女へ手を差し出す。
こちらを見上げた黒い瞳が、うるりと瞬いた。……リスっぽい顔だな。可愛らしい見た目だ。遠慮がちに手を握られる。
「……わたしは九条 なつめ、……なつめと言います」
「ナツメか。語感がイオリのものと近しいな」
肩越しに、控えるイオリを見上げる。にこりと麗しい顔を微笑ませた彼は、小さく頭を下げる程度で動作を留めていた。
……私がいない方が話しやすいのか? いつでも退室するぞ?
神子の隣に座った司教殿が、彼女を手で示す。彼が温和な顔をこちらへ向けた。
「ユカ。あなたを呼んだのは、神子様の話し相手になってもらいたいためです」
「私の他に、適役がいただろう?」
「あなたは親しみやすいので」
「ははは、褒め言葉として受け取ろう」
部屋の隅で控えるクリスを一瞥し、司教殿が言う。
クリスは口が悪いだけで、いい子だからな?
テーブルに置かれたティーカップを手に取る。ふわりと感じた香りは高級な茶葉で、さすがは国賓だな。内心辟易した。
この厳重な待遇、息が詰まりそうだ。
この間、神子の視線はずっと下を向いていた。
固く引き結ばれた唇と、色の悪い頬。……過度の緊張と心労、突然の環境の変化だろうか?
そういえば、この国の水は硬水だったな。瘴気も混じって過ごし難いだろう。神子も難儀なものだ。
「時に司教殿。時間はいいのか?」
にやにや、笑みをたたえて身を乗り出す。司教殿は瞬き、厳かに胸に手を当てた。
「神子様以上に、優先すべきことがありますか」
「相手は神子様といえど、花も恥らう乙女だ。常につきっきりでは、欠伸もできないだろう?」
「ユカ! なんと無礼な……っ。くっ、……わかりました。わたしは失礼いたします」
仰々しく頭を下げた司教殿が、おつきとともに豪奢な部屋から退室する。
それにしても、なんとも一級品を取り揃えました!! と自己主張の激しい部屋なのだろうか。私なら、そこら中に落書きして回るぞ。
「……あのっ」
神子がおずおずと顔を上げる。うるうるとした瞳は、やはり不安そうだ。
「気にするな。きみにとっては迷惑な話だろうが、この国は神子を喚ぶのに一年の月日を費やした。司教殿のあれは、待望の初孫ができた年寄りの心境だと思ってくれ」
「は、はい……っ」
俯いた神子が、きゅっとスカートを握る。細い肩が小刻みに震えた。
「わ、わたし、浄化、失敗してしまったんです……。それなのに、周りはわたしを神子だと……っ。わたし、こわくて……」
「突然知らない世界に連れてこられて、訳のわからん風習につき合わされて、はじめから完璧にこなせる方がどうかと思うがな」
司教殿もいなくなったことだし、しれっと悪態でもついておくか。
顔を上げた神子は驚いた顔をしていて、相当大神殿で肩身の狭い思いをしてきたのだと察した。
おい、相手はうら若き乙女だぞ? 配慮してやれ。
「でもっ、一緒に向かった方が、わたしを庇って怪我をしてしまって……血が……っ」
「……恐ろしい思いをしたな。普通に暮らしていれば、この国の人間も、血とは触れ合わん」
現に私も大怪我とは無縁の生活を送っている。
平和に暮らしていたうら若き乙女が、突然わけのわからないものに襲われて、血が流れるところを目の当たりにしたんだ。
おい、もっと繊細な心を守ってやれ。
くすんっ、すすり泣く音を漏らして、神子が両手で顔を覆った。
席を立ち、彼女の背をゆるくたたく。神子が落ち着くまで、しばらく傍についた。
「ぐすっ、ごめんなさい……、こんなとこ見せて……」
「気にするな。私で良ければ力になろう」
うるりと潤んだ目が赤い。それでも表情を和らげた彼女は素直そうな少女で、いい子じゃないかと内心頷いた。




