色気が息していない
神子の召喚が正式に決定された。
大神殿で儀式が執り行われたが、どうやら召喚は一回や二回で成功するものでもないらしい。
当然といえば当然かもしれない。相手も生きている人間だ。相性、タイミング、能力など、様々な条件と合致しなければならない。
そして一度の儀式で、術師は相当消耗するらしい。
間隔を置いて再実行するため、神子を実際に呼び寄せるのに、一年の月日がかかった。
それでも、私が知っている物語では、私が17歳のときに召喚していた。
一年早い。……今の私は、16歳だ。
ついに神子が召喚された。
「そうか。神子の護衛か」
「うん。他にも何人かいるんだけどね」
ふんわり、目許を緩めてアメリアが微笑む。彼は神子の護衛に選出されたそうだ。
神子は大神殿の象徴であり、国賓であり、その護衛任務を授けられることは、大変名誉あることだ。
意識的に笑みを浮かべ、賞賛の言葉を探す。庭の花壇へ水をまき、濡れる土を見つめた。
「さすがだな、アメリア。きみの活躍を期待している」
「ありがとう、ユカ」
「神子とはもう会ったのか?」
嬉しそうに微笑んだアメリアが、小さく首を横に振る。「まだだよ」柔らかい声だった。
「……そうか。どのような人物だろうな」
「まだ大神殿の上層部と、王家しかお会いしていないみたいだよ」
「厳重だな」
ふよふよ漂うコケネコが、私の肩に乗る。
あれから一年、すくすく成長したコケネコは、サッカーボールほどの大きさになっていた。
指先でつつくと、再びふよふよとどこかへ飛んでいく。なんとも愛いやつだ。
「……なあ、アメリア。きみはいくつになった?」
「うん? 二十歳だよ。それがどうかしたの?」
アメリアの声は、相変わらず柔らかい。
そうか。背が高い、手が大きいと思っていたが、きみももう大人になったんだな。……あっという間だった。
小さく笑って、アメリアを見上げる。
……そうだな。こんなにも、背丈が開いてしまったんだな。
「なあ、アメリア。婚約を解消しないか?」
「……え?」
彼の常盤色の目が、大きく瞠られた。
ここまで露骨に伝えたことはなかった。今まで、いつも曖昧に尋ねていた。
いい人はいないのか? 先日きれいなご令嬢を見かけたぞ。遠回しばかりですまなかったな。
本当はもっと早くに関係を解消するべきだったのだろう。けれども、アメリアはいつも優しいから、ずるずると先延ばしにしてしまった。
……それも、ここまでだが。
「……どうして? ぼく、なにかした?」
アメリアの声が震えている。表情も何とか笑みを整えているが、戸惑っている様子が見て取れた。
彼から顔を背ける。肩を掴まれた。
「きみは何も悪くない。私の問題だ」
「わからない。どうして? 急にどうしたの?」
「私たちの関係は、そもそも偽装のものだっただろう。きみももう、守られる立場にいない。もっと相応しい人を見つけてはどうだ?」
「ッ!!」
掴まれた肩に圧がこもり、無理矢理彼へ身体を向けられた。
アメリアがここまで強引な動作に出たことは、過去にない。驚いて彼の顔を見上げる。
……見たことのない顔をしていた。傷ついているような、怒っているような、複雑な顔だ。
「どうしてきみはいつも、そんなことばかり言うんだ!?」
アメリアに怒鳴られたことも、はじめてだろう。
呆気に取られていたのかもしれない。呆然と、彼の顔を見つめる。
「相応しい人? 誰のこと!? きみはいつも、誰の話をしているんだ!?」
「アメリアっ、待ってくれ。少し、落ち着いてくれ……」
「確かにずるい手だよ。きみの良心につけこんだ! でも、きみといられるなら何でもよかったんだ!」
泣き出しそうなほど切なげな顔で、彼がこちらを見下ろす。
……彼はいつでも私に甘かった。いつでも優しかった。
おっとりと笑って、丁寧な手付きで私に触れる。
私の家の人間は、私に対して過保護だ。そしてアメリアも、私に対して過保護に接する。それがいつも申し訳なかった。
アメリアの利き手が、私の頬に触れた。びくり、肩が竦む。
……そんな目で見ないでくれ。私は、何も返せない。背けたい顔を、彼の前へ戻される。
「少しは気づいてよ……。好きでもない人の元になんて、こんなに通わない。ぼくって、そんなに軟派に見える? 誰にでもこうしているように見える?」
「アメリア、やめてくれ。その先を聞きたくない」
「きみが好きだよ、ユカ」
喉が引きつったように震えた。
……私には、男としての記憶がある。女性らしく振舞うことができない。
ドレスが嫌いで、言葉遣いもフィオナ嬢のようにすることができない。
何より、私は将来的にこの国にいられなくなる。
神子へ嫌がらせをするつもりなど毛頭ないが、何がどう転ぶかわからない世の中だ。
冤罪程度ならまかり通るだろう。何せ私には、育ち切った悪い噂がついて回っている。
……結局、熊を素手で倒せる武勇はつかなかったな。それが心残りだ。
「きみのことは、人として好きだ。だが、私に恋愛感情など期待しないでくれ。応えられない」
「それでも構わないよ」
「私が嫌なんだ。きみは子孫が必要だが、私にはそれを叶えることができない。他をあたってくれ」
「っ、やめてくれ。そんな道具みたいな言い方……ッ」
腰に腕が回され、抱き寄せられる。
……大して踊れないダンスのようだ。はじめの構えの体勢で既に疲れきり、私はステップすらろくに踏めない。まず、華奢なヒールの靴から無理なんだ。
こんな私が、将来有望なアメリアとそういう仲になってしまえば、彼のご家族に迷惑をかける。
現実を見てくれ、アメリア。私は事故物件だ。
「離してくれ。きみはクリスではないんだ。適切な距離がわかるだろう?」
「……は?」
ぴたり、アメリアの空気が硬化した。
彼の顔を見て、はたと自身の失言に気づかされる。
私にとって、クリスは距離感の独特な子だ。彼の引き出しは生い立ちのせいか偏っており、べったりとくっつくことが多い。
繰り返すことになるが、私に美少年愛好の性癖はない。
クリスにはもう少し離れるよう伝えているが、なかなか彼の距離感は適切にならない。
手を焼いているが、慣れてしまっている節もある。彼の寂しげな顔を見ると、強く出られない私に敗因がある。
……このような事情は、私とクリスの関係性を知っている、エレナと当事者しか知らないだろう。
当然アメリアはこのことを知らず、今し方恋慕をちらつかせた彼へ、爆弾を投げつけたことになる。
すまない。そんなつもりはなかったんだ。
「……クリスって、大神殿にいた金髪の子? へえ、こんなことするの」
アメリアの底冷えする声に、ひえ、身体が竦む。
強く抱き締められ、身動ぎもできない。
「ち、ちがう! クリスは私を男だと思っていた! きみが婚約者であると話し、性別を打ち明けたところだ! クリスをそんな目で見ないでくれ!!」
「庇う先がおかしいし、その子完全にダウトだよ……」
「背筋をなでるなあああああッ」
背筋を指先がつう、と滑り、ぞぞぞと怖気が走る。
必死に身を捩るも、アメリアの腕は解けない。く、くそう、こんなところで力量差を感じたくなかった!
頭上がため息をつく。呆れた声が降ってきた。
「ユカ、ちゃんと下着つけて」
「はいている」
「ちがう。上」
「嫌だ」
だって屈辱ではないか。あれ。
私は身も心もそちらへ染まりたくないぞ。
「どうしてそんなに頑ななの……。襲われても知らないよ?」
「そんな奇特なやつがいるものか」
「……へえ?」
頭上から落とされた低い声に、ぞっとする。
私はもっと、体勢や状況を鑑みて言葉を選ぶべきだったな。本日2度目の失言だ。学ばないな。
膝裏を支えられ、軽々と横抱きにされて傷ついた。
そのまま物陰まで運ばれ、箱の上に下ろされる。顔が近いとは思ったが、額に唇を押し当てられ、言葉をなくした。
「ま、待て、アメリア! 正気に戻るんだ!」
「ぼくは正気だし、落ち着いている。……怒ってるから、落ち着いてはいないか」
「ニュートラルな状態に戻ってくれ!!」
首筋に顔を埋められ、鳥肌が立った。
待て。私は16の小娘だ。いや、ここの法律では16歳から青少年保護の外になるのか!?
そうだった! 16から酒が飲める国だったんだ!!
駄目だ。自力で我が身を守らなければ、誰も守って……脇腹を撫でるなああああああああああッ!!!!!
「……ユカ、いくら胸がないからって、油断しちゃだめだよ。少しは懲りた?」
「ひ……っく、こわか……っ」
「うん。誰もやめるなんて言ってないし、勝手に安心されても困るんだけどね」
アメリアをはじめてこわいと思った。気分は捕食されている動物だ。
うえうえしゃくり上げる私の目尻を舐め、アメリアに口を塞がれる。残念なことに、マウストゥマウスだ。
彼の腕は私の背を支え、もう片手は腹を撫でている。私は私で必死に押し返しているが、悲しいかな、彼は大人で職業、騎士だ。鍛え方がちがう。
ようやく唇を解放された頃には酸欠気味で、数度咳き込んだ。
アメリアに抱き締められる。優しく頭を撫でられた。
「好きだよ、ユカ。ごめんね、婚約は解消してあげられない。ずるいよね」
彼が私の頭に頬を擦りつける。髪を撫でる手つきは優しい。
「ぼくの家は、きみの家より優位だ。……きみがいくら嫌だと訴えても、簡単に捻じ伏せられるんだよ」
「あんまりだ……!」
「……どうしても嫌だったら、ぼくが納得できる理由を持ってきて。ぼくに相応しいとか、他にいるとか以外で」
歯噛みする私の額に口付け、屈んだアメリアがハンカチで私の頬を拭う。
優しい手つきをした彼は、寂しそうな顔をしていた。




