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男装令嬢と隣のお兄さん  作者: ちや
神子召喚
26/27

色気が息していない

 神子の召喚が正式に決定された。

 大神殿で儀式が執り行われたが、どうやら召喚は一回や二回で成功するものでもないらしい。

 当然といえば当然かもしれない。相手も生きている人間だ。相性、タイミング、能力など、様々な条件と合致しなければならない。


 そして一度の儀式で、術師は相当消耗するらしい。

 間隔を置いて再実行するため、神子を実際に呼び寄せるのに、一年の月日がかかった。

 それでも、私が知っている物語では、私が17歳のときに召喚していた。

 一年早い。……今の私は、16歳だ。


 ついに神子が召喚された。



「そうか。神子の護衛か」

「うん。他にも何人かいるんだけどね」


 ふんわり、目許を緩めてアメリアが微笑む。彼は神子の護衛に選出されたそうだ。

 神子は大神殿の象徴であり、国賓であり、その護衛任務を授けられることは、大変名誉あることだ。


 意識的に笑みを浮かべ、賞賛の言葉を探す。庭の花壇へ水をまき、濡れる土を見つめた。


「さすがだな、アメリア。きみの活躍を期待している」

「ありがとう、ユカ」

「神子とはもう会ったのか?」


 嬉しそうに微笑んだアメリアが、小さく首を横に振る。「まだだよ」柔らかい声だった。


「……そうか。どのような人物だろうな」

「まだ大神殿の上層部と、王家しかお会いしていないみたいだよ」

「厳重だな」


 ふよふよ漂うコケネコが、私の肩に乗る。

 あれから一年、すくすく成長したコケネコは、サッカーボールほどの大きさになっていた。

 指先でつつくと、再びふよふよとどこかへ飛んでいく。なんとも愛いやつだ。


「……なあ、アメリア。きみはいくつになった?」

「うん? 二十歳だよ。それがどうかしたの?」


 アメリアの声は、相変わらず柔らかい。


 そうか。背が高い、手が大きいと思っていたが、きみももう大人になったんだな。……あっという間だった。

 小さく笑って、アメリアを見上げる。

 ……そうだな。こんなにも、背丈が開いてしまったんだな。


「なあ、アメリア。婚約を解消しないか?」

「……え?」


 彼の常盤色の目が、大きく瞠られた。

 ここまで露骨に伝えたことはなかった。今まで、いつも曖昧に尋ねていた。

 いい人はいないのか? 先日きれいなご令嬢を見かけたぞ。遠回しばかりですまなかったな。


 本当はもっと早くに関係を解消するべきだったのだろう。けれども、アメリアはいつも優しいから、ずるずると先延ばしにしてしまった。

 ……それも、ここまでだが。


「……どうして? ぼく、なにかした?」


 アメリアの声が震えている。表情も何とか笑みを整えているが、戸惑っている様子が見て取れた。

 彼から顔を背ける。肩を掴まれた。


「きみは何も悪くない。私の問題だ」

「わからない。どうして? 急にどうしたの?」

「私たちの関係は、そもそも偽装のものだっただろう。きみももう、守られる立場にいない。もっと相応しい人を見つけてはどうだ?」

「ッ!!」


 掴まれた肩に圧がこもり、無理矢理彼へ身体を向けられた。

 アメリアがここまで強引な動作に出たことは、過去にない。驚いて彼の顔を見上げる。

 ……見たことのない顔をしていた。傷ついているような、怒っているような、複雑な顔だ。


「どうしてきみはいつも、そんなことばかり言うんだ!?」


 アメリアに怒鳴られたことも、はじめてだろう。

 呆気に取られていたのかもしれない。呆然と、彼の顔を見つめる。


「相応しい人? 誰のこと!? きみはいつも、誰の話をしているんだ!?」

「アメリアっ、待ってくれ。少し、落ち着いてくれ……」

「確かにずるい手だよ。きみの良心につけこんだ! でも、きみといられるなら何でもよかったんだ!」


 泣き出しそうなほど切なげな顔で、彼がこちらを見下ろす。

 ……彼はいつでも私に甘かった。いつでも優しかった。

 おっとりと笑って、丁寧な手付きで私に触れる。

 私の家の人間は、私に対して過保護だ。そしてアメリアも、私に対して過保護に接する。それがいつも申し訳なかった。


 アメリアの利き手が、私の頬に触れた。びくり、肩が竦む。

 ……そんな目で見ないでくれ。私は、何も返せない。背けたい顔を、彼の前へ戻される。


「少しは気づいてよ……。好きでもない人の元になんて、こんなに通わない。ぼくって、そんなに軟派に見える? 誰にでもこうしているように見える?」

「アメリア、やめてくれ。その先を聞きたくない」

「きみが好きだよ、ユカ」


 喉が引きつったように震えた。

 ……私には、男としての記憶がある。女性らしく振舞うことができない。

 ドレスが嫌いで、言葉遣いもフィオナ嬢のようにすることができない。

 何より、私は将来的にこの国にいられなくなる。

 神子へ嫌がらせをするつもりなど毛頭ないが、何がどう転ぶかわからない世の中だ。

 冤罪程度ならまかり通るだろう。何せ私には、育ち切った悪い噂がついて回っている。


 ……結局、熊を素手で倒せる武勇はつかなかったな。それが心残りだ。


「きみのことは、人として好きだ。だが、私に恋愛感情など期待しないでくれ。応えられない」

「それでも構わないよ」

「私が嫌なんだ。きみは子孫が必要だが、私にはそれを叶えることができない。他をあたってくれ」

「っ、やめてくれ。そんな道具みたいな言い方……ッ」


 腰に腕が回され、抱き寄せられる。

 ……大して踊れないダンスのようだ。はじめの構えの体勢で既に疲れきり、私はステップすらろくに踏めない。まず、華奢なヒールの靴から無理なんだ。


 こんな私が、将来有望なアメリアとそういう仲になってしまえば、彼のご家族に迷惑をかける。

 現実を見てくれ、アメリア。私は事故物件だ。


「離してくれ。きみはクリスではないんだ。適切な距離がわかるだろう?」

「……は?」


 ぴたり、アメリアの空気が硬化した。

 彼の顔を見て、はたと自身の失言に気づかされる。


 私にとって、クリスは距離感の独特な子だ。彼の引き出しは生い立ちのせいか偏っており、べったりとくっつくことが多い。

 繰り返すことになるが、私に美少年愛好の性癖はない。

 クリスにはもう少し離れるよう伝えているが、なかなか彼の距離感は適切にならない。

 手を焼いているが、慣れてしまっている節もある。彼の寂しげな顔を見ると、強く出られない私に敗因がある。


 ……このような事情は、私とクリスの関係性を知っている、エレナと当事者しか知らないだろう。

 当然アメリアはこのことを知らず、今し方恋慕をちらつかせた彼へ、爆弾を投げつけたことになる。

 すまない。そんなつもりはなかったんだ。


「……クリスって、大神殿にいた金髪の子? へえ、こんなことするの」


 アメリアの底冷えする声に、ひえ、身体が竦む。

 強く抱き締められ、身動ぎもできない。


「ち、ちがう! クリスは私を男だと思っていた! きみが婚約者であると話し、性別を打ち明けたところだ! クリスをそんな目で見ないでくれ!!」

「庇う先がおかしいし、その子完全にダウトだよ……」

「背筋をなでるなあああああッ」


 背筋を指先がつう、と滑り、ぞぞぞと怖気が走る。

 必死に身を捩るも、アメリアの腕は解けない。く、くそう、こんなところで力量差を感じたくなかった!


 頭上がため息をつく。呆れた声が降ってきた。


「ユカ、ちゃんと下着つけて」

「はいている」

「ちがう。上」

「嫌だ」


 だって屈辱ではないか。あれ。

 私は身も心もそちらへ染まりたくないぞ。


「どうしてそんなに頑ななの……。襲われても知らないよ?」

「そんな奇特なやつがいるものか」

「……へえ?」


 頭上から落とされた低い声に、ぞっとする。

 私はもっと、体勢や状況を鑑みて言葉を選ぶべきだったな。本日2度目の失言だ。学ばないな。


 膝裏を支えられ、軽々と横抱きにされて傷ついた。

 そのまま物陰まで運ばれ、箱の上に下ろされる。顔が近いとは思ったが、額に唇を押し当てられ、言葉をなくした。


「ま、待て、アメリア! 正気に戻るんだ!」

「ぼくは正気だし、落ち着いている。……怒ってるから、落ち着いてはいないか」

「ニュートラルな状態に戻ってくれ!!」


 首筋に顔を埋められ、鳥肌が立った。

 待て。私は16の小娘だ。いや、ここの法律では16歳から青少年保護の外になるのか!?

 そうだった! 16から酒が飲める国だったんだ!!

 駄目だ。自力で我が身を守らなければ、誰も守って……脇腹を撫でるなああああああああああッ!!!!!


「……ユカ、いくら胸がないからって、油断しちゃだめだよ。少しは懲りた?」

「ひ……っく、こわか……っ」

「うん。誰もやめるなんて言ってないし、勝手に安心されても困るんだけどね」


 アメリアをはじめてこわいと思った。気分は捕食されている動物だ。


 うえうえしゃくり上げる私の目尻を舐め、アメリアに口を塞がれる。残念なことに、マウストゥマウスだ。

 彼の腕は私の背を支え、もう片手は腹を撫でている。私は私で必死に押し返しているが、悲しいかな、彼は大人で職業、騎士だ。鍛え方がちがう。


 ようやく唇を解放された頃には酸欠気味で、数度咳き込んだ。

 アメリアに抱き締められる。優しく頭を撫でられた。


「好きだよ、ユカ。ごめんね、婚約は解消してあげられない。ずるいよね」


 彼が私の頭に頬を擦りつける。髪を撫でる手つきは優しい。


「ぼくの家は、きみの家より優位だ。……きみがいくら嫌だと訴えても、簡単に捻じ伏せられるんだよ」

「あんまりだ……!」

「……どうしても嫌だったら、ぼくが納得できる理由を持ってきて。ぼくに相応しいとか、他にいるとか以外で」


 歯噛みする私の額に口付け、屈んだアメリアがハンカチで私の頬を拭う。

 優しい手つきをした彼は、寂しそうな顔をしていた。

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