路地裏には気をつけろ
突然で悪いが、今私たちは、見知らぬ人物に追われている。
ミーナとフランと一緒に路地に身を潜め、音を立てないよう息を殺した。
「な、なんなの!? あの人!」
「ミーナ、静かにっ」
今にも泣き出しそうなミーナの悲嘆を、フランが声をひそめて制する。
私も私でゴミ箱の裏に隠れ、見つからないよう縮こまった。
今日はフランのパン屋へ寄り、配達へ向かうというふたりについて行ったんだ。
可愛らしいパンかごを持つイオリというものも見れて、とても楽しかった。ミーナも元気に飛び回り、フランもにこにこしていて、配達も順調だった。
帰り道でミーナが近道をしようと提案し、私も好奇心が勝った。
だって路地だぞ! 路地裏だぞ!? 今生で一度も立ち入ったことのない場所だ。死ぬまでに一度は入ってみたいではないか!
ミーナはよく、この近道を利用しているそうだ。
壁の落書きが面白いから、見に行こうと誘われた。
見たいではないか! ミーナは私の好奇心をくすぐることが上手い! 壁の落書きなぞ、今生で一度も見たことがない!
フランは危ないと反対したが、安直にイオリがいるから大丈夫だろうと、イオリにねだり倒した。
思えば、イオリも相当渋い顔をしていた。首を横に振り続ける彼を無理矢理言いくるめ、ミーナと意気揚々、路地裏へ踏み込んだ。
おわかりいただけただろうか? 私たちが、自ら危険地帯へ突っ込んでいったことが。
すまなかった。イオリ、フラン。きみたちは正しい。
こんな危険な場所へ、可愛らしい女子であるミーナを連れ込んでしまったことを、深く反省している……。
ずずず、何かを擦る音がする。私たちの間に緊張が走った。
壁にもたれるようなそれが何かを蹴飛ばし、がらんがらんっ、音を立てる。
……情景が見えない中、音だけというのはひどく恐怖心を煽るな。正直ここまで苦しくなるとは思わなかった。
驚くほど手が震える。私も音を立てそうだ。……気をしっかり持とう。
「……くそっ、……のヤロー、ふざけやがっ……」
男の悪態が、途切れ途切れ耳に届く。身を潜める友人等が、引きつった呼吸を必死に殺した。
頼りのイオリは、私たちが追われたときに最後尾に残り、私たちを逃がした。……どうやらこの男は、そこから逃げてきたらしい。
ぶつかってものの倒れる音がいくつも響き、男の悪態が乱雑になる。
ミーナが震えた。かたかた身を強張らせた彼女が、反射的に一歩下がる。
がたんっ、がた!
「誰だ!?」
こんなお約束な展開、望んでいなかったあああああ!!!
ミーナの踵が何かに触れたらしい。彼女の背後でものが落ちた。ひっ、引きつった悲鳴が上がる。
男が路地を覗いた。フランが庇うように前に立ち、線の細い肩を震わせる。
「見つけたぞ、てめぇらああああッ!!!」
男の右手がぶら下げていた、バールのようなものを振り上げる。
咄嗟に隠れていた路地から飛び出し、手にしたゴミ箱のふたで男の後頭部を思いっきり殴った。べこん! 派手な音が上がる。
ふ、ふん! ミーナとフランとは別の路地に隠れていたのだよ!
どうだ、驚いただろう!!
「ッ、てっめぇええええッ!!!」
「逃げるぞ!!」
男へゴミ箱のふたを投げつけ、雑多に積まれたよくわからないものを突き飛ばす。
雪崩れたそれが派手な音を立て、ごちゃついた路地をさらにごちゃごちゃにさせた。うっ、いやなにおいがする……。
「ゆ が ぁ ~~~~っ」
「ゆ が ぐ ん ~~~~っ」
「走れ! まだ助かっていないぞ!!」
ずびずび泣くミーナとフランの背を押し、入り組んだ路地を走る。
残念なことに、私は引きこもりだ。驚くほど体力がない。この三人の中で一番ひ弱だろう。ミーナに引かれる手が、苦しくなる。
「っ、ミーナ、手、離してくれ……!」
「だめ!! ユカが捕まっちゃう!」
肩越しに振り返った彼女が、薄茶の瞳を恐怖に歪めた。私の背後で、怒声が響いている。……捕まるのも、時間の問題だな。
「行って!」
「お兄ちゃん!?」
分かれ道に差し掛かり、先頭を走っていたフランが道を避ける。さらに細くなる路地をミーナが進み、涙でいっぱいの目で振り返った。
フランは私がやったように積まれたゴミを崩し、道を塞ぐ。
けれども立ち止まったことで男と距離が狭まり、血走った目が鈍器を振り上げていた。フランが身を強張らせる。
「フラン!!」
「この、くそが!!!!!」
ミーナが悲鳴を上げた。私も、フランを助けようと駆ける方向を変える。
横から何かが突っ込んできたのは、そんなときだった。
男の身体が壁に叩きつけられ、フランが引きつった声を上げる。
こちらを向いた乱入者は、恰幅のよい小奇麗な身形の男性で、にやにやと虚ろな目で笑っていた。
――母上が聖水を摂取したときみたいだ。
不気味につり上げた口角が、涎とともにぶつぶつと独り言を呟く。にゅっと伸ばされた両腕に、怯えて固まっているフランのシャツを掴んだ。
くっそ! 何だこのゾンビゲームは!! こんな仕様、聞いていないぞ!!
「フラン! だめだ、動け!!」
「屈め!!」
頭上から聞こえた大声に、咄嗟にフランを抱き込み体勢を低くする。
路地を形成する建物から飛び降りた男性が、恰幅のよい男の顎を蹴った。
とん、音を立てた傍らが、私の身体に腕を回す。見上げた先に、黒い毛先が映った。「ユカ様」イオリの声がする。
「メルルネス通り、浄化班到着しました!」
「わかった!!」
イオリが大声を上げているところなんて、はじめて見る。凛とした声音はなんともかっこよく、安心感を与えた。
応答した赤茶の髪の青年が、襲いかかってくる恰幅のよい男の胸倉を掴む。
狭い路地はすれ違う幅さえ確保が困難で、引きずり倒した男の背に乗り上げ、手首を捻り上げていた。
男が暴れる。うーうー、唸る音が恐怖心を煽った。
「くそっ、暴れるな……!」
「生温いんです。とっとと意識を奪ってください」
私の背後から移動したイオリが、組み伏せられている男へ手刀を落とす。かくん、男の四肢が脱力した。
イオリ……? きみ、そんな技術を持っていたのか……?
見ろ。ディックがぎょっとした顔で二度見しているではないか。……ん? ディック!?
「ディックではないか!!」
「ユカ、ミーナ。それからフラン。お前ら、あとで説教な」
「ごめんなざい~~~ッ」
にこりと笑みを浮かべたディックに、へたり込んだミーナが、びゃっと泣き出した。
彼女の様子を見て悟る。……ディックは怒るとこわいらしい。




