第68話 ヴォイドにならずとも
――1時間もしない内に小走りでクノハルが戻ってきた。
「オユアーヴは何処ですか!?事件のあった日からソーレが御印工房に来ていないらしいのです!」
局長がすぐさまソーレへの事情聴取を行おうと自ら出向いた所、事件のあった日から欠勤していると分かったのだ。急病だと言う。局長は精鋭の調査員にソーレの邸宅に向かわせたが、恐らくそこにもいないだろう事は明白だった。
ユルルアちゃんも俺も血の気が引いた。
「ロウの所に事情を伝えに向かわせてしまった……ついでに調味料の買い物に行くと!」
「追い詰められた者は何を考え何処で仕出かすか分かりません!もしかすれば因縁のあるオユアーヴに危害を加えるつもりかも――!」
焦るクノハルに、ユルルアちゃんが無音通信を行う機器を指差して言った。
「ロウに急ぎで連絡を取りましょう!もしもオユアーヴが来ていなければ……」
「僕が出る」
――時は黄昏、夕闇から本当の夜の闇へと変わろうとしていた。
ロウ達のいる『よろず屋アウルガ』への道を歩みながら、オユアーヴは買ったばかりの香辛料数種類と調味料が入った袋を抱えて、今夜の夕餉の献立を考えていた。
「……」
そのオユアーヴの前に、突如人影が立ちはだかった。
「強盗なら止めてくれ。俺はロウの知り合いだ」
治安の良くない貧民街ではままある事で、その時にはロウの名前を出せば必ず魔除けになる事を経験済みだったから、オユアーヴは冷静だった。
「……」
だが、人影は逃げようともしない。逆に、一歩一歩とオユアーヴに迫ってきた。
(ここの住人じゃない、のか?まさか――)
その可能性に気づいて、オユアーヴは背筋が冷えた。
「……なあ、オユアーヴ」
聞いた事がある声の持ち主が誰なのかは、すぐに分かった。
「どうして貴様に……貴様ごときに……」
――娼婦を残虐な方法で殺したか、死後に『分解』した。
冷水を浴びたように全身が凍りついて、オユアーヴは思わず後ずさる。悲鳴を出さなければならないのに、『助けてくれ』と大声さえ出せば、勘の良いロウが気付いてゲイブンを連れて実際に助けに来てくれるかも知れないのに、どうしてか喉が渇いて意味のある声が出ない。
「そ……そ、ソーレ……なの、か?」
「貴様だけは、認めない」
オユアーヴは逃げた。懸命に逃げようとしたのにどうしてか抱えている袋を捨てられなくて、すぐに追いつかれる。脳天に凄まじい衝撃が走って、地面に倒れたと同時に意識が途絶えた。




