第60話 人の欲だけは無限
……表だってのソーレの処分は無かった。彼が圧倒的な権勢を振るう「赤斧帝」の寵臣であったからだ。
オユアーヴは直ちに名医に診せられ、解毒の薬を処方されて手厚い看護を受けた上で御印工房『インペリアル・ブラック』へと戻ってきた。
すぐさま『帝国一の名工』と言う静かな賞賛がオユアーヴに付いて回った。
ソーレは己への職人達から向けられる視線の意味が変わったのを感じた。
沈黙の中だからこそ雄弁に語る視線であった。
それでもこの時はまだ、クォクォ家の当主である自負と御印工房『インペリアル・ブラック』の頭領としての威光が、辛うじて彼の尊厳を瀬戸際で守っていた。
が、その数年後に皇子ヴァンドリックの起こしたクーデターによって、頼みの「赤斧帝」が廃されてしまう。「赤斧帝」の寵臣や寵姫達は少しずつ権力からは遠ざけられ、静かに排斥されていった。
ソーレにとっての悪い事は重なり、すくすくと育っていた彼の子供達が、彼のような秀才でも、オユアーヴのような鬼才でも無いと徐々に分かってきたのだ。
物を作る事が大好きなだけの、ただただ凡庸な何処にでもいる子供達だった。
身が焼け焦げるような憎しみと羨望の中で、ソーレはオユアーヴを蹴落とす陰謀を熟考した。
オユアーヴには欠点があった。確かに作り出すものは最高級の品々ばかりだったが、制作にあたっての予算や期限をまるで考えなかったのである。ソーレはそれを言いがかりにして、危険な作業を行っている時のオユアーヴの手を無理矢理止めさせてまで話しかけると言う妨害行動を取った。
これは大当たりだった。オユアーヴは激高した。それは危険な作業を邪魔されたからではなく、芸術作品を醜くされた事による怒りだったが、この際ソーレはどうでも良かった。
肝心なのはオユアーヴが上司であるソーレに暴力を振るった事だったから。
目論見通りにオユアーヴは強制的に宦官にされ、御印工房『インペリアル・ブラック』を追放されたのだった。しかも不出来な第十二皇子の所へ回されたと言う。
ようやくソーレは安堵した。
長年にわたって目障りであった男を追いやり、生まれて初めて精神的に落ち着いた――つもりだった。




