第59話 外れた目論見
……オユアーヴがこの行動に出るだろう事こそ、ソーレにとって最も恐れていた事だった。
だからこそあらかじめオユアーヴを数人がかりで暴行し、縄で縛り上げて倉庫に放り込むのみならず、喉を潰す薬まで飲ませておいたのだ。
だが、ソーレにはとうとう出来なかった。オユアーヴが打った剣を破棄する事だけは。
確かに、拵えこそ質素極まりない。帝国城で暮らす皇族からすればただの目汚しと思われても仕方ない。
しかし鞘から引き抜いてその鋼の刃を見た瞬間にソーレは震えた。
美しい。人智を超えた先にある、心の奥底でしか味わえぬ極美がそこにあったのだ。
哲学的だ、とある者は言うだろう。神聖だ、と別の者は言うだろう。恐ろしい、と言う者も出てくるだろう。武器であるはずの剣がこんなに神秘に満ちていて美しい理由が無いのに、尖った切っ先から優美に冷徹に染められた鋼の色合いと言い、刀身に刻印された文字に落ちる影の一つ一つと言い、魂を奪われるような「何か」がある。
――「乱詛帝」が皆殺しにしてしまったドワーフ族の残した金属の工芸品をソーレも見た事がある。本物ではない。本物は焼かれ砕かれ捨てられてしまった。御印工房『インペリアル・ブラック』の職人が模造したものが残っていたのだ。
それを作った年老いた職人は恋い焦がれるような眼差しで遠くを見ながら、小声で呟いた。
「全部壊して焼いちまうなんて、罰当たりな事をしたもんです。彼奴らが作ったものはねえ、匙一つだって信じられないほど美しかったのに……」
まさか、まさかだ、それだけはあり得ないと思いつつも、ソーレは剣をオユアーヴから奪い取ると、ある倉庫の地下室の中の最も奥まった所に隠したのだった。
薄汚れた布に包んだ剣と思しきものを献げつつ、ボロボロの風体のオユアーヴは皇子ヴァンドリックの前に進み出た。真っ青な顔色のソーレが頭の中で言い訳を必死に考えていた時、オユアーヴは皇子のおわす階段の下でゆっくりと布から剣を取り出し、鞘から抜いたのだった。
その剣は眩い照明の光を受けて、陽炎のように、揺らめく光を放ったかのように、美しく輝いた。
……ざわめいていたその謁見室が一瞬で沈黙に覆われ、ソーレでさえも言い訳を忘れてただただ見とれた。
この時ばかりはそこにいた誰の心にも一斉に畏敬のような感動が押し寄せ、次々とため息がこぼれた。これこそが皇子の求めていたもので間違いない。無言の共感が相次いだ上に、皇子の満足げな顔が全てを物語っていた。
――しばらくしてから眉をひそめて、けばけばしく光るソーレの剣を見やる者が相次いだ。
真っ白な銀世界を黒く汚す泥濘を見るのと同じ目つきで。
「俗物……」
その場にいた誰かが小さな声で呟いた瞬間、ソーレはその感動も忘れて俯き――屈辱と憤怒に黙って体を震わせた。




