第56話 一生涯の恩人③
己が同じ人間相手でなく鋼にだけ心動かされる異端児である、その事をオユアーヴは苦しいくらいに分かりきっていた。己を変えたいと、何度も、幾度も切実に思っても、いざ目の前に鋼が出てきた瞬間にその覚悟は全部消し飛んでしまい、ひんやりとしたあの固く冷たい手触りに無我夢中になってしまうのだ。
不思議な事にタンドンとディナは異端児のオユアーヴをちっとも迫害しなかった。既にそう言う者だと諦めていたのか、変わり者の多い職人を統括していたからか……その理由はもはや聞く事が出来ない。
オユアーヴが御印工房に所属する事が認められた年に、二人とも病で急逝してしまったからだ。
異端児だったからこそ、オユアーヴは義理の両親を恩人として最大限に敬っていた。
己に職人としての腕を付けてくれ、衣食住の世話を焼いてくれ、愛される事は無かったとしても彼の実力を認めてくれる、その一切合切がどれほどに有り難い事かを――幼少期を救貧院で暮らしていた彼は身に染みて分かっていたから。
オユアーヴが御印工房に所属する事を認められたそのすぐ後に、彼はタンドンに銅製のカップ、ディナには首飾りを作って贈った。
銅板一枚から生み出した軽くて頑丈な赤銅のカップを渡され、タンドンは良い腕前だとニヤリと笑って、「よし次は文鎮が欲しい」とのたまった。
ディナの首飾りは、オユアーヴの初任給の大半をつぎ込んで作ったもので、小さな真珠を上品にあしらった、遠目で見れば質素な外見だったが、近づいて良く見ると銀鎖の全てにディナの健康長寿を神々に祈り、災厄から身を守るおまじないの言葉が砂粒のように小さな文字で、かつ意匠を凝らして刻まれている凄まじい代物だった。
何て素晴らしい腕前なの、とディナが目を輝かせると、オユアーヴは初めて顔をほころばせた。「次は鏡が欲しい」と告げられて、二つ返事で快諾した。
己にとっての『芸術作品』を褒められると、彼は素直に嬉しいと思えたのだ。
美しい鋼をもっと美しくする、芸術作品として昇華させる。
オユアーヴはこの頃から、それこそが己がこの世に生まれてきた理由であり、目標だと考えるようになっていた。彼は他の事の、例えば美女を娶るだの、出世するだの、大金持ちになるだのと言った幸せについては、いくら見つめても曖昧でぼやけて見えていたが、その代わりに目の前にある鋼を鍛えて美しくする事こそが、己にとっての最上の存在意義で幸いなのであろう、と納得していた。
しかし、いつだって幸せはそよ風に吹かれただけで壊れてしまうものなのである。




