第293話 面倒を回避したと思ったらもっと面倒になった件
「――ああそうだ、確かに俺は『「逆雷」の爺さんと忌々しいクソ男に二度と関わるな』と言った」
ロウはイライラしている。神経質なくらいに杖で床を小突いているのだ。
ゲイブンはって?
面倒ごとはもうゴメンだと、とっとと遊郭の下働きで小遣い稼ぎをすると言って、よろず屋アウルガから逃げてしまった。
「だが、どうして『昏魔』が次にこのよろず屋に来るんだ?」
そのアイイナは、今は妖艶な美女の姿をしている。
「ロウって言ったわね、貴方。貴方も分かってないわねえ、陛下の事を。陛下は貴方みたいな人間が『ど真ん中』なのよ。正直、勅命を使ってでも臣下に欲しい、是非欲しいと虎視眈々と狙っていらっしゃるのよ。
さーて、どれ程貴方の場合は持つかしらねえ……?」
『脅すなんて……っ!い、良いから早く出て行きなさいよ!このパーシーバーちゃんがいる限りロウは守ってみせるんだから……っ!』
その美貌に、不気味な笑顔を『昏魔』は浮かべる。パーシーバーが怯えてロウにしがみつくくらいの。
「まだ『逆雷』のお爺様や『閃翔』の方がタチが良かった……うふふふ、必ずそう後悔させてあげるから」
「化け物め」
ロウは舌打ちしたが、『昏魔』は涼しい顔で、
「それでもフォー君が来るよりは圧倒的にアタシの方がマシなのよ?フォー君の舌鋒ったら、あれ程鋭利なものは此の世に無いんだもの。ま、そうやって多少は貴方にも情けがかけられているのだから、安心して頂戴ね?
と言っても、それで安心するような柔な男なんてアタシが嫌だけれども……」
そう言って、『昏魔』は手元にあった、食べのこしの湿気た菓子を勝手に食べようとした。
が、食べる直前に顔をしかめる。
「これ、ロウは食べたの?」
「食べたのはゲイブンだが……?」そこでロウは気付く。「おい、まさか!?」
「間違いなく、下剤が混じっているわね。無味無臭だし、どうもエルフ族が用いているものと同じみたい。何処からこれを貰ったのよ?」
「……ゲイブンが、恐らくは……」
「ハルハね……きっと」
ロウは思い出した。
「……アイツが腹を壊したのは、聖地から『神々の血雫・赫』がばら撒かれる……直前だったからな。壊していなければ、間違いなく見に行っていただろう」
「そう言えば、ハルハについて知っている?」
アイイナは足を組み直して微笑んだ。ロウは無愛想に、
「知らんし興味も無い」
「本日付で帝国十三神将に復帰したのよ。しばらくは『逆雷』のお爺様の下っ端扱いになっちゃったけど」
「だから何だ」
「それでね、『結婚相手』を探しているんですって」
「誰とでも結婚すれば良いだろう」
「ブンちゃんと結婚したいって本人が言っていたけれど、貴方これを聞いてもそんな態度でいられるのかしら?」
――ロウの手から杖が滑り落ちた。
「ゲイブンは……未成年、だぞ……?」
「勿論成人したらよ。でも今から狙っているみたい。素直で嘘をつくのが下手くそな、純情で可愛い子が好みらしいから」
「犯罪だ!」
とロウは蹲って手探りで杖を探しながら叫ぶ。
「そうだ!巫山戯るな、どう考えたって犯罪じゃないか!ゲイブンだって嫌がるに決まっている!ああそうだ!間違いなく嫌がるに――」
その彼に杖を拾って手渡してやりながら『昏魔』は冷静に指摘した。
「ねえ、それって性格が悪い所為で全くモテない素人童貞の僻みじゃないのかしら?」
一番言われたくない言葉を言われて、ロウは爆発した。
「煩い!黙れ!出て行け!」
『んまあああああああああーーーーっ!』パーシーバーも激怒する。『このパーシーバーちゃんが愛するロウを侮辱したわねーっ!?もう許さないわ、泣いて謝るまで足の裏をくすぐる刑よーーーーーっ!!!!』
「それじゃあ、また明日来るわねぇん」
と『昏魔』は手をヒラヒラとさせながらよろず屋アウルガから出て行こうとしたが、それと入れ替わりにバズムが顔を出す。
「何じゃあ、誰じゃと思うたら貴様か、驚かせおって!」
とバズムは大声を出した。
「あらお爺様!どうしてよろず屋アウルガに?……陛下から関与厳禁を命じられたはずでは?」
「ん?済まんのう、ワシもこの頃急激に耳が遠くなってのう?
ところで陛下は何とお命じだったのじゃ?」
『んまあああああああああーーーー!!!!!痴呆老人の振りをして全部無かった事にするつもりだわっ!』
「このクソ爺!約束を反故にしやがったな!」
ロウとパーシーバーは立ち上がって怒鳴ったが、このたたき上げの軍人相手にそんな怒鳴り声はひよこの鳴き声と同じである。
ズカズカとよろず屋アウルガに入ってくるなり、
「んー済まんのう、何を言ったのか良く聞こえんかったわい!――ところでおいロウ、遊郭に行かんか。全部奢ってやるぞ」
ロウもパーシーバーも呆れてしまった。
この図々しさと大胆不敵さと恐ろしいまでの勘の鋭さで、この老木は嵐や暴風雨の中を生き残ってきたのだ。
「あらまあ、お爺様、今日もお元気なのねえ……」とアイイナまで顔を呆れ半分にしかめる。
「行きたいのはやまやまだが、今日は駄目だ」とロウは寝台に座り込んだ。
「何じゃあ、らしくも無く拗ねおって。この前の礼もある、マダム達にはたっぷりと金貨を渡さねばならん」
「違うんだ、これからテリッカ姫様を連れて貧民街の道案内をしなきゃいかんのさ」
ゆっくり首を振ってからロウは杖に両手を乗せ、その上に顎を乗せて呟く。
「『貧困をやっつける事は出来なくても、尊厳まで捨てなくて済む道を探したい』ってな」
「要するに、『真面目に生きていたらきっといつか報われる』と言う身勝手な希望じゃな」とバズムはロウの隣に断りもなく腰掛けて、「でも、貴様だってクノハルちゃんが報われたから、尊厳を拾えたんじゃろう?」
「そうかも知れないな」とロウは小声で呟いてから、ふと気付いたかのように訊ねる。「爺さんも……そうだったのか?」
「ワシか?ワシは昔の事過ぎて、何にも覚えてはおらんのー」
ロウの肩をぐいっと抱きしめて寄せながら、バズムは笑って答えるのだった。




