第276話 彼の宿願、彼の原因②
気付けばコルスは何処に行くにつれても、タルヤンを連れ歩く様になっていた。何をやらせても完璧にこなすからだ。コルスの身辺警護からお供から補佐まで、見事なくらいに。
「ええと、今日の予定は――」
「午前中は帝国城で皇太子殿下に謁見して御相談役、昼はアニグトラーン家当主と会食、午後は学問所と練武所の運営費用についての会議が二つ、夕食はあのフースサ将軍が相手ですのでくれぐれもご機嫌を損ねないようにお気をつけ下さい」
「……私の両親でさえ、君が息子ならどれ程良かったかと嘆くのも納得だ」
黄昏れているコルスの背中を押して馬車に乗せた後、護衛としてタルヤンは同乗しながら言う。
「ですが私ではフースサ将軍には気に入られませんので」
「それだって君の武術の腕前をご存じないからだろう……」
まだ拗ねているのかとタルヤンは呆れた。ゆっくりと馬車が動き始める。
「私がネロキーアにいるのは、コルス様がいるからですよ」
「分かっているんだ、でも羨ましくて。学問も武術も君に並ぶ者はいない。それなのにこんなにも謙虚で……ううう。とうとう妹にまで言われてしまった、私は君に教えを請うべきだと……」
「私はコルス様を誰よりも尊敬していて、コルス様にお仕えできる事が何よりの幸せなのですけれどね」
それはお世辞でも何でも無い、タルヤンの本音だった。
彼のおかげでタルヤンはもう一度笑う事が出来るようになったし、エルフ達によって破壊された尊厳を取り戻せた。相変わらず女性は苦手だが、側に近寄られるだけで鳥肌が立つ事も無くなった。
何より大貴族の貴公子としては、少し抜けた所のあるコルスの補佐や護衛をしている時が、彼の一番安堵する時なのだ。
確かにコルスは貴公子としては劣っている所が多いかも知れない。だが人として信用が置けるかどうか、それについては――タルヤンはもはや疑いも恐れもしないでコルスを信じる側に立つだろう。
仮にその所為で処刑される事になったとしても、コルスと言う人の在り方を裏切る方が余程に辛いのだ。
「うう……少しだけ救われたよ。それにしても、一体いつタルヤンは私を裏切るのだろうね……?」
しばしあって自尊心を取り戻したコルスは、不思議そうな顔をしてタルヤンの顔を見つめた。
「まだ、『裏切るけれども裏切らない』と言う顔をしているのだが……?」
「コルス様を裏切るのは……考えただけで辛い事ですね」
そう言って貰えただけで私は幸いだよ、とコルスは微笑んだ。
――結局タルヤンは最期までコルスを裏切る事は無かった。
彼が裏切った相手は、コルスの甥――タルヤンも我が子同然に可愛がっていた第十二皇子テオドリックである。
「テオの武術師範を探しているんだが、タルヤン、頼まれてくれないか」
「……」
いつもであれば、『仕方がありませんね』なんて言いつつも快くコルスからの頼みを引き受けるタルヤンも、即答できなかった。
第十二皇子テオドリックに問題がある訳でも、その師傅になる事に不満がある訳でも無い。身に余る栄誉だった。
しかし『赤斧帝』が急病の後、人が変わったようになってから――あれ程に親しかったコルスとの間にも亀裂が生まれ、溺愛していたと言っても過言ではなかったアマディナも疎ましがり、当てつけのようにアーリヤカを寵愛するようになっている現状。
本当にコルスの側を己が離れてしまって良いのだろうか。不安で堪らなかったのだ。
「コルス様、私は……」
「ヴァンは両親から愛された記憶を持っているが、テオには……『赤斧帝』から疎まれた記憶しか無いのだ。これからも、無いだろう」
ゾッと背筋が寒くなって、思わずタルヤンはコルスの顔を見つめていた。
「コルス様!」
「私に出来る、全ての手は尽くした。タルヤンも知っているだろう、ありとあらゆる手を尽くしたんだ。それなのに、陛下のお顔に『帝国史上最悪の暴君』と書かれているのは変わらない……」
「そうだとしても!」
「かと言って私が逃げれば、陛下に歯止めを掛ける事が出来る者は一人もいなくなってしまう。やらねばなるまい」
そうだった。
タルヤンは絶望しながら痛ましいくらいに理解した。
コルスはこう言う人だった。
何て好ましくて何て愚かなのだろう。
だからこそ、まともであった頃の『赤斧帝』からも頼りにされ、人望があり――彼だってそんなコルスが大好きだったのだ。どうしても嫌いになんてなれなかった。
「お供させては、頂けないのですか」
タルヤンの懇願、いや直訴に、コルスはしばらく困ったような顔をしたまま何も答えなかった。
握りしめたその拳だけが震えている、重苦しい沈黙の後で、コルスは呟いた。
「君の願いを、裏切ってしまって……本当に済まない」
「先生、タルヤン先生」
第十二皇子テオドリックはタルヤンにすぐに懐いた。元々コルスに彼が従っていた頃から面識もあった。兄皇子であるヴァンドリックの後ろを鳥の雛のように付いて歩き、ヴァンドリックがいない時はコルスやタルヤンにベッタリと甘えるのだ。
それが無意識に父親の愛を求めているからだと察したタルヤンは、あまりにも彼が不憫に思えてならなかった。
テオドリックはまともに『赤斧帝』と会話した事さえ、数回も無いのだ。
いや、下手をすれば『そんな名前の皇子もいたな』程度の認識であろう。
ヴァンドリックからは同母弟として大層可愛がられているが、幾ら英邁だろうと彼もまだ少年、父親のように弟を愛するなんて無理な話である。
「殿下、一度冷静になって剣の刃の向きをお考え下さい。剣は平らな鉄の塊ではありませぬ。そのまま振り下ろされてもほんの少し側面からの力が加わるだけで外れてしまいます。」
「むう。……それに、ほんの少し体の向きを変えるだけで回避できてしまうな」
確かに不憫ではあったが、決して不遇にしてはならないとタルヤンはテオドリックに精一杯の知識や武術を教え込んだ。テオは賢い子であった。めきめきと知識を吸収し、武術の腕前を磨いて育っていった。恐らく異母兄の誰よりも大成するだろうとタルヤンは見込んでいた。
テオドリックは合理主義を好んだ。『誰がやっても同じように理で証明できるもの』が好きだった。ただ力任せに剣を振るのではなくて、剣の重さや剣を振りかぶる予備動作、剣を振る速さ、腕の動き、体捌き、その一つ一つにキッチリと最適解を求めるのだ。
凄まじい集中力と、並ならぬ鍛練が必要な事であったが、テオドリックは楽しそうであった。
「武術の『型』とは先人達が編み出した最適解の一つなのです。その場合に最も相応しい体勢や攻撃手段を答えの一つとして提示する事で、目の前の敵を迅速に倒し生き残るための――」
その日の鍛練の後、タルヤンは座学で説明する。
「『型』か」
「いつか殿下が全ての『型』を修められた時、殿下が新たな『型』を生み出しても面白いやも知れませんね」
「……ただ」
テオドリックは流れ落ちる汗を拭い、少し哀しそうに呟いた。
「その『型』を用いてでも、僕にやりたい事があれば良かったのに……」
「殿下……」
コルスやネロキーア公家ももはや無く、アマディナも心を病んで神殿に入ってしまった今。
テオドリックの側にはタルヤンしかいなかった。
つい先日にあれ程慕いあっていたユルルア姫との婚約も破談にされ、テオドリックには皇太子である兄とタルヤンしか親しい者は一人もいなくなっていたのだ。
おまけにアーリヤカ達からは執拗に虐められ、命を狙われて。
「私は……殿下に御味方いたします」
「うん、先生については僕は何も疑っていない」
タルヤンは本気で呆れた。
本当にテオドリックのこう言う所はコルスの甥なのだと痛感させる。
「……せめて疑った上でお信じ下さい。この後宮は伏魔殿なのですから……」
「でも先生は僕をいつだって裏切らないだろう?」
そこだけは少年らしい無邪気な顔で、テオドリックはタルヤンを見上げる。
「殿下……」
何だか呆れたような、安心したような気持ちになって、タルヤンはテオドリックの頭を撫でたのだった。
――テオドリックが兄である皇太子ヴァンドリックを庇ったがために『赤斧帝』の命令で処刑されたのは、この数日後の事である。




