第274話 月からのメッセージ
精霊獣オラクルが震え始めた。
『素早き略奪者の仮面の下の素顔を見てはなりません……そこにあるのは友愛の末路……。
今宵こそ最高神様の咎は許されて…………「月」へ……………………………………
「我らの庭」へ還っておいでになる……』
「オラクル?どうしたの……?」
皇后ミマナが怪訝そうにオラクルを見つめると、彼女はいつにも増して神がかった様子でこう告げた。
『――私は、マヨミ月神である。今はこの精霊獣オラクルの声を借りて下界に言葉を届けているのだ』
ミマナは目を見開いたが、皇帝の側に控えていたレーシャナもキアラカも驚いたのだった。
「この威厳あるお声は……?!」
「一体、何処から……?!」
精霊獣を従える者にしか基本的には感知できぬはずの精霊獣の声が、二人にも聞こえている。
真実、神が降臨なさったのだ――伏しながらもミマナは割と冷静に考えている。
されど、何のために神が降りて下さったのか?
『全ては太古に起きた、悲劇を起因とするものである……』
オラクルを依り代にして、月神は語り始めた。
『――かつてエルフ族はドルフェリス王国を作り、そこで暮らしていた。されど、ある人間の国との戦いが起き、国は滅びの危機に立たされた。
その頃、人々に「固有魔法」は無かった。しかし追い詰められたエルフは実験を繰り返した結果、幼いエルフの娘の体を「固有魔法の太祖」とする事に「成功」したのだ』
「『固有魔法』の『太祖』……」
同様にひれ伏しながらも『昏魔』が口にする。
「最初の『HE‐LL1‐ANN』の保持者にした……と言う事でしょうか?」
月光が差し染める中、月神は頷いた。
『そうだ。そのエルフの娘は、圧倒的な魔力を得、全ての「固有魔法」を扱う事が出来た。神々にも匹敵する力の持ち主となったのだ。……力は持ったものの、幼い娘の心は、実験とその変化に耐えきれなかった』
「……!」
聞くに堪えず、キアラカは襲撃の時からずっと抱いている娘キアラーニャを、より強く抱きしめた。
マヨミ月神は神々しく威厳のある声で、託宣を続ける。
『心を砕かれたその娘が固有魔法を得て真っ先に行った事は――一人、時を「復元」で遡り、己が祖先たるドルフェリス王国の太祖を殺害せしめる事であった』
「お、お待ち下さい!」レーシャナが青い顔をして、「僭越ながら申し上げますが……それでは矛盾が、齟齬が生じまする!」
そう。
矛盾があると仮定しなければ、一切の説明が付かない程のパラドックスが生まれてしまうのだ。
『是である。我らにさえ手が出せぬ程の矛盾が生まれた。世界が一度は壊れ、真二つに割れてしまう程の』
「「「!!!」」」
そこにいた誰もが絶句した。
まさか世界が二つあったとは。
一つの世界が二つに分かれたとはと、完全な意表を突かれたのだった。
いや、精霊獣は確かに『異世界の記憶や知識』を持ってこちらの世界に来るのだが――。
『……。直撃を受けた世界……いや、「異世界」と言っておこう。異世界では文明が全て滅び、数が多かった人間以外の種族は絶滅した。時間軸と次元は過剰かつ極限まで乖離し、完全なる別の世界として永遠に隔てられてしまったのだ』
「マヨミ月神様、では、『こちらの世界』は……」
レーシャナが目を見開き、口元を押さえて呟く。
『我らの主……うぬらの呼び名では「最高神アド・マベ・ルフェー」様が、神々の禁忌を破ってまで救おうとなさった結果、今までどうにか続いておるのだ』
『禁忌』だなんて恐ろしい言葉を聞いたキアラカが、震えながら訊ねる。
「神々の禁忌……とは何でしょう」
月神は目を伏せた。
もしや我らには話せぬほどの禁忌だったのだろうか、もしや人が訊ねた事は不敬に当たらぬだろうかと、誰もが不安になる程の沈黙の後で――。
『我ら神々は――地上の世界に「特定の場合」を除いて意図的に干渉してはならぬ。何があろうと、断じてだ。……だが、最高神様だけは『こちらの世界』の命が滅びる事を決して受け入れられなかったのだ。それが長きに渡る咎を受けるとご存じであっても尚、最高神様は御手を差し伸べられ、只一人を残してお救いになった』
「只一人を残して……?」
神は聖地を見上げた。
近くて遠い、そこにいる誰かを想っているかのように。
『爆心地にいた、固有魔法の太祖たる幼いエルフの娘だ。その娘だけには、最高神様の御手も届かなかった……』
ミマナは呟く、
「まさか、エルフが子を為せないと言うのは……」
『…………。爆心地にいたが故……世界の分かれた際の時と次元の歪曲、諸々の因果律の破綻等の直撃を受けて、エルフだけは次代に命を繋ぐ事が出来なくなってしまったのだ』
誰もが沈黙に呑まれる中、神だけは帝都を見下ろして言う。
『今宵、最高神様は我らの庭にお還りになる。「落人」として地上の世界に追放され、人の身に封じられて長年に渡り咎を償われた最高神様が、ようやく――。この月の光が輝く夜の合間は、我ら神々もそのお出迎えのために、地上の世界に干渉する事を許されているのだ』




