第265話 過去は消せなくても④
それから5年後にロクブは上級官僚の試験を突破した。
たったの5年で受かるなんて奇跡的だと誰もから驚かれた。
帝国城では『入れ墨潰し』と嘲られはしたが、ロクブは平然としていた。
本当に恐ろしい事は人々からの嘲笑では無い。信頼と義の喪失だ、と良く分かっていたから。
――それから更に数年もが過ぎた頃、ロクブはコルスに再び呼び出された。
正に、この世の何もかもを呪い恨んで壊そうとした『乱詛帝』を討って『赤斧帝』が即位した頃であり、問題は山積みではあったものの、帝国城は明るい雰囲気に包まれていた。
「実は、知人から見合いの仲介を頼まれてね。ただ……子は望めないかも知れないんだ」
「それより、その……。『入れ墨潰し』で良いと向こうは言ったのですか」
「君の部下の一人に縁者がいるんだが、その者から君がずっと真面目にやっていると聞いたそうだ」
「ですが……」
「貴族と言ってもそれ程身分は高くないし、何より君の経歴を知った上で頼まれたんだ。一度会ってみなさい」
見合い相手のニチカに最初に会った時、言われた言葉をロクブは一生覚えているだろう。
「話は伺いました。私は貴方がした事を許すつもりも、一緒に罪を償うつもりもありません。でも、最期まで貴方の側にいる覚悟ですから」
そうだ。そうだった。
許されるとか贖罪とかそんな綺麗事は、所詮は己の自己満足でしか無いのだ。
側にいてくれて、独りぼっちにしない事。
家族を孤独にしない事。
それ以上の『救い』なんて、彼には最初から存在しなかったのだ。
そのままニチカの元へロクブは婿入りした。彼にとっての蜘蛛の糸がもう一つ垂らされたのだ。
若くしてコルスが『赤斧帝』の怒りに触れて、ロクブ達を育んでくれたネロキーア公家ごと潰された後も、彼がどうにか生きていられたのは単に彼女がいたからである。
嫁いで3年で子が出来ないからと離縁されたニチカは、ロクブと結婚しても中々子が出来なかった。子がいなくてもいずれ養子を取れば良いとロクブは思っていたのに、コルス達が処刑された後で息子と娘を産んだ。
きっと生きていたら名付け親になって貰えただろうに、とロクブは涙が止まらなかった。
今日もニチカに尻を蹴り飛ばされ、ロクブは情けない悲鳴を上げている。
やんちゃな息子の面倒を見て、ヒイヒイと疲労困憊して、娘のおしめを替えている最中に漏らされて、泣き出しそうになって。
それが彼に残された最後の蜘蛛の糸だから、決して離さないように――もしも離す時は血の池地獄に落ちる覚悟でしがみついているのだ。
「家族、家族!」キアラードは腹を抱えて笑った。「『家族』を裏切った貴様の口からその言葉が出てくるとは!ああ何て可笑しい!」
そうやってしばらく笑った後で、真顔になって告げる。
「冗談にしては全く笑えませんけれどね?」
「貴様ァ!」
思わず抜刀しかけたギルガンドをロウが杖で叩いた。
「止めろ。まだ俺達は部外者だ」
『これ、どうなっちゃうのよ……っ』
パーシーバーが固唾を飲んでいる。
「家族を捨てた癖に家族に対して未練がましい貴様が、『家族』を口にするのも可笑しいとは思わないのか」
低い声で『幻闇』が呟くと、ピタリとキアラードは笑うのを止めた。
「――キアラフォルエ」
薄雲がかかって、月光が陰っていく中、お互いの赤い目だけが輝いている。
「貴様に捨てられた時にその名は捨てた」
とキアラフォは言い捨てた。
我が子から名を捨てたなんて言われて、キアラードの目が燃えるような赤色になった。
「親不孝者が」
親不孝だ?
どうしても許せなくて、キアラフォは逆に食ってかかる。
あれ程に『捨てないで』と泣いて頼んだのに先に彼らを捨て、親子の縁を切ったのはキアラードだからだ。
「親が子を捨てる事についてはどう考えている」
キアラードは氷が凍てつくように激怒した。
「断腸の思いで血の池地獄から逃がしてやったのに……」
断腸の思い?
それは何かの役に立つのか、と煽ってからキアラフォはキアラードの核心を言い当てた。
「それはキアライアを血の池地獄の中で死なせてしまったからだろう」
キアラードの愛した女は、祖国を滅ぼされた後、心を病み、体を病み、最後は気が狂ったまま死んでいった。
「生みの母親まで侮辱するつもりか?」
――これ程に激しい応報を繰り広げているのに、両者の声には全くと言って良い程に抑揚が無い。
親子喧嘩にしてはあまりにも血みどろであった。
これが骨肉の争いなのか、とロクブは震えた。
「貴様は親の都合でしか姉さんとボクを見なかった。ましてやあの女は滅んだザルティリャの悪夢ばかりを見ていた」
悪夢。
その言葉にますますキアラードのまとう空気が凍っていく。
「――あれは全て事実として起きた事だ」
彼はその目で見たのだ。悪夢のような現実を。惨劇を。
その耳で聞いたのだ。虐殺された同胞の断末魔を!
それでもキアラフォは止まらない。
「黒い果実のように木々に王族が吊された事?河が何日も赤く染まり草原が血浸しになった事?それとも無理矢理血を飲まされた吸血鬼が生きたまま日光で焼き殺された事か?ヤハノ草の草原が焼き払われるのを消そうとして、何人も火の海の中に飛び込んだ事か?何もかもが破壊され、ただ殺されていく人々を見て『乱詛帝』と精霊獣パペティアーが大笑いしていた事か?それとも他のどれだ?」
「……」
キアラードの赤い目が限界まで見開かれる。
僅かに物音がした。
合図を受けて、潜んでいる吸血鬼達がいつでも襲いかかれる様に武器を構えたのだ。
『ロウ!このままじゃ……っ!』
パーシーバーはロウの手を握りしめる。
――バン!と机を叩いてキアラフォは立ち上がった。
そして声の限りに怒鳴った。
これでもかと怒鳴り散らした。
「良いか、クソ親父!それでも姉さんは『乱詛帝』の直孫に嫁いで子を産んだんだ!父親だった癖に娘の覚悟を侮るな!どれ程にされた事が許せなくても子にまで地獄を見せるのは間違っている!親同士の因果に子を巻き込むな!良い迷惑だ!
いや、ボク達だけじゃない、クソ親父だって『そうだった』だろうが、ええ!?」
「黙って言わせておけば良いように!」
臨界点を超えたキアラードも立ち上がった。
『今よ、ロウ!』
その瞬間、ロウが杖で思いっきり床を突いて大きな音を立てた。
張り詰めた殺気を破裂させたのだ、あたかもシャボン玉を潰すように――。
「親子喧嘩なら外でやってくれ。俺達には何も関係ない」
内心では冷や汗まみれなのを隠しきり、まるで道端の犬猫の喧嘩に出会したかのように、酷くつまらなさそうな声で言い捨てる。
その隣ではギルガンドがほぼ抜刀しかけていたが、爆ぜるように殺気が潰れたので、そのまま刃を鞘に収めた。
「「……」」
キアラードとキアラフォはゼイゼイと荒く息をしながら、辛うじてお互いに睨み合ったまま『対峙』するに止まっていた。




