第253話 襲撃
その日も聖地リシャデルリシャには大勢の巡礼者が押し寄せ、ひしめき合っていた。
人々の噂は天翔るような早さで伝わり、今や帝都、帝国各地だけに収まらず遠い他国からも遙々と足を運んでくる者もいるくらいだった。
聖奉十三神殿の拝殿から天高く延びる巡礼路を通って、今朝も巡礼者達が運ばれてくるのを蔑みの目で見下ろしながら、
「それで……ハルハちゃんが裏切っていたと言うの?」
最高大神官の一人サルサは、うんざりした顔で――聖奉十三神殿の最高管理者であるハイエルフ、ナルナに訊ねていた。ナルナも、これまたハルハそっくりの顔をしている。
「はっ。アルア様のために巡礼者達から魂を奪う急ぎの計画を知った所、我らを害してまで阻止しようとしたのです」
サルサは一層、眉間にしわを寄せた。
「ああ、嫌ねえ。ハルハちゃんは優秀なハイエルフだったのに、ダークエルフのようにニンゲン如きに染まって堕落してしまったんだわ」
そこで甲高く叫んだのは最高大神官の一人にして大巫女のタルタである。
サルサよりは少し幼い顔立ちをしているが、彼女もまた世界最高齢の長寿者の一人であった。
「だから言ったでしょう、サルサ姉様!ハルハなんて信じては駄目だって!あの目を思い出しになって?アレは下界の食物を食べ下界の水を飲んだ挙げ句――下界に魂はおろか肉体の全てが堕して染まりきったダークエルフ共と同じ目つきでしたのよ!」
サルサはますますうんざりした顔をして、
「でもタルタちゃん、貴女よりハルハちゃんは優秀だったのよ?上手に帝国城に入り込んで、今まで疑われもせずにこちらへ情報を流していたのだもの。その間タルタちゃんは永遠の若さだけを追い求めていて、何にもしなかったじゃない」
金属質な声でタルタは喚く。
「まあサルサ姉様!何て酷い事を!大巫女たる私が誰よりも若く美しくある事の、何が悪いと仰るの!?」
「何かを主張したいのだったら少しは私の仕事を手伝いなさいな、タルタちゃん」
「サルサ姉様!そうまでして私を悪し様に言うのならば――」
――言い争っていた二人が突然口を閉じ、扇で口元を隠して同じ方向を見やる。
その視線の先から、王者のごとく威厳のあるハイエルフの女が歩いてきた。
「何をやっている?」
サルサが平伏して報告する。その隣ではタルタも同様に頭を垂れている。
「これはアルアお姉様の『代理人』様……実はハルハが裏切っていたのです。ですが、その処理も終わったとの報告があった所です」
「ふん」と鼻先でハイエルフの女は嗤った。
この威圧感が凄まじいハイエルフの女こそ、最高大神官の一人にして聖地の女主人アルア・ユトゥトゥゼティマルトリクスの『代理人』である。アルアは亡くなったハルハの母であるはずなのだが、この『代理人』は彼女の死を知ってこう言った。
「そんな些事に構うな。『隷械獣』達の覚醒はどうなっている?」
「恙なく進んでおりますわ。もう三日ほどで全てのハイエルフに行き渡る事でしょう」
「可能な限り急げ。何をやっても構わぬ故、疾くせよ」
「「はっ!」」
とサルサとタルタの姉妹は声を合わせて返事した。
「ところで皇帝は何と返事をしてきたのだ?サルサが下ってから一週間は過ぎたと思ったが……」
「未だ何の返答もありませぬ」
「では手頃な皇女を攫ってこさせよ。見せしめとして帝国城の真上で処刑してくれるわ」
「でしたら、皇帝の溺愛する皇女キアラーニャ等、如何でしょうか?赤ん坊の体は『ヘルリアン』にしても大して魔力を貯蓄出来ませぬ故」
「何でも構わぬ。疾く行え」
皇女キアラーニャ宛てにまた皇帝から贈られた玩具の山を見て、こんなにあったのでは娘が何人居ても到底遊びきれないと溜息をついた皇妃キアラカだったが、ふと微笑むと――お気に入りの人形を振り回しつつもご機嫌にしているキアラーニャへ近付いた。
「ねえ、小さい人。貴女のお父様は貴女の事を本当に愛していて下さるのよ……。沢山愛されて、幸せにおなりなさい」
喃語なので何を言っているのか分からないが、確かに返事があった。
それから小さい娘は彼女を見てニコッと笑った。
「まあ!」
思わず彼女が娘を抱き上げて頬ずりした所で、ふわっと柔らかなそよ風が吹き抜けた。
その中に彼女は甘く高貴なバラの香りを嗅いで、思わず辺りを見渡して香りの元を探した。
吸血鬼である彼女の好きな花は蘭、それも紫色の大輪の蘭である。
娘キアラーニャについては、散々試した所で、牡丹の花が一番好みらしい。
故に、彼女達が暮らす後宮では蘭と牡丹が大量に植えられているのだった。
しかし、香りの元となった花も、人もいない。
何時ものように大勢の女官と宦官が働いているだけだ。
「……お父様」
彼女達と縁を切った父親と、早くに亡くなった母親が、それぞれ白と紅のバラの花が大好物だった事を思い出して、彼女は小さな声で呟き、思わず涙ぐみそうになった。
「……」
「あっ!?」
そこで彼女は背後の気配に驚いて振り返った。
年齢も正体も不明だが、膝を突いて彼女達に敵意は無いと示している者がいたのだ。
「……もしかして、『幻闇』かしら?」
その者は一度頷いたかと思うと、彼女達を庇うように前に進み出て、笛を吹き鳴らすと同時に懐から短刀を抜いたのだった。
「!?」
その笛の音は緊急事態を知らせる笛の音だった。
瞬く間にキアラカとキアラーニャは駆けつけた大勢の女武官や宦官に庇われ、囲まれた。
「何者ぞ!出て参れ!」
キアラカが怯えた姿を見せまいと、震えを抑えて毅然と言い放ったのとほぼ同時に、空から武器を手にしたエルフ族が数十人は降下してきたのだった。
「居たぞ!」
そのエルフ達は不思議な筒を持っていた。その筒は雷のような音を出し、筒を向けられた先の女武官や宦官の体に大穴を開けて血を飛び散らせ、一瞬で絶命させた。
だが、キアラカ達は運が良かった。
「――『霧』!」
『幻闇』が固有魔法を放った途端に辺りが濃霧に包まれたのだ。
「「しまった!」」
「こちらです、皇妃様!」
キアラカは女官と宦官達に促され、その隙にどうにか逃げたのだった。
バラの香りがますます強まっていく……。
『幻闇』は次々とエルフを仕留めながらも、どう言う事だと困惑していた。だって、この匂いは間違いようが無い。彼らの父が愛した白バラの――。
「エルフはとうとう人間にも牙を剥きましたか」
声がした。この声は間違いない!
『幻闇』はエルフを倒し続けながら声の主に接近する。
――背後から一撃で仕留める!
「キアラフォルエ、そんな未熟な腕前でどうするのですか」
しかし彼の一撃は代わりにエルフに命中して、絶命させた。
「もう良いでしょう」と手を打つ音がして、『霧』が突風に吹き飛ばされる。
「……貴様」
『幻闇』は脂で切れ味の鈍くなった短刀を入れ替えてから、もう一度身構えた。
地獄横町を牛耳る者の一人、暗殺組織『スーサイド・レッド』の党首キアラード。およそ帝国城にいてはならぬ男が、当たり前のような顔をして立っていたからである。
「まあ聞きなさい」とキアラードは『幻闇』を挑発するように、優雅に椅子の一つに腰掛けて、余裕たっぷりの態度で言う。「私は孫の顔を見に来ただけですよ。姪っ子の顔を見に来たお前のようにね」
「……」
『幻闇』が黙っていると、キアラードは白バラを取り出して、香りを嗅ぐように精気を吸った。
「さて、我らが亡国ザルティリャでも、エルフ族が何を行ったか知っていますか?」
少なくとも、もはやエルフ族は帝国にとって友好的な存在では無くなった。皇妃キアラカと皇女キアラーニャの襲撃は明確な敵対行為だ。更に、竜人族の王国エルデベルフォーニの疫病絡みでの疑いもある。
エルフ族が――ザルティリャ王国でも、何かの非人道的な行為をしていたとしても一切不思議では無い。
「……」
しかし、このキアラードが快く帝国に協力すると言うのも考えにくい。地獄横町を牛耳る者の一人だからだ。
「事実が知りたければ、あの男の身柄を寄越しなさい」
「あの男……?」
「ロクブですよ。あの男は『スーサイド・レッド』から足抜けした……その報いは必ず受けさせねばならない」
「!」
『幻闇』が絶句した次の瞬間、どう、と突風が再び吹き抜けたかと思うと、キアラードの姿は完全に消えていた。精気を吸われて枯れた白バラ一本だけを残して。
「ハルハが……処刑された?」
アイイナから知らされたフォートン、ロクブ、カルポは絶句した。帝国においては、皇帝の許可無く死刑に処すると言う事そのものが重大な法律違反である。
しかも処刑されたのは内通の嫌疑がかかっていたとは言え、彼らの同僚。
「どうしてだ!」
カルポが思わずそれを知らせに来たエルフ族の神殿騎士に詰め寄ると、
「彼奴は我らエルフ族の禁忌を犯したのだ」
と尊大極まりない返答だった。
「されど皇帝陛下のご許可も無く」
「エルフ族の重大な禁忌を犯したのだ」
「重大なその禁忌とは何だ」
「秘密故他言は出来ぬ」
そこまで黙っていたフォートンだったが、
「埒が明かない」
と呆れたらしく席を立って部屋を出て行ってしまった。
「……ハルハが……」ロクブは目から光を失っていたが、どうにか穏やかな口調で神殿騎士に言う。「ともかく、聖地からのお客人を無下には出来ませぬ。直ちに歓待の準備を整えますが故――」
「そんなものは不要だ。ハルハの居室は何処だ?荷物を引き取らねばならぬ」
「……」
「……」
カルポとロクブは目を見合わせて、揃って困ったような顔をした。
「官舎にございますが、何分、部外者には『臨時立ち入り許可証』を発行せねばなりませぬ」
「すぐに手続きして参りますが故、しばしお待ち下され」




