第245話 最高大神官の一員
ハイエルフの中でも3人しかいない最高大神官の一員、サルサ・ユトゥトゥゼティマルトリクスはハルハの叔母だとされている。
柔和な顔立ちの彼女は、歴史書によれば齢500を下らぬ世界指折りの長寿者の一人なのだが、見た目はハルハと同じくらいに若々しかった。親族とあって、二人ともまるで双子のようにそっくりである。もしもハルハを徹底的に洗濯して、胡散臭さを綺麗に抜けばこのような美しいエルフの女になるのだろう。
サルサは大勢の仮面を付けたエルフ族の神殿騎士の隊列を引き連れ、まるで女王のように上品かつ威圧的に歩んできたが、皇帝ヴァンドリックの前に立つ。
軽く一礼するが平伏はせず、皇帝を薄いヴェール越しに見つめてから、優美に、感情を見せずに微笑んだ。
「さて、余計な挨拶は要らないでしょう。端的に本題からお伝えします」
「――神々より帝国の今の為政についての警句を賜ったとか」
ヴァンドリックはあくまでも礼儀正しい態度を崩さない。礼儀は時として己を守る盾となる事を彼は分かっているからだ。
「そうなのです。我が妹、最高大神官の一人にして大巫女のタルタがしかと神々のお声を聞いたと言っておりましたので」
「ふむ。どのようなお声だったと?」
「ご存じのようにこのガルヴァリナ帝国は2代の長きに渡り、暗君と暴君が支配しました。神々はそれを甚くお嘆きになり、そして一つの断を下されたそうです。帝国はもはや皇族が統べるべき地では無い、と」
「仮にこの帝国より我ら皇族が悉く去ったとしよう。その次の為政者には誰が相応しいと神々は仰せであったか?」
「相応しい者を遣わすまでは我らハイエルフが留守を預かるように、と」
「「!!?」」
その場に居た全ての貴族だけでなく、高等文官と高等武官までもが同時に激高した。
一度も戦いもしないのに、帝国を、その国土を、全ての臣民を無条件で無料で引き渡せと要求したのと同じだったから。敗戦の挙げ句に皇族や貴族が皆殺しにされ、新たな統治体制が構築される方がまだ屈辱的ではない。
先祖代々が守ってきた国土を蹂躙され、子々孫々に至るまでの全ての国民を永代の奴隷にされても文句さえ言えない。戦わずに国を明け渡すとはそう言う事である。
「――」
しかし怒鳴りかけた彼らをヴァンドリックの一瞥がすぐさま黙らせた。
その鋭い眼差しが相変わらず無感情に微笑んでいるサルサを見据えて、
「では、従わぬ場合はどのような神罰が下るのであろうか?」
「かつて竜人族の王国エルデベルフォーニは恐ろしい疫病で滅びましたが、それよりももっと恐ろしい神罰が下るでしょう、とタルタは言っておりました」
「それは由々しい事だ。すぐに対応を検討しなければならないだろう。だが事が事であるが故今すぐのお返事は叶わぬ事は了承願う。それまで、しばしこの帝国城に滞在されるが良い。ハルハに案内させよう」
そのハルハの顔色は、蒼白であった。額に脂汗さえにじませながら、糸目を薄く開いて皇帝と最高大神官を見つめていた。
サルサは丁寧だが無感情に言う、
「いいえ、お返事下さるまで我らは聖地を帝都の上に留めておきます。ハルハに告げればいつでも階を作ります故、答えが出るまでどうぞ熟考願いますわ」
「ハルハ、あれはどう言う意味だ?」
会見が終わってエルフ族が聖地に引き上げていった直後、モルソーンがハルハの胸ぐらを掴んだ。いつも温和で、その強さの割に争いを好まぬ男が、今だけはまなじりを決している。
「私の故郷が滅びたあの惨劇が!よもや神罰で!神々の思し召しだったとでも大神官が言うのか!」
「……」
ハルハは答えない。苦しそうに喘いで、真っ青な顔色をしているだけだ。
見かねたヴェドがどうにか両者を引き離してモルソーンを抑えたが、モルソーンは阿修羅の形相のままである。
「それこそ神々に誓っても良い!事実と違っていたら私こそが神罰を受けよう!
私達の上に神罰を受けるべき咎など一つも無かった!もし有ったとしても、女子供に至るまでがあんなに苦しんで死ぬ必要など――!!!!」
このままでは拙いとヴェドがハルハを連れて下がった後。
「……そういやモルソーン。アンタの国を滅ぼした疫病だけど、どんな症状だったんだい?実際に見たアンタから教えて欲しい」
トキトハが訊ねると、モルソーンはしばらく黙ってから項垂れた。
「まずは熱だ。酷い高熱が出て悪寒に震える。運良くそれで死ねる者もいたが、問題はそこからだ。体に発疹が出来て、爛れる。私達の体には鱗があるだろう?鱗でない皮膚が全部真っ赤に腫れ上がる。そうなるともう地獄だった。痒い、痛い、熱い、そう繰り返しながら体中を血が出て肉が見えても掻きむしって――」
「感染経路は?」
「看病した者が、また次々と倒れた事くらいしか……」
「じゃあモルソーンはどうして無事だったんだい?」
「分からない。たまたまエルフの神官が分けてくれた薬が、奇跡的に効いたのだろうと思っているが……」
「……。モルソーン」少し考えた後で、トキトハは告げる。「あたしは医者として古今東西の難病奇病について一通りは知っているつもりだ。だが、エルデベルフォーニを滅ぼした大疫病については、全くと言って良いほど他にも文献にも症例が無いんだよ。感染力の凄まじさも致死率の高さも大変な脅威だが、最大の問題はそこじゃない」
「では、何だと言うのだ」
モルソーンは少し落ち着いてきた。トキトハの態度が何時もの太々しいそれだったからだ。
「あくまでも記録を見る限りだがね。よりにもよって『屈強』の加護を授かっていた竜人族だけが罹患して倒れたのに、人間には一人も感染しない病なんて、この世にはあり得ないんだ。だってあたし達人間は、どの種族とでも子を成せるくらいに肉体的には近しい存在なんだからさ」
「っ!?」
「精霊獣が語った話だが……異世界には、恐ろしい人殺しのための病があったらしい。生物兵器、って言ったらしいんだが。病を兵器にするだなんて何て物騒で余りにも惨い話だと思うが……もしかしたらかも知れないね」
聖地に戻ったサルサはヴェールを外してから深く嘆息して、
「ハルハちゃんはあんな汚らわしい下界で、良く窒息せずに生きていられるわね」
と扇でゆらりゆらりと風を送りながら、呟いた。
じっとハルハは叔母サルサの前で跪いて頭を垂れていたが、答えて、
「慣れとは恐ろしいものですからねー……」
「ああ、やだやだハルハちゃん。体中を洗浄していらっしゃい。さもないとダークエルフになっちゃうわよ」
ハルハはまだ頭を上げないで、「それは……想像しただけで嫌ですねー」と小声で言う。
「それにしても」とサルサは呆れた声で、「ハルハちゃんも汚らしい連中の間に放り込まれて大変よねえ。アルア姉様の『代理人』も何をお考えなのかしら。数少ないハイエルフをあんな所に送り込むなんて……無駄遣いの極みじゃあ無いの!」
「ニンゲンと言う種族は汚くて醜いですが、危機や環境の変化にすぐさま対応して生き延びる力だけはありますからねー。何より皇統には精霊獣が発現する事があるので、万が一の事態に対処できる私が選ばれたのでしょうー」
ハルハがそう言うと、サルサは突然ご機嫌になった。
「ええ、ハルハちゃんは実際とてもお利口で賢い子だもの。ハイエルフの中でも選りすぐりの一員。この計画が成功さえしたら、貴女にも『隷械獣』を授けるようにアルア姉様の『代理人』に私から進言しますからね。そうしたら貴女だって……」
その時、エルフ族の神官の一人がやって来て、
「帝都より我らが聖地への巡礼希望者が殺到しておりますが、如何されますか?」
サルサは顔をしかめた。
「何時ものように聖地への階を上らせた所で礼拝させて帰しなさい。そうそう、掃除と浄化は欠かさないようにね?短命なニンゲンごときに聖地に近寄られるだけで、本来ならばこれ以上の屈辱は無いのだから……」




