第240話 姉妹の反省
「……私のした事は、間違っていたの?」泣き出しそうな、弱々しい声でテリッカは呟いた。「正しい事を、良い事をしていた……と思っていたのに」
「正しい事や良い事とやらが、この現実に即しているかを考えもしなかったのか?」
『偉そうで厳しい事を言うけれど……。でも、こうやって言われないとこの子はまた繰り返しかねないわ……』
「……」
「ここの連中は善意や好意をいつまで経ってもむさぼり食う。性善説なんて真っ先に捨てて、な。そもそも人間は自分の力で得ていないものについては惜しげも無く浪費できるんだぞ?」
「……」
「いや、馬鹿馬鹿しいにも程がある。
この国でも最高の教育を受けたはずの皇女殿下に、どうして俺ごときが説教しているんだか」
『ええ……。誰よりも教育を受けたはずなのに、どうしてこんな危ない事をしたのかしらねー……っ』
そう言うなり、ロウは寝台に寝転んで足まで組んでしまった。モリエサは黙って妹の頭を撫でた。
「……知っているでしょうけれど、私達の母親は『赤斧帝』の愛妾だったのよ。一番身分の低い寵姫だった……」
泣きそうだが、辛うじて堪えている声で、テリッカが話し出した。
「だから、私達は自分の力で生きていけるようになりたくて……ずっと頑張ってきたのよ」
「テリッカ……」
モリエサは目を伏せた。
後ろ盾の弱い彼女達がもしも皇子だったら、とうの昔に毒殺されていただろうし――何かをやらねば、何かの成果を出さねば、利用価値さえないと誰からも嘲られたままだった。
でも、そのやって来た事が――まさか助けようとしてきた先の人々によってここまで否定されたら、これから妹はどうすれば良いのだろうか。
「なのに、それが間違っていたの……?」
テリッカの消えそうな言葉に対して、ロウは、さあな、と呟いて、
「人の生き方の正誤なんて俺の知ったこっちゃない。自分で決めた事を自分で責任を負って自分でやれば良いだけじゃ無いか。どうせ何時死ぬかも分からないんだ、やりたい事をやれば良い」
「……やりたい事……」
テリッカは目元を拭ってから、
「……。それでも、私のやりたい事は変わらないわ。理想的だ夢想的だって、貴方は馬鹿にするでしょうけれども」
ロウは嘲りも否定もしなかった。
「俺は人の夢まで馬鹿に出来る程、お偉くは無いさ。……うん?」
『あら?いくらゲイブンでも早すぎないかしら?』
馬の蹄の音が遠くから聞こえてきたかと思うと、すぐに戸を蹴破るようにして登場したのは帝国十三神将が一人、『逆雷のバズム』であった。
「姫様方!」と将軍は叫んだ。
「『逆雷』!どうしてここに?」
モリエサの安堵の声に答えるように、嘶くブレイ号を宥めながら、ゲイブンの暢気な声が外からする。
「おいらが、娼館帰りの爺様にたまたま出会したんですぜ!」
「護衛も無しにうら若い姫様方が貧民街を歩く等と、何と言う危険な事をなさったんじゃ!」
ガミガミと怒られても姉妹は小さくなって謝るしか無い。
「まだ素っ裸で槍衾に突撃した方が余っ程に命があるわい!」
「「ごめんなさい……」」
バズムは柄にも無く、深いため息をついてから、
「……諸々の責を問うのは後じゃ。今は姫様方を無事に帝国城へお連れせねばならぬ。おいロウ、付いてきてくれぬか」
「仕方ない。爺さんにはいつも世話になっているからな」とロウは起き上がった。
彼らが貧民街に出た所で、バズムに仕える密偵であるキアラフォが走ってきた。
「バズム様!城に急ぎの連絡を送りました!姫様方は!?」
『あっ!?この前の不合格の赤点密偵君じゃないの!』
「この男が危うい所を助けてくれておったわい」
キアラフォはムッとした顔で、ブレイ号の手綱を引いているゲイブンと、その後ろで戸締まりをしているロウを交互に睨んだ。
「貴様ら……!」
「あっ、キアラフォじゃないですか!元気だったんですぜー?」
無邪気に笑いかけるゲイブンに近付くなり、キアラフォは胸ぐらを掴んだ。
「金輪際ボクに関わるなと言ったはずだ!」
次の瞬間、嘶きどころではない、正に肉食獣のように猛々しく咆えたのはブレイ号だった。
あまつさえキアラフォに襲いかかろうと前脚を大きく浮かせた。
「「きゃああっ!?」」
悲鳴を上げて腰を抜かしたのは皇女達である。
「ブレイ号!おい!」
慌ててバズムが落ち着かせようとしたが、何時にも増して言う事を聞かない。
「っ!?」
狼狽えるキアラフォ目がけて襲いかかると、ブレイ号はそのまま踏み潰そうとした――。
「どうどう!」
しかし、ゲイブンがそう言って、ぐいぐいと手綱を引いた瞬間、力が抜けたように前脚と頭を下ろした。
まだ殺気だった目つきをして鼻息を荒くしているが、ゲイブンは宥めるように馬面を撫でてやって、
「うんうん、おいらのために怒ってくれて有り難うですぜ。でもあんまり怒ると鞭で叩かれちゃいますぜー。何よりお姫様達を怖がらせたら駄目ですぜー」
そう落ち着かせるために声をかけてやっていたら、やがてブレイ号は興味を無くした様子でキアラフォから視線を外したのだった。
「「「「……」」」」
声も無い一同の後ろで戸締まりを終えたロウが、ゲイブンに声をかけた。
「姫様達をその馬に乗せられそうか?」
「うーん、まだ難しそうですぜ。もうちょっとコイツが落ち着いたら、聞いてみますぜ!」
「そうか。とにかくここにいると危険だから、帝国城に向かうぞ」
『……ゲイブンってば、凄いわねーっ。きっとトロレト村でもこうやって……』
「へいですぜ!」
「……そうだったのか」
ロウからゲイブンの壮絶な過去を聞いたキアラフォは、隣で何時ものように無邪気に笑っているゲイブンを見た。
「あの時は、済まなかったな」
『あーっ!?ようやくゲイブンに謝ったわね?このパーシーバーちゃんが特別に3点だけあげるわ!』
ゲイブンは明らかに――トロレト村の時からいつだって、不運にも巻き込まれただけの被害者なのだ。
キアラフォの迂闊さ故にピシュトーナの陰謀に巻き込まれなければ、犯罪組織にトロレト村が滅ぼされなければ、今頃だって草原で家畜の群れを追って家族と幸せに暮らしていただろう。
「気にしなくって良いんですぜ!それにおいら、一人ぼっちじゃ無いんですぜ!」
「……そんなにそこの男は信じられるのか?」
『何よ!このパーシーバーちゃんの大事なロウに!もう、減点よ!マイナス300点だわっ!』
胡散臭さの塊のようなロウへ、振り返って顔をしかめてまでキアラフォが呟いたので、耐えきれずバズムは吹き出したし、馬上の姫君二人も声を出して笑ってしまったのだった。
おい、とロウは文句を言おうとしたが、
「わたくしは、この少年の認識閾値以下の存在として常に共にある」
――最初にゲイブンの異変に気付いたのはロウとパーシーバーだった。
青空に淡く浮かぶ月をゲイブンが見上げて、
「されど、間もなく故郷へ還る時が訪れるだろう」
ととても小さな声で呟いたのだから。
「ゲイブン……?どうした?」
『どうしたの?お腹でも痛いの……?』
くるっとゲイブンは振り返って、困った顔をして言った。
「おいらお腹が減ったみたいで……何か目眩がしてきたんですぜー」
『良かった……何時ものゲイブンだったわ!』
バズムはからからと大いに笑った。
「後でまた悲鳴を出すくらいに食べさせてやるわい!」




