第234話 一杯、やるか
「……クノハルはぁ、こんなになぁ……ちいっちゃくてぇ……3さいでぇ……ずっと俺といっしょでぇ……」
『そうよ、とってもちいちゃくって本当に可愛かったのよ……!』
呂律が完全に回っていない酔いどれロウを、既に満腹でグーグーと寝ているゲイブンの隣の布団に放り込んでから、ギルガンドはキバリと向かい合って飲み合っているクノハルと同じ長椅子の、すぐ隣に、素知らぬ顔をしてとうとう腰掛けてみたのだった。
そうやって自然体を装って隣に腰掛けたものの、クノハルが移動しなかったので、内心で『私の勝ちだ、ロウ』と彼は宣告したのだった。
「キバリさん、それで天邪鬼ですか」
「ええ。さもないと坊ちゃまは呪いが無くとも、若くして死んでしまうと思ったのです」
キバリとクノハルの二人は酒が入ったからか、酷く楽しそうに打ち解けている。
「おい、私はそう簡単に死ぬような弱者では無い」
まだ包帯と生傷まみれで、『裂縫』からは飲酒なんてもっての外だと言われていたが、構わずにギルガンドは杯を手にしている。
「死にかけた癖に」
すぐさまいつものように鋭い反論が飛んできて彼は隣のクノハルを睨みつけた。
「何のためだと!」
でも、次に帰ってきた言葉に、クノハルの目が潤んでいた事に――彼は黙り込むしかなくなる。
「それが分かっているから嫌なんだ。理屈とか論理とかでは無くて、情で嫌なんだ」
「……ふん」
「ねえ、クノハルさん」
キバリはそれを心底から微笑ましそうに見つめていたが、ややあって口を開いた。
「どうか坊ちゃまをお願いします」
クノハルはじっと老婆を見つめて、少し黙ってからこう言った。
「……まだ、結論は出ていないんです。ただ私は本気です。それだけは嘘じゃ無いと誓えます」
「ええ、充分ですよ」とキバリは上品に笑った。細められた目には少しだけ涙が光っていた。
帰還したバズムは、皇帝の元へ参上すると、そのまま跪いてこう言った。
「陛下、ワシはすっかり年老いてしまいました。この体も衰え、自慢の勘も鈍りました。次に戦ったならば必ず負けまする。どうかワシから将軍の任を解いて下され」
「大叔父上……」
皇帝ヴァンドリックは、目の前の白髪の男を見て……ふと昔を思い出した。
何度もこの男は幼かった彼に肩車をしてくれた。彼を背中に乗せて、自ら馬の真似事をする事もあった。
それで彼が喜ぶとひげ面をくしゃくしゃにしてもっと喜んでくれた。
その光景を彼の両親は微笑んで見つめていた――あの頃からもう、あまりにも長い時が過ぎてしまったのだ。
「……あい分かった。今までよく働いてくれた、感謝するぞ」
「勿体ないお言葉で……」とバズムはとうとう涙をこぼした。
「しかし大叔父上、今更退屈になるのもつまらないのでは無かろうか」
「……と、仰いますと?」
涙を拭って顔を上げたバズムに、皇帝は告げた。
「将軍の任は解くが、帝国城から去る事は許さぬ。少なくとも大叔父上の――帝国十三神将の後釜を見つけるまでは」
「何と!」とバズムは目を丸くして、少し考えていたが――にんまりと不敵に笑った。「……実は、一人、面白い男を見つけてござりまする」
「面白い?」思わず皇帝は身を乗り出した。「どう面白いと言うのだ?」
「いやに不思議な所があって、妙に得体の知れぬ男ですが信用はおけまする。
ワシが硬軟織り交ぜて調略します故、しばし陛下も報告をお待ち下され」
「ほう……。ちなみにだが、その者の名は何と?」
「ロウ。ロウ・ゼーザと申しまする。――いやあ、これは俄然楽しくなって参りましたぞ!」
張り切るバズムと微笑んでいる皇帝の所へ、ミマナ皇后が優雅にやって来た。
「あら陛下、『逆雷』と何のお話をされていたのですか?」
バズムはすっかりと大きな雑犬に成り果てて、これでもかと尻尾を振っている。
「これはミマナ皇后様、ご機嫌麗しゅう!この老いぼれに生き甲斐を『小さい陛下』は与えて下さったのです」
「まあ、それは良かったわ……」
彼女はたいそう優美に微笑んでから、
「ところで陛下、急ぎお知らせしなければならない事が三つございます」
皇帝は顔をやや険しくする。
「聖地リシャデルリシャでエルフ族が何やら企んでいる件の続報か?」
「ええ、トラセルチアでついこの前に国王陛下が崩御された後も、葬儀の時に奇妙な動きをしていたと……」
むう、と聞いていたバズムが渋い顔をする。
今さっきに彼はもう将軍では無くなったから、馬に跨がって不埒者共を追い回す事も出来なくなってしまったのだ。
「そちらもすぐに対応しよう。次は?」
「『怪盗アルセーヌ』なる不埒者が義賊を謳い、各地の悪徳貴族から色々と盗みを働いていたそうですが、その被害報告がとうとう帝都からも。やはり評判の悪い貴族からでしたわ」
ワシがもう十は若かったらとっ捕まえて根性をたたき直してやるんじゃが、とバズムは残念に思った。
「ふむ……念のために訊くが、『シャドウ』では無いのか?」
「ええ。『シャドウ』の目撃報告があったのは逆に帝都だけでしたから、恐らく別人物かと」
少し残念そうに頷いてから、皇帝が最後の一つを促すと、
「実は――」
と呟いて、とても美しく、慈愛深い顔をしてミマナ皇后は己の下腹部を見下ろし、そっと手をやった。
それだけで察した皇帝ヴァンドリックは目をまん丸に見開き、今度はバズムは天を仰いで、おんおんと大声を上げて泣き出した。
「もうワシはいつ死んでも悔いは無いわい……!」
「ミマナ!私のミマナ!」
勢いよく皇帝は立ち上がって、皇后を力一杯抱きしめる。
「陛下、苦しいですわ」
と彼女は笑いながら愛する男に文句を言った。けれどそのまま彼女は彼によって抱き上げられて、くるくると回される。
「ミマナ、愛している!」
「全く陛下ったら……人前でそんなに感情的になられてはいけませんわよ」
――結局。
処罰されて宦官となったフォートンが、本気で呆れたような顔をして見守る前で、その回転はミマナが『目が回って気分が悪い』と訴えるまで続いたのだった。
Third Chapter END




