第228話 strategize jinx
――ホーロロ国境地帯の森林に兵を潜ませ、じっと機を窺っていた『逆雷のバズム』だったが、ふと何かを感じて周囲を不審そうに見渡した。
「将軍?」
声を潜めて兵士達が訊ねると、彼はいきなり両耳に手を当てた。しばらくそうやって周囲から音を拾っていたが、
「誰じゃ!何じゃ!?何をしておるんじゃ!?」
と突然の大声を出した。
「将軍、お声が、」
バズムの固有魔法である『以心伝心』で各員に伝えれば良いのに、何故大声を!?
混乱しつつも伏せている兵士達の頭上で、がさり、と何かが枝を鳴らした。
「……何じゃい、誰かと思ったらトウルか」
とバズムは慌てもせずに見上げて言った。
「流石は将軍閣下、いつもお見通しで」瞬く間にトウルがするすると木を伝って降りてきた。敵意が無い事を示そうと、両手を大きく挙げて、「もう仮設の橋が架かって、道も空いたそうですよ」
「ワシは確かに早くやれとは言ったが、そこまでの人数は割いてはおらぬのじゃが……」
「どうも勝手に『賢梟』閣下が指示したんでしょうねえ。物見が言っていたんですが、もうすぐあちこちの住民を含めた4万は来るそうですよ」
「増援4万か!」
バズムの顔に僅かに安堵が浮かんだが、彼は兵の数だけで油断するような迂闊な男では無い。
「ただ、俺達としてはこの辺りでは絶対に戦って欲しくないんですよねえ。万が一にもヘルリアンが増えようものなら、帝国に対してまた部族衆は反感を抱きますよ?だってその事後処理はほとんどこっちでの負担ですからねえ」
貴様も変わっておらんな、とバズムは呆れてしまった。
「トウルよ、少しは言葉を選ばんかい!ワシはこれでも帝国の将軍なのじゃぞ!」
「――セージュドリック殿下にお考えがあるそうです」そうトウルから耳打ちされて、バズムの顔が改まった。「『巻き添えが嫌なら、直ちに大砦へ兵を下げて欲しい』って仰せでしたから」
「……分かったわい」
バズムは密かに撤退の指令を送る。兵士達が素早く動き始めた所で、
「それで、元気にやっとるのか」とトウルに小声で訊ねた。
「姉さ……じゃない、コトコカが太りました。飯と空気と水が美味いからって、ありゃあ幾ら何でも食い過ぎです。セージュドリック殿下も一気に背が伸びましたよ。俺はこの通りです!」
どう見ても心身ともに健康そのもの、むしろ元気が有り余っている様である。
「フハーハハハハハハハッ!」とバズムは愉快そうに大笑いした。「そりゃあ何よりじゃ!若い者はしっかり食って働いて寝るのが仕事じゃからなあ!」
――その頃、マーロウスント公国軍本陣にて。
「バズムは街道沿いの森の中に兵を伏せたようです」
「数は?」
「およそ1000程かと」
「策を弄するにしてもあまりにも小勢だ……また、罠があるのでは?」
ブォニートが養子ボレッテは、出陣を決めかねていた。
何しろ、これから戦う相手が相手なのだった。
今まで一度も戦場で負けた事の無い百戦錬磨の将軍バズム。
ほんの少し前にサンタンカンの戦いで七倍以上の相手を壊滅させた、不世出の戦の天才。
――それに対してこちらは、幾ら20万の大軍とは言え、所詮はどうにかかき集めただけの烏合の衆。ブォニート不在の今は貴族達の統率も上手には取れておらず、ボレッテも若輩故にその代理を務めるには荷が勝ちすぎている。
一応、総司令官としてブォニートが優秀な軍人貴族のアネーを任じているのだが、この男は運悪く貴族でも身分がとても低い家の出身だった。
それが総司令官の地位をいきなり得たとなれば、周りの――従軍している貴族達も高位であればあるほど面白くも何ともないから――軍紀違反さえ公然と行われている有様なのだ。
しかし――しかしだった。
これだけの数の軍隊を集めてしまったからには、何もせずに解散する事も出来ない。
ただでさえ、マーロウスント公国は正式に国家として周辺の国々からは承認されてはいないのだ。
その公国の体面をここで潰してしまえば、国として空中分解さえしてしまいかねない。
「養父上は、未だ戻られぬのか!」
ボレッテはさっきからその言葉ばかり繰り返している。アネーが宥めるように、
「幾ら罠であろうとこの数ならば押し切れまする。ブォニート公王様もこの時に動くよう厳命されておりました。直ちに出陣して、憎き『逆雷』を打倒し功を挙げましょう!」
実際、アネーが言った通りだった。橋を落とし道をも塞いで、帝国側の増援が来られぬ今この時に出陣さえしていれば、正に撤退している最中のバズム達を側面から圧倒的な多数でもって攻撃できたし、大砦さえも落とせたのだ。
「馬鹿を言え!」
しかし高位の貴族の一人が大反対した。反対したのは、よりにもよってブォニートの妻の一族の者であった。運悪くアネーへの嫉妬もあって、それをきっかけに反対する者は相次いだ。
「左様!相手はあの『逆雷のバズム』なのですぞ!」
「せめてもうしばらくは動向を注視すべきである!」
「ですが、」
と言いかけて、アネーは咄嗟にボレッテを見た。
彼さえ、代理に命じられたこの青年さえ『出陣する』と言えば――!
しかしボレッテは、しばらく考えた挙げ句に、こう言ってしまった。
「『逆雷』はサンタンカンで我らを誘引した。今回も其の手にかかってはならぬ!」
負けた、とアネーは公国の敗北を直感した。
『味方の足を引っ張る味方』が味方にいる時の方が、どれ程に強大で恐ろしい敵と戦う時よりも、遙かに厄介である事を彼は理解してしまった。
その事を理解すると同時に、この男は、前々から誘いのあった王太子ガレトンの顔を即座に思い浮かべたのだった……。
「大砦へ総員立てこもったぞ」とバズムがトウルに告げると、トウルは懐から笛を取り出して吹いた。
「トウルよ、何を笛の音に『付け足し』したんじゃ?」
トウルの固有魔法は『付け足し』である。放った矢に毒を付け足したり、炊事の際に調味料を加えたりと、一見は地味な固有魔法に見えて、機転次第ではとても応用が利くのだった。
「『速さ』と『距離』です。全軍が配置に付いたと、セージュドリック殿下にもすぐに届くように」
「ほう」とバズムが頷いた直後。
まるで地響きのような圧倒的な鬨の声がした。
二人はすぐさま大砦のてっぺんに登り、マーロウスントの20万の大軍がサンタンカン渓谷を抜け、街道近くにある大砦へと――数多の攻城兵器を擁して押し寄せてくる、凄まじい光景を見下ろしたのだった。
「ああー……」とトウルはぶるりと震えた。「……こりゃあ、何度見ても震えが来ます」
「安心せい、そりゃあ武者震いじゃ」とバズムは大いに笑った。
『眠れ、眠れ、何もかも微睡みの中に忘れて……』
大軍の動きが完全に止まった。その誰もが次々と倒れた。気絶するかのように眠っていた。
セージュドリックの従える精霊獣『ドルマー』の『スキル:ララバイ』で――この一瞬で、無傷で、無力化させたのだ。
「何度見ても凄まじい力じゃの……精霊獣の『スキル』とやらは」
バズムは感嘆の声を漏らすが、トウルはあっけらかんと、
「逆に俺はこっちの方が見慣れていますよ。こっちに来た最初の頃は、コトコカが眠れなかったんで、よく眠らせて貰っていたんです」
バズムは取りあえずトウルを拳で小突いた。
「全く……失言まみれなのも変わっておらんのか!」
「あ、痛っ!?」大げさに痛がってからトウルは訊ねる。「――それで将軍、これからどうなさるので?」
「公都もどきとやらをな、ちいーっと脅かすんじゃよ、戦後の交渉が上手に行くように」
「なるほど、じゃあ俺はここで!」
去ろうとするトウルに対して、
「……おい。礼を言うぞ」
そうやって、小声でバズムは告げた。
トウルは振り返ってあっけらかんと笑う。
「いーえ!このホーロロで生きろと陛下が俺達を逃して下さった。たったそれだけの話ですよ!」




