第219話 spiral①
「何があった、何をされた!」
レーシャナ皇后様は、私に向かって、叱責に聞こえる激しい語調の異国の言葉を使いながらも、本当は誰よりも気遣って下さった。
「言えませぬ!」
「悪いようにはせぬ、どうか理由を言ってくれ!」
駄目なのだ。
私は不幸を招く存在なのだ。
こうやって私に本当の優しさで関わってくれた人を全員、不幸にさせて殺してしまう。
そうさせないために私に出来る事はたった一つ、彼らを拒絶する事だけだった……。
……そう思っていたのに。
「可哀想なロサリータ、どうして私を避けるの?」
知っている。
私に本当に優しい気持ちで接してくれた人は全員、不幸になって死んだ。
……サレフィが今もこうやって笑顔で私に微笑みかけられているのは、彼女のこの優しさが紛う事なき『偽り』だからだ。
『可哀想なロサリータを哀れむ優しい私』って思っているのよね。
可哀想なものを可哀想と哀れむのって、ええ、愉しいものね。
他人の不幸は蜜の味。貴方はその甘さに浸っているだけだわ。
だって私の不幸をどうにかしようとなんて、一度もしてくれた事無いものね。
ただ可哀想な私を安全なところから哀れんでいただけ。それだけだもの。
――思わずサレフィに『近づかないで、邪魔だわ』『もううんざりよ』『いい加減にして』と叫んで、私は突き飛ばした。
もう嫌だ。
私は生きている限り、こうやってずっと哀れまれて、周りを不幸にして、私自身も不幸なまま……。
もう笑顔で笑った事なんて、大昔過ぎて……覚えてもいない。
けれど、レーシャナ皇后様の所に大量の投げ文を持たせてやって来た『彼』を見た時、驚いた。
――彼は、もしかしたら!
朝、登校したら机の中に何かがあった。
手紙……?
役立たずの護衛達はこちらを見ようともせずに会話している。
また『サレフィを虐めるな』と言う内容の手紙だろうかと憂鬱な気分で開けたら、こう書いてあった。
『「ジンクス」について話を聞かせてくれ。昼休みの保健室、最奥の寝台』
私はお手洗いに行く振りをして、その手紙を粉々にした後で隠滅した。眠気覚ましのために顔を洗う振りをしながら、涙がこぼれた。
――もしかしたらなんて、奇跡を期待してはいけない事はよく分かっている。
それでも、私はこれ以上不幸なままでいたくなかった!
昼休みの保健室には予想通りに誰もいなかった。
私は護衛を引き連れていたが、気分が悪いと告げて寝台の上に横になった。カーテンで囲って貰い、完全に寝たふりをする。
『……。……ザ、……ザザ……聞こえるか?』
「聞こえる」
と押し殺した声で答える。枕の下に堅いものがあって、取り出してみれば小さな奇妙な装置だった。
『そうか。君がやはり「ジンクス」を従えていたのだな、ロサリータ姫』
あれから君について色々と調べた、と人気の無い教室の中で、オレ達は話した。
「君は普段は左利きなのに、あの投げ文は右手で書いたのだろう?」
レーシャナ皇后の所に預けられている彼女が、投げ文の件で訴えに行った時のテオとオレが一緒にいる光景を見ていたとしても、何もおかしくは無い。
『そうよ。もしも私の勘違いだった場合に、怪しまれたく無かったの。だからレーシャナ皇后様のお机から、悪いとは知っていたけれどお紙を借りて……』
「……。どうして精霊獣『ジンクス』と君は別れたんだ?」
精霊獣と精霊獣を従える者はほぼ一心同体と呼べるくらい、いつも一緒に、お互いの側にいるものなのに。
『「ジンクス」の「スキル:カタストロフィー」は……私にも上手く制御出来なかったの。範囲が広すぎて……巻き添えを大勢出してしまった』
「あの『スキル』は対象のステータスを著しく下降させるようだが」
『下降なんて可愛い代物じゃないの、最終的には人の本来の持つ力や運勢を、何も彼もをマイナスの値にしてしまうのよ。そうなったら……恐ろしい不幸が起きて、命まで奪われてしまう!』
「もしかして、地獄横町が燃えたのは……」
『火事で済んだのならまだ良かったのよ。まだ逃げられる可能性があるでしょう?
――最悪、そこに「ジンクス」が存在しているだけで、みんなみんな不幸になって必ず死んでしまう!』
「君のお祖母様、お母様、乳母、乳母子……」
『ええ、「ジンクス」が来てからみんな、私を愛してくれた人は全員不幸になって、死んでしまったの!私が殺したも同然なのだわ……。マーロウスント王国が凋落しているのだって、きっと私と「ジンクス」がいたからよ』
彼女はすすり泣いていた。
「それで君は、『ジンクス』と別れたのか」
『ええ。ブォニート伯父様はそれでも「ジンクス」が必要だと仰ったから……「ジンクス」も伯父様と魂を繋いだの』
「しかし君との魂の縁は切れてはいない。君と『ジンクス』が本当の意味で別れるのは、『ジンクス』が死んだ時のみだ。
何しろ、君こそが本来の精霊獣『ジンクス』を従える者なのだから」
『……要らない!「ジンクス」なんか要らない!みんなを不幸にするだけの「ジンクス」なんて!!!殺してよ!
お願い、私の「ジンクス」を殺して!!!!!』
オレ達は問うた。
「本当に「ジンクス」の仕業だろうか?」
『え……?』
「マーロウスントが凋落しているのは先々代国王と先代国王が愚王だった所為だ。これは有名な事実だ。それに本当に『ジンクス』の『スキル:カタストロフィー』でステータスがマイナスの値になった時に死んでしまうのならば、『ジンクス』と2度も遭遇した僕だってとうの昔に死んでいるはずだ。
聞くが――本当に君が愛した人達は『ジンクス』の『スキル:カタストロフィー』の所為で死んだのか?」
すすり泣きが止まった。
『……それ、は……』
「もしも僕が恐ろしい野心家で、君が精霊獣を従えていると知ったら――ありとあらゆる手段を使って君から精霊獣を奪おうとするだろう。君の周りの人間を次々と――己の妹も、生みの母親でさえも、手にかけてでもだ」
『っ!』
「……そうか。サレフィ姫は君の監視役でもあった訳か。道理であれほど君に否まれながらも哀れみを理由に近づく訳だ」
精霊獣と精霊獣を従える者には、凄まじいまでの利用価値がある。
表向きは人質として帝国に送り込み、逆に内部から帝国を瓦解させようと目論む野心すら抱かせてもおかしくはないくらいには。
『……ねえ、貴方にも精霊獣がいるんでしょう。どうして周りには隠しているの?』
どうして『不出来な第十二皇子』と呼ばれる事に甘んじているの、とロサリータ姫は訊いてきた。
「僕には秘密裏に目指しているものがある。今はまだ周りに打ち明ける時じゃない。必ず君を助けるから、君も秘密を守ってくれ」
『……そう』
ロサリータ姫はしばらく黙っていた。けれど、縋るような声で呟いた。
『もしも……もしも貴方達が、不幸になるだけの、「私達」の「ジンクス」をやっつけてくれたら……私は、もしかしたら、私達は………………………………………………………………』
その後は声にならなかった。枕の下に押し込んだのだろう、無音通信の子機がくぐもった音しか拾わなくなったのだ。
しかし、ややあってカーテンが開き、護衛共々、保健室を出て行った音がした。




