第218話 コロシアム
オレ達が顔に布を巻いて、未だに燻っている貧民街の建物の残骸の隅でうずくまっていたら、声をかけられた。顔を上げると、乱杭歯の男がオレ達を見下ろしていた。
「よお、金欲しくねえかあ?」
「金……くれんのか?」
喉も焼いて貰ったのでオレ達の声は今はしわがれているし、ロウの真似をして貧民街特有の抑揚で喋っている。
「そうさあ。俺に付いてきたら、両手いっぱいに金貨をくれてやるぞお」
オレ達は頷いて、男に付いて歩き出した。男は時々こちらを振り返ってニカリ、ニカリと笑いながら、
「あんた、顔はどうしたんだあ?火事の所為かあ?」
「……地獄横町に家が近くてよ……」
「そりゃあ災難だったなあ。だけどもう安心して良いぞお、飯も寝る場所もあるからなあ」
「お、お貴族様の召使いなのか、あんた……?」
「いやあ、俺がお仕えしているのは、もっと、もーっと凄い御方さあ」
ニカリ、ニカリと嗤いながらも男はオレ達を闇カジノの中に案内した。
「ここは、闇カジノじゃねえか……?」
「そうさあ、ここに、とっても高貴な御方がいらっしゃるのさあ」
男はどんどんと中に進んでいく。オレ達はその背中を追いかけた。
「なあ、何の仕事なんだ……?」
オレ達は恐る恐るといった様子で訊ねる。
「まさか、ヤバい仕事なのか……?」
「ところでさあ……」と男は振り返らずに言った。
「うん?」
「あんたも、知っているかあ?」
「な、何をだよ……?」
「『よろず屋アウルガ』のロウって男さあ。知っているかあ?」
「何だ、あんた、ロウさんの知り合いか。それなら先に言ってくれよ。あんまり人を脅かすなよ」
男は立ち止まって、ゆっくりと振り返った。
乱杭歯を剥き出しにしてニカリ、ニカリと獰猛に嗤っていた。
「やっぱりそうかあ。じゃあ、あんたも『コロシアム』で戦って死んでくれやあ!」
直後。オレ達の足下が開いた。
あっ!と声を出してオレ達は落下した。
地べたに叩きつけられて、うんうんと呻いているオレ達の頭上から、乱杭歯の男の笑い声が降ってきた。
「悪いなあ、俺はロウが大好きで大嫌いなんだよ。彼奴の全部が大好きで大嫌いなんだよ!あはぁはははは!」
「……こりゃまた、酷いな」
天井が元通り閉ざされてからオレ達は起き上がる。
そこは牢獄だったが、貧民街の住人達だったのだろう、粗末な衣服を着た者達の、引き裂かれた死体ばかりで埋め尽くされていた。牢獄のやや斜め上にある檻越しには地下にある円形の闘技場――その砂を巻かれた死に舞台が見える。
以前はここでは、闇カジノに来た観客のために『遊郭や地獄横町とは揉めない程度の催し』をやっていたのだ。例えばバニーガール(?)のポールダンス・ショーとか、18禁のグロテスクなシーンのある演劇とか。
「ん?」
とても微かな呼吸音がしたので、オレ達はそちらを見た。四肢を失った上に目まで潰された女が、ほぼ気絶するようにしながらも生きていた。その胸元には――ヤハノ草の模様が刻まれたペンダント!
「おい、しっかりしろ!」
オレ達は咄嗟に己の腕に噛みついて血を出した。
その血を女の口に垂らすと、女はややあって震えた。眼球が瞬く間に再生して、四肢も生えてくる。
精霊獣クラウンことオレを従えるテオの血だ、効果は抜群だったのだろう。
すぐに意識も戻ったようだ。
最初は虚ろだったが、すぐに深紅の瞳がオレ達を見据えて、
「また、連れてこられたのか」と言った。
「ここは闇カジノじゃないのか?何でこんな……」
「話は後だ。今は何時だ?」
「もうすぐ月が出る頃だ」
女は明らかに顔を険しくする。
「マズい、逃げるぞ」
「どうやって」
「開けてやる」
女は鋼鉄の檻を力任せにねじ曲げてコロシアムの舞台へと這い出した。オレ達もその後に続く。
「あッ!?」
「脱獄者だゾ!」
直ちに、マーロウスントの訛りのある叫び声が上がったと思うと、警笛が鳴り響いた。
「獣を放ツのだ!獣使い、ヤれ!」
向こう側の檻が開いて、飢えた巨大な肉食獣が数頭、躍り出た。
「くっ――」
と歯がみする女の前に、オレ達は庇うように進み出る。そして小声で告げた。
「キアラードがあんたの帰りを待っている」
一瞬驚いた顔をする女の目の前で、オレ達は、飛びかかってきた肉食獣達の下敷きになったのだった。
見るからに高貴そうな身なりの観客達――何処かで見た事があると思ったらいずれも『赤斧帝』に侍った佞臣達だった――が、顔をコロシアムの舞台から背けている娼婦達を侍らせて、オレ達が必死に抵抗しているのを愉しんでいる。
服を引きちぎられ、手足を咥えられてオモチャのように振り回され――。
「あの女も殺せ!」
「もっと獣を放て!」
要請に応えて、今度はファンファーレが鳴り響き、あまりにも巨大な――動く岩山のような猛獣の檻が開けられたのだった。
その猛獣は一目散に女に突進し、女は咄嗟に避けたが、勢いに煽られて転倒した。
観客は凄まじい大歓声を上げた。
猛獣はぐるりと向きを変えて、もう一度女めがけて突進する――だが、閃光と共に放たれた魔弾によって頭を打ち抜かれ、高く吠えながら横倒しに倒れたのだった。
「な、何が起きた!?」
「誰の仕業だ――!」
観客の響めきと混乱が広がる中、オレ達は堂々とコロシアムの舞台のど真ん中に登場したのだった。
「誰と聞かれたら応えてやろう」
「ガン=カタを愛する者として!」
「何処から入っタ?」
「何者ダ!?」
「いや、これも催しの一部でしょう」
「ははあ、面白い!」
「よりにもよって『道化師』を登場させるなど――」
「仕留メろ!」とまたファンファーレが鳴って今度はコロシアムの舞台に色々な武器を持った戦士達が降りてきた。降りてくるなり、オレ達に襲いかかる。
「ガン=カタForm.16『タワー』!」
一体多数はオレ達の、ガン=カタの十八番だ!
「――っ!?」
笑っていた観客達が顔色を変える。
オレ達と交戦した戦士達がなぎ倒されるかのように全滅したからだ。
「これは……これはどちらかと言うと宜しくないのではありませんかな?」
「『公王』!あれを迅速に片付けさせるのです!」
観客達の視線の先、高みにある特等席にいた男が、頷いた。マーロウスントの訛りで、そして、顔には大きな傷があった。
この男――この特徴的な大きな傷痕は、マーロウスントの僭主ブォニートじゃないか!
「無論でスとも。――『ジンクス』、ヤれ」
『来ないでって……言ったのに……』
その精霊獣『ジンクス』がコロシアムに登場した瞬間、オレ達に異変が起きた。
「っ!?」
魔弾が、出ない。違う、オレの『ステータス』がこの一瞬で信じられないくらいに下がったのだ。
ステータスの下降は止まらない。いつもならテオの歩けない足をオレが補っているのに、それさえもうすぐ出来なくなる……!
『マズい、マズい、このままじゃオレの力が全部無くなっちまう!歩けなくなるぞ!』
「……かくなる上は!」
オレ達はありったけの力で催涙効果のある煙幕弾を放つと、吸血鬼の女を抱えて逃げたのだった。




