第216話 二重生活
「よし、決めた」
帝国第一高等学院の保健室で昼休みを過ごしていたオレ達は、ようやく腹を決めた。
「闇カジノに潜入する」
「……え、テオ様……今、何て?」
「決めた。僕が闇カジノへ偵察に行く」
少しウトウトとしていたユルルアちゃんの顔色がオレ達の言葉を聞いて、仮面越しにもジワジワと悪くなっていくのが分かった。
「何も情報が無いに等しいのに、一人で行くなんてあまりにも危険ですわ!」
「暴れはしない。敵が精霊獣なのかも知れないのだから、あくまでも偵察だ」
「でも!」
「奴等は地獄横町に火を放った。最悪、貧民街が全て燃え尽きても構わないと思ってやったんだ。これ以上野放しにすれば、次に焼かれるのは遊郭だ。遊郭の近くには『よろず屋アウルガ』がある……。
これほど危険な連中なのにだ、こちらが奴等について得ている情報はあまりにも少なすぎるとは思わないか?」
「……」
ユルルアちゃんは今にも泣き出しそうな目をしていた。
彼女にこんな顔をさせた罪悪感は相当にある。
だが、オレ達はもう下がれなかった。
「それに昨夜、地獄横町に火を放たれた今が、僕が潜入できる唯一の狙い目なんだ」
「……どう言う意味ですの?」
オレ達はユルルアちゃんの手を握って頼み込んだ。
「君の『劇毒』で僕の顔を跡形もなく焼いてくれ、ユルルア」
精霊獣を従える者は、その精霊獣が消えるまでは本当の死を迎える事は無い。
『赤斧帝』が正にそれだった。それこそ猛毒を盛られようが、首を刎ねられようが、たちどころに再生したらしい。
それ故に――圧倒的な破壊力を誇る精霊獣『タイラント』を殺しうる者がその時にはいなかったが故に、両者を引き離して封印・幽閉するしか無かったのだ。
『乱詛帝』もそうだったのだが、精霊獣を従える者は先に精霊獣を討たない限り、完全に斃れる事は無いのだろう。
オレ達も同じだ。
オレことトオル――精霊獣『クラウン』が消えてしまうまで、相棒テオドリックは決して死なない。処刑された時の大怪我はどうしようも無かったが、オレ達が一緒にいる間の傷は即座に治せるし、致命傷で無ければあえて治さないように遅延させる事も出来る。
体の痛みばかりはどうしようも無いが、ああだこうだと戯れ言を言っている余裕は無い。
「昨日の火事で、顔に火傷を負った者だって少なからずいる」
ユルルアちゃんが激しく頭を振った。
「嫌、それだけは!私がテオ様を傷つけるなんて、それだけは!」
「夜明けまでには戻る。どうしても君でなければ駄目なんだ」
「でも、でも!!!!」
「仕方ない、では自力で顔を焼くとしよう」
まるでオレ達が虐めたみたい(※実際その通り)だが、ユルルアちゃんはしくしくと泣き出してしまった。
「…………うう、ううっ……お、お顔は治りますの?」
「心配要らない」
「痛みは……?」
「君からの痛みなら喜んで」
あっ、相棒が本音を言った。
このドM男の変態野郎め!
そこは『悦んで』の間違いだろうが!
「…………どうしても?」
「君で無ければ駄目なのだ」
――おい、保健室に誰かが近づいてくる。それも数人!
「誰か来る!」
「!」
オレ達は慌ててユルルアちゃんの膝枕で昼寝をしている振りをした。
数人がドヤドヤと入ってきて、怪我の治療をしているのだろうか、消毒液の匂いがした。
「……ゴメン、ナサイ」
可憐で弱々しい、何処かたどたどしい声がした。
「いえ、我らの責任ですので」
「全くロサリータ姫の癇癪には困ったものだ!」
「レーシャナ皇后様に報告は?」
「昨日も書面で提出したとも。激しく叱責なさったらしいが、今日もこの通りだ!」
「いくら王国が凋落している原因が公国だとは言え、この学院で嫌がらせを続けるならば我らが帝国の沽券に関わる!」
「いっそロサリータ姫を登校停止処分にすべきでは無いか?」
よく言うよ。護衛のお前達がしっかりと引き離さないからだろうが。
「何の騒ぎだ?」
オレ達が保健室の奥の寝台から声を出してカーテンから顔を出すと、サレフィ姫とその護衛達は驚いた顔をした。
「これは第十二皇子殿下、実は……」
またロサリータ姫がサレフィ姫に言い掛かりをつけて、突き飛ばしたらしい。それで足を擦りむいたんだと。
「事情は分かった。それで、言い掛かりを付けられて突き飛ばされるまでの間、護衛の君達は何をやっていたんだ?」
「「……」」
気まずそうな顔をする。職務怠慢だと認めたくは無いんだろうな。
どうも身振りや態度からすると、ただ七光りだけでこの地位に就いた門閥貴族の子弟らしい。
皇族の僕が言うのもおかしいが、一族のコネと贔屓だけで高い地位に就いた者には職務怠慢が多くて困る。
「アノ、カレラヲセメナイデ、クダサイ」
サレフィ姫が目を潤ませてオレ達に懇願する。ユルルアちゃんがこっそりとオレ達の手を強く握った。
「ワタシガ、ゼンブ、ワルイノデス……!」
安心しろ、この手の女はオレ達も生理的に気持ち悪いから……。
「その通りです」
オレ達がマーロウスントの公用語で全肯定してやると、案の定サレフィ姫は目を丸くした。
「話を聞けば、君は学級が違うにも関わらず、毎日のように自らロサリータ姫の所に訪れては騒動を引き起こさせている様じゃないですか」
「それは、そんなつもりじゃ」
「ロサリータ姫に近づけば邪険にされる。必ず騒動になる。まさか、未だにその事を学習できていないのですか?それとも全ての人間とお手々を繋いで仲良く出来ると都合の良い夢でも見ていらっしゃるのか?仮にも『公女』であらせられるのに、そのような夢見がちな態度で今まで無事にやってこられた理由をとくと伺いたいが?」
護衛の連中がポカーンとしていたかと思ったら、オレ達に、
「殿下、あの、何と……?」
やはり、マーロウスントの公用語を学んでいないのだ。
マーロウスントの要人の護衛として、明らかに人選が間違っている。
大声でオレも言いたくは無いけれど、貴族出身者にはアホが多くて困るんだよな……。
「酷い、酷い!そんなつもりじゃ無いのに!どうしてそんな酷い事を言えるの!?」
そんなつもりじゃ無かろうが、その結果を考えずに人前で言葉を発している時点で、貴様は人の上に立つ者として失格だ。
「では、どのようなおつもりなのか伺っても?」
「あの子は私がいないと駄目なのよ!いつも不幸だから私が側にいて慰めてあげないといけないの!」
「それで?」
「可哀想なのよ、あの子は!お祖母様も、叔母様も、乳母も、乳母子も、みんなみんなあの子の所為で不幸になって死んでしまったの!だから私が側にいて、『可哀想』って慰めてあげないと――」
「『公女』殿下、貴方は己より可哀想な対象を見つけて哀れみ見下す事で、内心で我知らず愉悦を感じているに過ぎません。それは慈悲でも何でも無い、ただの自慰行為の一種ではありませんか?」
絶句したサレフィ姫にテオは言う。
ユルルアちゃんが俯いて震えている。
済まない、君に『自慰行為』なんて本当にはしたない言葉を聞かせてしまって……。
いや、笑いを堪えてくれているぞ。助かったな。
「案外、貴方が側にいる方がロサリータ姫にとっては余程『可哀想』であって――環境が変わって、彼女はそれに気づき始めたのかも知れないな。とにかく学院で騒動を起こす事は推奨できない。率先して関わらぬ事だ」
「この○×△×××ピー――野郎が!」
あっ、本音が出た。ついでに手元にあった消毒液の瓶を投げつけてきた。
オレ達が避けたらユルルアちゃんに命中するので、仕方なく当たった振りをする。
「ぐっ!?」
「テオ様!」
ユルルアちゃんの悲鳴。
一連の光景に護衛の連中が慌てる。皇族のテオに危害を加えられたのをボケーッと見ていたって事で、己の馘首について心配しているだけだろうがな。
「サレフィ姫!?」
「いかん、外に――!」
護衛の連中がどうにか暴れ喚く彼女を保健室から連れ出して、やっと保健室から落ち着いた。
「安心してくれ、無傷だ」
消毒液の瓶を拾って、オレ達はユルルアちゃんに囁く。ユルルアちゃんはオレ達にぎゅうっとしがみついて、
「あの女の顔こそ……真っ先に焼いて爛れさせたいですわ……」
この闇ンデレと、愉悦も哀れみも入る余裕さえ無い、重すぎて奈落の底にすら一瞬で堕ちるほどの一途な愛情が本当にテオにとっては非常に嬉しいらしい。
え、オレはって?
オレはとても怖い。裏切ったら彼女は確実にオレ達をぶち殺しに来るから。
「君にここまで愛されて、僕は本当に幸せ者だ」




