第203話 それは嫌だ、あれも嫌だ
「珍しく文が来たと思ったら、知り合いの……手傷を負った牛引の童のために医者を派遣して欲しい、か……」
カドフォ公家の跡取りである貴公子ヌスコは、直ちに一門に所属する優秀な医者を手配させてから、再び、自室で妹からの文に目を落とす。
「いや、深く詮索するまい。ユルルアが帝国とカドフォの繁栄を遮らぬならば、何であれ、助けると決めたのだから。しかし惜しい事だ、『劇毒』の使い道は医術に限らない……」
麻薬のように人を依存させて下僕の様にも出来るだろうし、広い大地や河を汚染させる事も出来る。吐息に混ぜればすれ違いに対象を暗殺するだろう。
「全く、私よりもあの子の方が『毒冠』と呼ばれるべきだったかも知れない」
そこまで独りごちると、ヌスコは手紙を――末文に小さく書かれてあった通りに、焼いて灰にしてしまったのだった。
キアラカ皇妃に呼び出されたギルガンドが、その足下に跪いたか否かの瞬間、彼女は威丈高に言った。
「ギルガンド。『よろず屋アウルガ』に用も無く入り浸っているそうですね?」
明らかに問責の声色だった。
「陛下から密命を賜っておりまする」
「あんな貧民街のよろず屋相手に、一体何の密命が?」
「密命でございますれば皇妃様にも口外出来ませぬ」
「それを言い訳に、クノハルからは執拗な付きまといを受けているとの訴えがあったわ」
思い出した。あの女はキアラカ皇妃様とは旧知の仲だった……。
「いえ、あの女の方から私の前に現れるのです。帝国城でもやたらと目に付きますし、向こうから睨んで来るのです。付きまとわれて被害を受けているのは此方にてございまする!」
「……まさか」彼女はギルガンドから視線を逸らして、揺りかごの中、今はスヤスヤと眠っている小さい人を見つめた。「まさか……よね?」
やっと己が被っている迷惑について、ご理解頂けたかとギルガンドが安堵した瞬間、キアラカ皇妃は彼を手招いた。
「ギルガンド、耳を」
「はっ」
彼が近付いて耳を差し出すと――扇に隠して、彼女はギルガンドに囁いた。
「貴方、クノハルに懸想しているのね?」
「違いまする!」と反射的にギルガンドは叫びかけたが、
「やっと(娘が)寝たのに!」と扇で頬を軽く叩かれて我に返る。
「し、失礼いたしました……」
「違うのならば、私の方から良い殿方をクノハルに紹介しておきます」
「……それは、」
「『嫌』なのね?」
「……」
嫌だとはっきり答えられる程、具体的な感情では無い。しかし、今ひとつ腑に落ちないと言うか、どうにも気に入らないと言うか、腹の中がムカムカするような、ちっとも練り上がっていなくて、釈然としないものがギルガンドの中にはある。
「貴族は政略結婚が当たり前ではあるけれど、もしも貴方が本気でクノハルと添い遂げる事を望むのならば、少しくらいは私が力になれるでしょう。クノハルも、半分は貴族の血を引いていますし無理難題ではありません」
「……」
反論の言葉が出ない。反論よりも先にキアラカ皇妃の言葉が素直に胸の内に入ってきて、ストンストンと隙間無く収まっていくからだ。
「クノハルが好きなものを知りたいでしょう。花束や髪飾りを贈った所で『要らない』とすぐに売られるわよ。本よ、それも分厚ければ分厚い程、難しければ難しい程に喜ぶのよ」
「……」
「後は如何にロウ兄さんを納得させるかね。隠れて妾でも囲おうものなら……もう分かっているでしょう?」
「……」
「先に今までの無礼を全て真心から詫びて、そこからよ」
「……」
それでも心ここに在らずの顔をしていたので、ベチベチと彼女は扇で幾度か彼の頬を叩いてやったのだった。
「しっかりなさい。『閃翔』と呼ばれた男でしょう!」
「……はっ」
どうにか返事を絞り出した彼の前に、キアラカ皇妃は宦官を呼んで書状を持ってこさせた。
「これは先日ホーロロから届いたものです。セージュドリック殿下がコトコカに代筆させたものですわ。中を改めましたが問題も無かったそうですから、このままよろず屋アウルガにいるゲイブンという者に届けてやって欲しいのです。本当はクノハルに頼もうと思っていましたが――貴方、丁度良いでしょう?」
「お心遣い感謝申し上げます」
そのまま彼は、帝国城の書庫に寄って、『帝国異聞録』の第5巻、184ページから始まる第7章を探した。
『第7章――トラセルチアの辺境の蛮族の風習について。彼らは男女の交際に当たっては、我ら帝国の者からすれば暴虐としか形容出来ぬ振る舞いをしている。堂々とうら若い乙女を力で無理矢理に従えて妻にし、しかもその妻が多ければ多いほどに権力者として部族の中で重んじられるのだと――』
そこまで読んで額に青筋を浮かべ、ギルガンドは本を棚に戻した。
「いや。やはり違う……違うはずだ!しかし……」




