第190話 うごめく闇に一閃を
「『幻闇』からの定時連絡が途絶えたのだ」
夜明け前に皇帝とミマナ皇后に呼び出された『閃翔』は顔を一気に険しくした。
「離反した可能性は?」
ミマナ皇后が首を横に振って、
「ピシュトーナ家の不穏な噂の元を探らせていた最中。ここは囚われたと見るべきでしょう」
「かくなる上は、ピシュトーナの当主を帝国城に呼び寄せ尋問しては?」
「明日、『睡虎』に行わせるわ」とミマナ皇后が肯く。「貴方には『幻闇』の救出もしくは発見を頼みます」
「承知。最後に定時連絡があった地は?」
「帝都にピシュトーナ家が持つ、城壁近くの屋敷だ。北に同じくピシュトーナが運営する救貧院があるが、他の隣家は東西南全てが空き家となっている。当主ムガウルの尋問の開始後、連絡を待って突入せよ」
「はっ。お任せを」
あの『幻闇』が遅れを取ったとなれば、並の相手では無い……。
ギルガンドが帝都の上空からそのピシュトーナ家の屋敷を偵察し、突入の命令が下る時をじっと狙っていた時、驚く事があった。
数人が出ていったと思ったら、帰って来るなり大きな荷車を屋敷の中に引き入れたのだ。
その荷車からは何処かで見た事のある少年が担ぎ出され、屋敷の中へ運び込まれていった――。
「……」
ギルガンドは屋敷の中に存在するであろう人数を、冷静にもう一度計算した。
今、ゲイブンが拉致されてきたとなれば、地下に監禁するための部屋もあるに違いない。
それでも、勝機は己にある。
『おう、尻の青い青二才よ。ピシュトーナの当主ムガウル共はどうにか捕らえたぞい』
そこで大嫌いな『逆雷』から固有魔法の『以心伝心』で通達が入った所為で、一溜まりもなくギルガンドは頭に血が上った。
ただ、『以心伝心』は『相手に一方通行に思った事を伝える』固有魔法なので、幾らここで反撃しても無意味なのである。
『さーて、黄色い雛小僧にはムガウルの弟のツェクを殺さず捕らえる事が出来るかのー?』
「老害め!」
ギルガンドは急降下した。
精鋭揃いの看守達を見事なぎ倒して地上に出た『幻闇』だったが、そこで動けなくなってしまった。
太陽の光降り注ぐ昼間であったからだ。
「どうした、『幻闇』。何故逃げない。もしや逃げられぬのか、吸血鬼?」
屋敷の中から逃げようともしない赤目の彼を、ツェク率いる精鋭の家来達が壁際に追い詰める。
「……」
絶対に言えないし、言う訳にもいかなかった。
そうなのだ。
吸血鬼は確かに、吸血行為で体の怪我は治り、力を得る。
精神的な高揚感も獲得する。
だが、その反応が収まるまでに太陽の光を浴びると、すぐさま死んでしまうのだ。
故に吸血鬼達の父祖は決めたのだ……。
血を吸って生きる事を極力止め、代わりに植物の精気を得て生きよう。
温かな日の光に包まれて、花と緑の中で微笑んであろう、と。
「……」
『幻闇』はもう一度自害を考えた。なのに、折られた鉄皿の破片を取り出した時、それがもう血まみれであったので、刹那、躊躇ってしまった。
(どうして――!)
『こんな地獄には慣れっこ、なんですぜ。だから……』
ゲイブンの声が頭をよぎったのだ。
『一人でも、生き残って、欲しいんです……ぜ』
「やれ!捕らえて直ちに拷問にかけるのだ!」
この隙を逃さず、武装した家来達が襲いかかった。
「貴様が『幻闇のキア』だったのか」
――白刃一閃。襲いかかった者達が血しぶきと共に、次々と床に転がる。
「……ギルガンド」
帝国最強の男の一人が、彼の同僚が、間に合ったのだ!
「何が『閃翔』だ!捕らえて首を落としてくれる!」
ツェクもギルガンド相手に固有魔法を放とうとした瞬間、『幻闇』は言った。
「『切断』だ!」
「了解」
ギルガンドは『幻闇』に軍用外套をかぶせると、小脇に抱えて走り出した。
「逃げるのか、貴様!」
ツェクが追いかけてきた瞬間に、ギルガンドは片手で白刃を振るって、壁に掛けられていた豪華絢爛なタペストリーを切り落としている。
見事に、バサリと重たい音を立ててタペストリーはツェクに覆い被さった。
咄嗟に空中ごと『切断』する事で下敷きになるのは回避したツェクだったが、タペストリーが『切断』されて見えた目の前には、既にギルガンドが肉薄していた。
「なっ」
悲鳴を上げる余裕も無かった。
一撃で失神させられた彼の体が、真二つに割れたタペストリーの狭間に転がった。




