第182話 思い出の詩集
「親父の遺品を売るために確かめていた時に、文具箱の隠し底の下で見つけたものです」
ロウがそう言ってよろず屋のガラクタの中から持ってきたのは、色あせた本と、ボロボロの栞だった。
『ロウ、それは……それは……っ!』
「……」キバリは目を伏せる。「そう、あの御方は……」
「何の本ですか?」
外から壁の隙間を通して様子を伺っていたクノハルが、興味津々と言った顔で中に入ってきて、パラパラとめくった。
「私撰詩集……絶版の……」
ええ、と小さく頷いて、キバリは遠い目をした。
「昔は率直な恋文のやり取りははしたない振る舞いとされていたから、代わりに同じ詩集を買って贈って、何ページ目の何行目、と指して文を送り合う事が流行っていたのです」
『奥ゆかしいやり取りだったのね……』
「そうでしたか……」とクノハルも納得してから、「……ところで『帝国異聞録』の第5巻、184ページから始まる第7章の内容をご存じで?」
軽蔑と嫌悪を隠そうともしない顔でわざわざ当てつけに言ってきたので、ギルガンドは頭に血が上った。
「それが何だ!」
「知らないのなら構いません」ともっと嫌そうな顔をしてから、クノハルはロウを見て、「……兄さん、良い?」
「ああ、勿論だ」
ロウが頷いたのを確認して、クノハルはキバリに詩集を渡した。
「どうぞ受け取って下さい」
戸惑った顔のキバリは、首を横に振った。
「これはあの御方の形見なのでしょう?」
いや、とロウは微笑んだ。
「何、俺はこの通り目が見えないし、何より親父の真心があんな女じゃなくて貴女にあったと分かっただけでも救われたよ」
『ええ、見るからに気品があって、凜とされていて、素敵なレディよね』
「……本当に有り難う」
とキバリは詩集を受け取って抱きしめる。
ここで、突如シャルが半泣きで怒りだしたので、ゲイブンがビックリした顔をする。
「畜生め!確かにあの淫乱女に旦那様は誑かされたけれども、それだって奥方様がいれば違ったんでさ!あっし達だって何度も嘆いたんですぜ、坊ちゃんこそ奥方様の腹から生まれていれば良かったのに、そうすれば不義なんぞ幾度も働かれなかったのにって……!」
老婦人はきっぱりこう言って、立ち上がった。
「それは決して口にしてはならぬ事よ、シャル。私はもう帰ります」
でも、でもと口にしながらシャルがいよいよ本格的に泣き出した。
どうにも感情的な男のようである。
「違うんだ奥方様!あっし達以上に坊ちゃんがね、奥方様みたいな母御が欲しかったってずっと泣いていたんですよ。あの女の所為で旦那様も、坊ちゃんの人生もメチャクチャになった!もしかしてなんて思っちゃいけないのは良く分かってる。それでも思わずにはいられないほど坊ちゃんはお辛かったんでさ!」
「幾ら思った所で、過去には決して手は届かぬのよ」
キバリのその言葉は、場に苦しいだけの沈黙をもたらした。
「キバリ」
精一杯柔らかな声を出してギルガンドは乳母に手を差し出した。
「もう家に帰ろう」
「本当に、アンタが羨ましいよ」
乳母を背負って『よろず屋アウルガ』から出ようとした時、ロウがクノハルを抱きしめて呟いたのは、ギルガンドも聞かなかった事にした。
『ロウ……泣かないで……』
心配するな、とロウは内心でパーシーバーに言った。俺はそこまで柔な男じゃない。
「キバリ。『心』と言うものは、相当に難しいものだな」
「そうでございましょう。そこで天邪鬼でございますよ」
「天邪鬼はもっと難しい」




