第180話 第二の母②
「奥方様!ああ良かっ――、ひいいいっ!?」
その年老いた平民の男は、待ち合わせ場所の『駒辻』の一角で、キバリの顔を見て嬉しそうに手を振ったが、直後、その背後に剣呑な顔のギルガンドがいたのですぐさま逃げ出した。
しかし当然ながら追いつかれて、平伏して命乞いをする。
「ひいええええっ!?命ばかりはお助けをー!」
キバリが小走りで駆け寄って、彼を抱き起こした。
「ご免なさいね、シャル。坊ちゃまが付いてくると言って引いて下さらなくて」
「坊ちゃま……ああ、そうか、お話されていましたっけね」男は安堵の顔で起き上がって、服のチリを払った。「おっかねえ顔で坊ちゃま……いえ、旦那が見てくるもんですから、ああ、ああ、あっしの寿命が縮んだあ……」
「で、何処に行くのだ?」
ギルガンドが問い詰めると、
「ひえええっ!?お願いですから、そう睨まないで下さいよ……。た、確かにこれから貧民街に行きますけどね、魔除けの言葉さえ覚えていれば大丈夫ですから」
「はあ!?」
ついにギルガンドが凄んだ所為で、とうとうシャルはキバリの背後に小さくなって隠れた。
「奥方様、奥方様。あっしは寿命が縮みすぎて今夜ぽっくり死にするかも知れませんぜ……!」
キバリが言った。
「坊ちゃま、こんな時こそ天邪鬼ですよ」
「嫌だ」
ほほほ、とキバリは笑った。
「それで宜しいですよ、坊ちゃま」
シャルが困った顔をして、
「何がよろしいのか、あっしにはサッパリですが、こうなっちゃあ仕方ない。奥方様、旦那、行きましょうか」
「それで……あの御方のご子息が、こちらに?」
貧民街の中を3人は進む。
「ええ、あっしも驚きやした。確かに『旦那様』はヘルリアンにされて、お家は瞬く間に没落。あっしもそうですが、仕えていた召使いは『坊ちゃん』のおかげで危うい所で逃げ出せた。でも、『坊ちゃん』は一人だけ泥船に残ったんでさあ」
何処かで聞いた事があるような話だな、とギルガンドはやや奇妙に思った。
「『坊ちゃん』?それがキバリに会わせたい奴なのか」
シャルは頷く。
「へい、旦那。奥方様の元旦那様……って言って良いのかどうか。とにかくそのご子息の、『坊ちゃん』が貧民街でね、独り身で暮らしているんですよ」
貧民街。坊ちゃん。独り身。突風のように嫌な予感がギルガンドの脳裏をかすめる。
「奥方様はね、『旦那様』の事を心からお慕いしていらっしゃったから。それこそ子が出来ぬからと自ら離縁されてしまったくらい。でね、『坊ちゃん』は『旦那様』に雰囲気がよく似ていらっしゃるんですよ」
――やってしまった、とギルガンドの体中から冷や汗が吹き出た。
「キバリ、私が聞いても良い話なのか」
今更、と老女は愉快そうに笑った。
「だから辞職願をお渡ししましたのに、読まずに親の敵のごとく引き裂いてしまわれるから。ほほほ、こうなったからには覚悟は出来ておりますよ」




