第174話 悪は何処かから漏れ出す
時は赤斧帝が狂う前、まだオレ達の母親であるアマディナが皇后だった頃にまで遡る。
後に『緑毒の悪女』と呼ばれた稀代の悪女アーリヤカが後宮に第二の皇后として入ってきた後で、アーリヤカより身分の低い後宮の女で赤斧帝の子を身ごもった者が出産の際に害される事態が相次いだ。
生まれた子が皇子であれば必ず母子共々に殺されてしまったのだ。しかもその下手人は全員、牢獄の中で毒をあおっていたらしい……。
これに震え上がったのは実家がそれなりに太い寵姫達だ。彼女達は身ごもったらもうすぐ害され死んでしまうと怯え、赤斧帝と己の実家にせめて出産の時だけは帰らせて欲しいと泣きついた。
このままでは乱詛帝の所為で数を減らした皇族の存続の大問題、何より赤斧帝の皇子が増えぬ事を何より危惧した皇后アマディナの口添えもあって、特例中の特例として、身ごもった事が確認された寵姫達は出産するまで実家に下がる事を許されたのだった。
どうして赤斧帝がアーリヤカを廃さなかったのか。
あまりにも高い『壁』があったのだ。
当時はアーリヤカの実家であるニテロド一族は、赤斧帝が乱詛帝を討った時に多大な功績を挙げていた事もあって、娘をもう一人の皇后として送り込める程の凄まじい権勢を振るっていたらしい。
もしも彼女を無下にすれば、一族の手によって内乱さえ起こされかねない程だったそうだ。
『乱詛帝』の所為で弱体化した帝国で、内乱など起こされたら――。
「お前達には苦労をかける……」
ただ、幸いにもこの時は赤斧帝がまともだった。
皇帝が暴君でなくて、悪女ではない皇后アマディナを後宮の女主人として誰よりも頼りにしていた事。更にアマディナの実家であるネロキーア公家も当主と跡取り息子達が健在だったため、ニテロド一族と渡り合える程の力を持っていた事――等々の抑止力もあって、後宮の危うい力関係はどうにか保たれていたのだ。
次の皇帝たる皇太子もヴァンドリックで確定していた上に、赤斧帝はヴァンドリックとアマディナに対する讒訴だけは耳に入れようともせず、そうした者を静かに遠ざけていった。
己に対してさえ狂犬に近しい態度のバズム将軍が、ヴァンドリックの前だけではただの大きな雑犬に落ちぶれて尻尾を振っている光景を、微笑ましく見ていたそうだったから……。
ただ、何処にだろうと人の善意や好意を食い散らす邪悪は存在する。
コトコカ、トウルドリックの姉弟の実家であるピシュトーナ家は、その邪悪を人当たりの良い人相で誤魔化せる連中だと有名だった。
ピシュトーナ家の実家でカノー夫人が最初に産んだコトコカはまだ良かった。
次のトウルドリックが問題だった。
あまりにもトウルドリックの容姿が皇族の誰とも似ていなかった所から、噂は始まり――トウルドリックの固有魔法が『付け足し』だった事でじわじわと燻り始めたのだった。
この世界ではある程度の固有魔法の遺伝の法則が決まっている。皇族は皇族、貴族は貴族、平民は平民らしい固有魔法が発現する事が多い。
由緒正しい貴族ともなれば、一族で似たり寄ったりの固有魔法を使えるようになるのが一般的なのだ。
ただ、当然ながら、例外もある。
いきなり強力な固有魔法が使えるようになった平民もいれば、皇族なら絶対に使わないであろう『草刈り』の固有魔法がどうしてか発現した皇帝(※善良帝)もいる。
普段なら、『固有魔法が変わっているなんて、ままある事だろう』で済まされる事なのだが……。
――ただ、今回は元々が疑わしいと燻っていた火種の所に、おまけの燃料が追加されたも同じなのだ。
トウルドリックに罪は無いが、皇統の偽証は大逆罪に次ぐ大罪である。
いくらコトコカやトウルドリックがまともでも、性格が良くても、立派な功績を挙げていても、親や親類縁者が何かを謀っている可能性があるからには――累が及ぶ可能性が高いのだ。




