第170話 似ていないけれど、姉弟
「あぁあーん、あぎゃーん、ぎゃああーん」
「おお、よしよし……」
赤ん坊の皇女がぐずって泣いているのを今日だけで数え切れないくらいに抱き上げて、子守歌であやしつつも、流石に少し疲れた顔をしている皇妃キアラカの所に、先触れのあった通りに第八皇女コトコカと第九皇子トウルドリックの姉弟がやって来た。弟のトウルドリックの方がガッシリとした体格で姉よりも遙かに背が高いのは、皇族の義務として下士官を努めているからだろう。
この姉弟はピシュトーナ家を母方の実家とする年子なのだが、姉は才気煥発で勝ち気で涙もろく、弟は少し間抜けな性格だが、常に陽気で毒と裏表が無いので、特に年上や目上から可愛がられる事が多いのだった。
女官や宦官に幼児向けの玩具や可愛らしい産衣を運ばせつつ、二人は並んで恭しく挨拶を述べる。
「この度は皇妃様並びに姫様のご尊顔の拝謁が叶いまして……」
「我ら光栄の至りにて、まずはお二方のご健勝とますますのご多幸を――」
クスッと穏やかにキアラカは微笑んだ。
「良いのよ、堅苦しくならなくて。あくまでも義理とは言え、私達は縁者なのですもの」
それぞれ実家こそ違うが、今は皇族として義務を果たしている者同士なのだ。
「そ、それでも……!えっとお姉様、こんな時はどうすれば、」
思わず口にしたトウルドリックの尻を即座にコトコカが引っぱたいた。
「愚弟よ!ここでは第八皇女でしょ!?鞭で打たれたいの!?」
「痛いっ!わ、悪気があった訳じゃ無いんだよ……!」
「悪気があろうと無かろうと無礼は無礼よ!!!これが赤斧帝相手だったらピシュトーナも族滅されているわ!」
「あ、ああ、そうだった……」
「皇妃様、頭の悪い愚弟が大変なご無礼を働きました事、ひれ伏してお詫び申し上げます!」
「どうかご寛恕下さい!」
二人してまた平伏して詫びた時に、頃合いを見計らったかのように皇女が大声で泣き始めた。
「ああ、泣かないで……そうだわ」
キアラカは二人に近付いた。
「無礼を働いた罰として、あなた達、この子をあやして頂戴?」
「「えっ」」
目を丸くして見上げた二人の前に、ぐずっている皇女が差し出された。
「つ、謹んで……」
「お姉様、落とすなよ!何があっても落とすなよ!」
「愚弟よ、縁起でも無い事を言わないで頂戴!」
恐る恐る立ち上がって抱きかかえたコトコカの腕の中で、幼い皇女が途端に泣き止んでご機嫌になった。
「「わああっ!」」
一瞬で姉弟は顔を明るくした。
「そうなのよねえ……」キアラカは困った顔をしてため息をつく。「私が抱きかかえていると、幾ら歌ってもこの子は泣いてしまうのよね……。乳母達に抱かれると、途端に笑うのに……」
「皇妃様はお美しすぎて時々近寄りがたい雰囲気があるので、仕方なギャア!!」
「黙らっしゃい、愚弟よ!」
また失言を吐いたトウルドリックの足をコトコカが勢いよく踏みつけた。
「うふふふ、相変わらず仲良しなのね」
キアラカはやや哀しそうに微笑んだ。今は何処にいるのかも分からぬ、己の実弟を思い出したのだ。幼い時、こうやってつまらない事で喧嘩になって、健在だった頃の母に揃って叱られたものだった……。
しかし今は、昔の感傷に浸ってばかりもいられない。
「トウルドリック、ホーロロからよくぞ無事に帰投しました。十五万の敵勢を相手に果敢に戦って勝利を収めたと聞いております。見事でしたわ」
「はっ!お有り難うございます!……正直、参謀の皆様は全員が反対したのです。自軍の七倍以上の相手に真正面から決戦を挑むなんて自滅でしか無いと。しかし、そのー、バズム将軍閣下が今なら勝てると仰有ったので腹を括って戦いました!
俺はただ、言われた通りに突っ込んで、言われた通りに撤退して、そうやって言われた通りに誘い出しただけです」
「十五万の大軍にそれをやってのける勇気を貴方は持っているのですよ、立派だわ」
帝国指折りの美女にここまで褒められて良い気分にならない程、トウルドリックは錆び付いていない。
「むふーふふふふっ!いや、まあ、それほどでも!むふふふふふ!」
「全く、締まりの無い顔をして……!」
呆れた顔のコトコカから、我が子を受け取りつつキアラカは話しかけた。
「貴女も、あのシューヤドリック殿下に書を褒められたと聞きましたわ」
コトコカの顔が一気に華やいだ。
「お有り難うございます!実は、今までにない書体を考えてみましたの、それが偶然にもお気に召していただけたようなのです」
「今までにない書体とは?」
「今までの大半の書体について、碑文に刻む事や公文書の偽造不可等の目的から生み出されたものなのではと思いまして」
「まあ、では貴女はどんな書体を考えたのかしら」
「ただただ見やすさに比重を置きましたの。例えば大文字の『I』と小文字の『l』と数字の『1』は、酷似しておりますでしょう?私達の母は目が悪いので、見分けるのも辛そうだったのです。それを、文字の書体の太さ、意匠等の工夫でどうにか改善出来ないものかと……」
「素晴らしい考えね、しかもシューヤドリック殿下が褒めて下さったと言う事は芸術性も素晴らしいのでしょうね」
「『文字と言う、伝え、後世に残し、更に人が書くための物の機能を見事に発揮している』と我が身に余るお言葉を賜りましたわ」
「また私にも見せて頂戴な。もしかすればこの子が最初に読む文字になるやも知れませんから」
コトコカは弟と同じ表情をする。
容姿は似ていなくても、そこは同じ血を分けた姉弟なのだとキアラカは思った。
「何て光栄な!明日にでもお持ちいたしますわ!」
二人には何の問題も無い、気立ての良い優しい子達なのに、とキアラカは内心で一人憂いている。
ミマナ皇后が掴んだ、この子達の実家のピシュトーナ家が『きな臭い』と言う情報が確かで、その火種の元が明らかになったならば――この子達にも累が及ばぬ訳が無いのだ、と。




