第162話 へそ曲がりジジイ③
『閃翔のギルガンド』にとって最大に不運だったのは、彼の祖父も父もこのバズムの部下だった事であった。只でさえ驕慢極まりないこの男が『逆雷のバズム』のようなへそ曲がりの老骨と相性が悪くないはずが無いのに、バズムの方が必ずと言って良いほど、出会い頭に『青二才』『ピーチクパーチクの小鳥』『頭が空っぽの若造』『孵りたての雛小僧』――その最後に決まって『ワシの部下のアニグトラーンの子孫の黄色いひよこ』とギルガンドを散々に挑発するものだから、大体いつも乱闘騒ぎにまで至る。
「ありゃ犬の喧嘩だ、放っておけ。喧しかったら水をぶっかけろ。何か壊したら賠償請求だけは忘れるな。ああ嫌だ嫌だ、どうして医者だからって、あんなものの喧嘩の手当てまでしなきゃいけないのか……」
このように『裂縫のトキトハ』がぼやいたくらいには、良くある事になってしまった。
勿論、主君であるヴァンドリックは二人を呼び出して、帝国城であるまじき振る舞いだ、直ちに改めよと叱った。が、彼の前で挑発が始まり、言い争いが始まり、取っ組み合いになったので肩を落とした。この時はレーシャナ姫がすぐさま宦官に桶三杯もの水を運ばせ、二人にぶっかけて乱闘を止めさせた。無論、床に撒かれた水の掃除も、二人に厳命した。
が、ギルガンドもヴァンドリックも知らない。バズムはギルガンドの祖父も、父にも、大層目をかけていて、有能な部下として公私で重用していた事を。
この無体で鬱陶しい挑発は――その血を引く若者に対する、バズムにとっての一種の『可愛がり』なのである。
「老害が来た!」
ギルガンドは恰幅の良い中年の男の文官が机に向かって書類仕事を片付けている前で、忙しなく行ったり来たりしている。
苛立ちの余りに、じっと椅子に座ってなどいられなかったし、訓練で憂さ晴らししようにも、この気迫のギルガンドを相手にしたがるような命知らずは帝国城には一人もいなかった。
丸っこい顔のその文官は困ったような顔をしてギルガンドを見上げ、
「それは言い過ぎじゃ無いかなあ」
と見た目のように角の無い、穏やかな声で言った。
「いいや、あれこそが老害だ!正真正銘の!」
「気持ちは分からないでも無いけれど、二万の兵士を率いて十五万の敵軍を壊滅させるなんて武功を挙げるのは、いくら君でも無理だろう。閣下は帝国にとっての害では何も無いよ」
「しかし腹が立つのだ!」
「まあ、ねえ。あれだけからかわれたら、君の苛立ちは致し方ないけれどもね、閣下以外の誰かにそれを当ててはいけないよ」
「からかいだと!?あれは侮辱だ、名誉毀損だ!」
「うん、うん。ところで、フォートンは今どうしているか知っているかい?」
「用事か」
とギルガンドは冷静さを少し取り戻した。すると文官は軽く頷いて、
「うん、この前、テリッカ皇女殿下の提案した福祉政策をね、キアラカ皇妃様の後押しで実践してみたのは知っているだろう」
「特赦された軽犯罪者に就労や住処を斡旋するとか言う、アレか」
「それがねえ、想定外の数値が出たんだ」
「何だ?」
「再犯率の激減に伴う帝都の治安の改善。後は仕事も住処もあるからね、税も払うようになって……少しだが帝国の歳入も増える見込みだ」
「激減?罪人がか?」
胡乱そうな顔をしたギルガンドに、少し遠い目をして文官は言う。
「人間ってのはね……家族だったり、親族だったり、財産だったり、仕事だったり、趣味だったり、宗教や道徳も、勿論、刑罰もそうだけれど……何だろうね、罪を犯す時に躊躇わせる足枷が多いほど、瀬戸際で踏みとどまれるものなんだ」
「ふむ」
「まだ今はお伽噺でしか無いけれども、キアラカ皇妃様もテリッカ皇女殿下も、いつか貧民街にもこれを応用出来ないかと仰っていてね。それで、フォートンにこの数値だけでも知らせておこうと」
「そうだったのか……。っ!?」
最悪な事に、そこにずかずかと入ってきたのがバズムである。
「何じゃい!就労先ならワシの軍隊でも良かったじゃろう!『財義のロクブ』!」




