第153話 田舎の小地主の家族
――数ヶ月後。
のどかなセイディーノの港街の中でも、とりわけ見晴らしの良いなだらかな丘の上にあった田舎貴族の屋敷を改築した所に『善良帝』だったリュードリックとママエナ夫婦とその幼い娘達は暮らしていた。
天気が良い日には隣接する畑を耕し、雨の日には書に親しみ、朝早くには釣りに出かけ、夜は家族みんなで大きな寝台に並んで眠る。食事は畑から取れた野菜に飼っている雌鶏の卵や街で買ってきた食材をママエナが手ずから調理したものだ。毒味の心配が無いので出来たての熱々をいつも食べられる。洗濯も掃除も自分達でしなければならない質素な生活だが、代わりに暗殺者や裏切り者に怯える必要も要らないのだった。
一応、リュードリックは先の皇帝であるため、屋敷の内外に警備の者はいたにはいたが――それでもガルヴァリナ帝国の皇帝として中継ぎを務めていた頃の窮屈さと比べたら、まるで鳥籠から大空に解き放たれたくらいに自由で平和そのものであった。
「うわあ!!わあ!いいにおい!」
「ごちそうさましたい!とうさま、かあさま、はやく!はやく!」
今日は夜明け前にリュードリックが大きな魚を何匹も釣りあげたので、朝早くからママエナはその調理に精を出していた。
魚の身をさっと茹でて薄くスライスし新鮮な野菜と海藻と一緒にしたサラダ、上手く焦げ目を付けて焼いたパンにバターをたっぷり塗ったもの、取ってきたばかりの卵を使った目玉焼き、飲み物としてヤギのミルクが朝食の献立。
昼食は娘達と一緒に作った色々な魚の身をたっぷり入れてこんがりと焼いたパイに、魚介類のさっぱりスープ、温野菜。
夕食には野菜と貝もしっかり入れてコトコトと煮込んだ白身魚のシチュー、魚の身とエビと貝をふんだんに混ぜ込んだ具だくさんのパスタ……魚の骨をカリカリに焼いた軽いおつまみまであった。
夕食前の食卓にずらりと並べられた、湯気を立てている魚料理を前に、娘達は円らな目を輝かせている。
「食べる前には手を洗いましょうね」
そうママエナが言うと、めいめいが元気に返事して小走りに走って行った。
「じゃあ、私達も行こうか」
後ろ姿を目を細めて見た後、リュードリックはその子の車椅子を押した。
「ええ」とママエナは車椅子が通れるように扉を大きく開ける。
「……ねえ」
ぽつんと押している車椅子から小さな声が上がったので、リュードリックは優しい声で訊ねた。
「うん?どうしたんだい?」
「……わたしはかぞくじゃないのに、どうして……」
「家族と言うのは『なる』もので『大事にする』ものよ」ママエナは穏やかに笑って言った。「今は家族じゃなくても、いつか大事にしていれば家族になれるわ」
「……わたし、おとうさんっていちどもよばなかった。あんなにだいじにしてもらったのに」
そう言って、その娘はぽろりと涙をこぼした。リュードリックは少し考えてから、こう言った。
「子供が思っているより親は子供の事を見ているものだ。きっと……分かっているよ」
――と、先に行った娘達が洗って拭いた手を、まるで貰ったばかりの勲章のように掲げて戻ってくる。
「とうさま、かあさま、あらった!」
「ぴかぴか!あらった!」
娘達は――車椅子の中の子が泣いているのに気付いた。
「だいじょうぶ?」
「いたいの?だいじょうぶ?」
「……だいじょうぶ」その子は涙を拭いて頷いた。「おなかがすいただけ」
「じゃあおててをあらって、ごちそうさまをしよう!」
「そう!もうおなかがぺこぺこで、おなかがぐーってなっちゃう!」
うん、とその子は頷いて、思った。
ここに『スレイブ』がいたら、どれ程喜んでくれただろう――と。




