第134話 若きは名君、老いては暗君
……昔。
『赤斧帝』ケンドリックは皇太子の頃から英明、剛力無双で鳴らし、『乱詛帝』の悪政に怯え苦しむ臣下臣民にとっては、ただ一つの希望と言っても過言では無い存在だった。
佞臣、腐った宦官、悪女を遠ざけ、代わりに有能で誠実な者を周りに集め、賢臣や能吏の言う事によく耳を傾け、婦女子や臣民には心の広さを見せ大いに慈悲を向けた。
『赤斧帝』の称号も――元々、皇太子でありながら自ら先陣を切って大斧を振るい、勇猛果敢に敵と戦ったケンドリックの勇姿を見た者達の感嘆と畏敬から生まれたものだったのだ。
彼はその後、乱れた世においての人々の希望となるため立ち上がり、『乱詛帝』と『パペティアー』を討伐して己が皇帝となり、善政を敷いた――。
そう、『赤斧帝』ケンドリックは、確かにガルヴァリナ帝国の歴史に中興の名君として名を残しうる可能性を持っていた男だった。
その『赤斧帝』が豹変したのはいつかと訊ねれば、誰もがこう答える。
突然の病に倒れられた後だ、と。
謎の病だった。感染を恐れて皇族も貴族も近付く事は許されなかったが、高熱が出て悪寒に震え、数週間もうなされた。助けてくれ、苦しい、痛いと譫言を何度も言った。
しかし医者達の命がけの看護が実を結んだのか、どうにかその後で熱も下がり、彼は無事に回復した。
彼は起き上がると、数週間にわたって己を看護してくれた医者達を集めてこう言った。
「お前達には礼をせねばならぬ。よって毒杯をくれてやろう」
……その場にいた誰もがしばらく、『赤斧帝』が何を言ったのか、理解ができなかった。
少しでも理解した途端に、医者達は半狂乱になって命乞いをした。
「どうしてでございます、私共は一生懸命に陛下を病からお救いしようと致しました!」
まだ力が及ばず『赤斧帝』が身罷ってしまったのなら――彼らも、殺される事を納得はできずとも理解はできただろう。
しかし『赤斧帝』はこの通りに無事に回復したのに、どうして彼らが殺されねばならないのだ。
納得は勿論、理解さえ出来ない!
「命をかけて朕を救おうとしたのであれば、朕のためにいつでも死ねるであろう?」
「へ、陛下!」
急ぎ何者かが知らせたのだろう、皇后アマディナが大きな腹を抱えつつも走ってきた。
幼い皇太子ヴァンドリックの母でもある彼女は血相を変えて、愛する『赤斧帝』を諫めた。
「陛下、どうかそのような惨い事はお止め下さいまし!何卒お慈悲を以て臣下をお労り下さいまし……!」
「ではアマディナ、其方が代わりに毒杯をあおるか?」
彼女まで愕然とした。
「陛下……如何されてしまったのですか!?」
「何もどうもしておらぬ。朕は道理に沿って処断を下したに過ぎぬ」
医者達は毒杯をあおる直前まで死にたくない、怖い、嫌だと泣いていたが……後になって考えれば彼らは確かに『赤斧帝』からは慈悲を賜ったのである。
少なくとも公開処刑の場に引きずり出されたり、冤罪をかぶせられた上で衆目に晒されたり、ヘルリアンに貶められたり――過剰に残忍な事はされず、毒杯を渡した処刑人達からも憐憫や同情を集めた中で死ねたし、遺骸は家族の元に返されて涙と共に丁重に葬られたのだから。




