第36話 事件ですわ!
ライに相談した二日後の面談はびっくりするほどスムーズだった。
シェルリンが領主科を希望してもシェーベルが全く反対しなかったからだ。
心の中では「しかしフィッツベルグ家には長男のライさんがいますよね?」「女性なのに、領主科とはどうして?」などと聞かれると思っていたシェルリンはあまりのスムーズさに拍子抜けするとともに、心が痛くなった。
シェーベルが反対しなかったこと自体が、本当にライがシェルリンの兄ではなく、分家の子供としてふるまっている証明のように思えたからだ。
面談後の週末は屋敷に戻った。
もしかしたらライが帰っているかもしれない。そしたら、後継ぎの話が聞けるかもしれない。
そう思って帰ったが、結局ライは寮からは帰ってこなかった。
孤児院の方は掃除の授業をしてから順調だ。
孤児院の建物内が綺麗になり、外壁が綺麗になり、今は前庭を綺麗にした。
ここまでに八回ある出張授業の内、五回もかかってしまった。
残りの授業はあと三回。
シェルリンたちが大勢の騎士を連れて何度も孤児院に通うからか、孤児院周辺の治安も少し改善したようだ。
相変わらず倒れそうな家の上にさらに家を重ねたような建物ばかりだが、道に捨てられていたゴミも幾分少なくなった。
今もどこからかじっと見られているような気配はあるし、表の住人のように「やぁ」と挨拶してくる人はいないが、不穏な怖そうな雰囲気は感じなくなっていた。
それはもしかしたらシェルリンが慣れただけかもしれないが。
子供たちにもだいぶ慣れてきた。
初回はやろうという気力すらなかった子供たち。出張授業をしに来たというのに、孤児院の中はシーンと静まり返っていた。
前回の授業では授業内容、もとい清掃区域を説明すれば「はーい」と返事が返ってきた。
二度目の授業の時に「関係ない俺らの世界に入ってくんなや!」と叫んでいたトーマですらも、ぶすっとした顔をしながらもくもくと手を動かしていた。
今日は六回目の授業の日だ。
今日は清掃ではない。孤児院をぐるりと囲む塀に色を塗る。
少しでも明るい雰囲気にしようと思ってのことだ。
孤児院に到着すると、既に馬車が一台停まっていた。
「お待ちしておりました! ご注文のペンキ、心がウキウキ楽しくなっちゃうセットとむぐむぐやる気がでてくるぞのセットでございまーす!」
ん?
軽快なテンポで話す商人の声が耳から離れない。なんだろう、どこかで聞いたことがあるような。
シェルリンはミレイアに話しかけていた商人の前に回って顔を見た。
「レイメメ!?」
「おや! いつぞやのお嬢さん。やっぱり貴女とは縁がありそうです」
今回発注してくれたのはミレイアだ。
確か海にも山にもどんなところにも商品を届ける伝説の商人に会えたから孤児院に届けてもらうのだとキラキラした目で語っていた。
今もシェルリンの横で、ミレイアは「すでに面識がおありだなんて……流石ですわ」とつぶやいている。
レイメメが伝説の商人?
「伝説の商人……なのですか? それとも双子の兄弟がいるとか?」
「お嬢さん、種明かしをしたらつまらない。とにかく今は海にも山にも侵入不可能な城塞にも、どんなところへも丁寧、安心、あなたの欲しいものをお届けします! で有名なレイメメでございまーす!」
レイメメは口ではシェルリンに説明をしながら、踊るように子供たちの間を歩き、刷毛やローラーを配った。
「さぁ、みなさん! こっちに注目でございまーす! 帰る前に使い方を教えますよ~。ここに塗料を出して、つける。そして、塗る! ほら見てください。あらまぁ、びっくり。なんということでしょう、色が変わるだけでこんなにも心ウキウキ!」
心がウキウキ楽しくなっちゃうセットの塗料を持参していた木の板に塗ったレイメメが、大げさに驚く。
楽しく解説するレイメメのしゃべりに子供たちの目はキラキラ。
ナターシャもほほ笑んでいるし、ミレイアは溜まらずぷっと笑いを漏らす。
トーマは子供たちの一番後ろで、そっぽを向いているが、一応話を聞いてくれているので、やはりちょっとは距離が縮まったのではないかと思う。
そうして嵐のようにレイメメが帰っていった後は、みんなで塀の色塗りだ。
レイメメがやっていたようにして、子供たちが塀に色を塗っていく。
子供がやることだから、もちろんムラはあるし、いろんな色を用意していたから、デザインなどあったものではない。
けれど、どの子も自分が汚れるのも気にならないようで、一生懸命に……いや、一部は楽しそうに遊びながら塗っていた。
東の孤児院の敷地は広い。つまり、塗るべき塀もたくさんだ。
少しずつ場所を移動しながら、塀を塗る。
清掃のとき同様に、シェルリンは汚れても良い薄グレーのワンピースを着ているので、子供たちと一緒に塀を塗った。
「火事だー」
「誘拐よ! その子はうちの子なんだから!」
そんな声が塀のむこうから聞こえたのは、四分の一ほど塗り終えた時だった。
楽しそうに塗っていた子供たちの手が止まる。
まだ塀の外はガヤガヤと騒がしい。怒号や何人もの人が走る音、そのうちガラスの割れる音や何かが爆発したような音も聞こえてきた。
連れてきた騎士の何人かに現場に行ってもらう。
「ほら、もう大丈夫。きっと助ける」
泣きそうになっていた小さな子供の手を握る。
「少し、中に入っておこう」とマクスウェルが声をかけ、皆で子供たちのフォローに回る。
大丈夫、もう大丈夫。騎士たちが守ってくれるから、安心して大丈夫。助けるよ、助かるよ。そんな言葉が飛び交う。
泣きそうだった子も「もう大丈夫!」と孤児院の方へ駆けて行った。
シェルリンはそれを見届けて、まだ一心不乱に塀を塗り続けている子供に声をかけに行く。
「よし、いったん授業は中断。ちょっと中で待ってようか」
そう声をかけた時。視界の端で、塀に刷毛が乱暴に叩きつけられた。
「うっさいなぁ。大丈夫? どこが大丈夫なん? これがここの日常や! いつも騎士が守ってくれる人は考え方が違うなぁ! 分かっとらんやろ。あんたたちが命令したから騎士は動いてくれたんや。そうでなきゃ、俺らを守る人なんかどこにもおらん!」
大声で叫んだトーマはくるりと向きを変え、一人孤児院の奥へと走りはじめた。
「待って!」
シェルリンにはトーマの叫びが助けてって言っているみたいで、居ても経ってもいられず後を追う。
ドォン!
走り始めてすぐ、背後で爆発の音がした。
振り返ると、正門の脇が崩れ、土煙が立っている。
さっと騎士たちが二分する。
みんなを建物内に誘導する人と爆破された場所から入ってくる人々を止める人だ。
早く、トーマもみんなの所に連れて行かないと……。
シェルリンは再び前を向いて、トーマを追いかけた。




