我 交戦ス
一九四四年十二月二十二日、早朝。我々は、正体不明の敵と遭遇した。
おそらく、偵察用の軽戦車。
かなり、足回りはいい。そして、早い。
Ⅳ号戦車も中戦車にしては鈍足ではないが、軽戦車の足には敵わない。
林道に乗り上げて走る。
曲がりくねった道の先に、雪を蹴立てて走る敵の姿が見えた。
朝靄と雪に阻まれて、正確な数は判然としないが、最低六両は居る。
その目視出来る六両の動きが変わった。
「くそ! 見つかった! 『○六二三、接敵。我、交戦ス』送れ!」
通信士のメリエ伍長にバッカード准尉が指示を出す。
メリエ伍長が、こちらの大まかな地点や敵影が六であることやどうやら新型らしいことをラ・グレース村に報告していた。
「他戦線でも、目撃例があるそうです! 識別名は『M24チャフィ』! うちらの装甲を五百メートルの距離から抜いてきます!」
早めに移動して良かった。下手したらボコボコにされる。
それにしても、Ⅳ号の装甲をスポスポ抜きやがるとは、軽戦車のくせに、大きな口径の砲でも積んでいるというのか? 厄介な相手だ。
林道の奥からチカチカと砲火が瞬く。
靄をつんざいて、三発砲弾が飛んできた。
だが、弾は大きく上に逸れている。
やはり、豆鉄砲の音ではない。
「ヴァーンジン (独語の罵り言葉、英語のファックに相当)! 撃ってきやがった!」
曲がり角を高速のまま突入する。
ギャギャギャ……と、耳障りな音を立てて地面と履帯が擦れた。
更に三発発砲があったが、これは明後日の方向に飛んで行く。
敵さんも、こっちを正確に目視しているわけではなさそうだ。
装甲の薄い背面を晒しているのは不利だが、不正確な狙いで撃ってきたのはいい材料だ。
一射目が不正確で、二射目は更にひどかった。
これはつまり、こうした寒冷地における砲身の加熱による射撃誤差に慣れていないということ。
新型車両はたいてい高性能だが、実戦の積み重ねがない。
経験の差というものが出てくるのだ。
我々のⅣ号戦車は、灼熱の砂漠で、極寒の露国で、様々な戦場で戦ってきた経験の蓄積がある。
「くそヤンクスめ。実戦の差ってやつを、教えてやる」
照準器を覗く。
同時に頭の中には、丸一日かけて頭に叩き込んだ地図が展開されていた。
曲がり角。高低差。木々の密集具合。そういったデータが頭に流れ込んでくる。
「弾種徹甲」
装填手のテッケンクラート二等兵が、シャコンという小気味良い金属音を立てて、尾錠を閉める。
「装填完了!」
ガタガタと視界が揺れる。
だが、大きくローリングとピッチングを繰り返していたペンギンと比べれば、静止しているようなものだ。
帽子を後ろ前にかぶり直し、照準器のゴムバッドに顔を押し付ける。
靄の奥に、黒い新型戦車M24チャフィの黒い影。
そのやや先方に、狙いを微調整する。
これを『偏差射撃』という。敵の到達予測ポイントへ、ドンピシャに砲弾を送り込むテクニックの事。
撃つタイミングは、天啓の様なものがひらめく。
今回もそうだった。
引鉄を引く。
75ミリ砲の鋭い砲声。
空気が装薬の爆発にビリっと震えた。
硝煙の匂い。
砲身から噴き出す炎。
M24チャフィのシルエットから、ガチンという金属音と火花が散る。
弾かれた。
今までの戦車の欠点を、補ってきている。
装甲の厚さで弾くのではなく傾斜で弾く。
軽戦車は特に重量が問題になる。その解がこの『傾斜装甲』だ。
撃破は出来なかったが、威嚇は出来た。
高速で動いていても、当てられることがあると、くそヤンクスは思い知ったはず。
敵は減速した。
チカチカと、靄の奥が瞬く。
空気を裂いて、軽戦車らしからぬ発砲音が響き、砲弾が頭上を通りすぎて行った。
樹冠の雪が地面に落ち、流れ弾に当たったらしい樹木が、どこかで倒れる音がした。
はぐれた鹿を見つけた群狼の様に、アルデンヌの森の中をM24チャフィが走る。
迎撃しながら走るのは、露国の炭鉱技術者家族を救出した時と状況は似ているが、敵の性能が違う。あんな開けた地形では、あっという間に蜂の巣にされてしまうだろう。
今は、森林で視界を遮り、曲がりくねった林道と地形を上手く使って、直射されるのを防いでいる状況だ。
互いに目視するタイミングは僅か。
その瞬間を狙って撃つ。
有効打は未だない。だが、それでいい。我々は、味方の砲火の前に、こいつらをおびき出すのが役割なのだから。
敵は地形が複雑なので、軽戦車の高速が生かせないらしい。
おかげで、つかず離れず、靄を通して辛うじて見え隠れする距離を保っていられる。
かなり神経を使う操縦が、操縦手のリヒテンシュトーガ上等兵には要求されているはずだ。
視界が悪いし、頻繁に曲がる。
見てから方向転換しては遅い。頭に叩き込んだ地形図を呼び覚ましながら、操縦しているのだ。
俺もまた、針の穴を通すような射撃が必要だった。
経弾傾斜を考慮した外観ならば、当て所が限定される。
しかも、相手のデータは皆無。
車長のバッカード准尉は、これがいかに困難かわかっていて、
「勘で何とかしてくれ!」
などと言っている。
無理難題だが、戦車は構造上、車体下部の装甲が薄く、履帯が破壊されれば動けない。
そこを狙うしかない。
側面はおしなべて装甲が薄いものだが、こうも細い道で相手の機動力が上となれば、難しい。
「さて、どうする?」
照準器を覗きながら、考える。
「装填完了!」
テッケンクラート二等兵が、尾錠を閉める。
空気を裂いて、砲弾がⅣ号を掠め通り過ぎた。
ガクンガクンと揺れながら、大きく右に曲がる。
たしか、ここは一瞬視界が開ける場所。
撃てるが、撃たれる場所でもある。
ならば、先に怯ませる。
チラっと見えた、白い靄に浮かぶシルエットに向って撃つ。
鋼が激突する音。そして火花が散る。
命中したが、また弾かれた。
「次弾徹甲! 装填急げ!」
靄の奥で砲火が煌めいた。
三発が上に逸れる。やはり、調整が出来ていない。それに、砲手の練度が低い。
俺の発砲に釣られて、思わず撃ったのが殆どだった。
装填手のテッケンクラート二等兵が装填を終え尾錠を閉めたその瞬間、俺の砲撃に釣られなかった一両が撃ってきた。
勘で調整したのだろう。
この砲弾は、上方に逸れず、砲塔の防盾にぶち当たった。
「くそ! くそ!」
排莢しようとしていた装填手テッケンクラート二等兵がよろけて壁面に頭を打ち罵り声を上げた。
キューポラから双眼鏡を構えていた車長のバッカード准尉がずり落ちるように砲塔内に伏せる。
重い一撃だった。
M4シャーマン並みの威力はあったと思う。
感触から言って、75ミリ砲弾。
白く凍った防盾が、衝突のエネルギーが熱に変ったことにより、蒸気を上げていた。
当たったのが、砲塔でも一番硬い箇所だったのは、ラッキーだった。
こいつは、撃たれ所がわるいと、抜かれる。
砲塔のブレが収まるのを待って、反撃の砲弾を放つ。
今度は外した。
履帯を狙って、低く撃ったのだが、地面に当たって雪と砂利を巻き上げただけだった。
「次弾榴弾! 瞬発信管!」
俺はそう指示を飛ばした。
「え、榴弾ですか?」
徹甲弾に手を伸ばしていたテッケンクラート二等兵が思わず聞き返す。
思わず手を伸ばしてぶん殴るところだったが、今は戦闘中だ。
「急げ、バカモン!」
俺の叱咤を受けて、慌ててテッケンクラート二等兵がダイヤルを調整して、装填を終える。
開けた場所を通り抜けたら、暫く狭い林道が続く。
樹木が密集しているので、脇道にも入れない場所だ。
俺は作戦を車長のバッカードに告げた。
例によって、奴は渋ったが、これは「渋った」という態度を他の乗員に見せたに過ぎない。
何か問題が起こったら「私は反対したのです」と言い訳するためだ。
ボトルネックになった、細い林道を抜ける。
この林道の先はちょっとした広場になっていて、普段は切りだした木材の集積場所になっているらしい。
ここからは舗装された道路になり、ラ・グレース村に至る。
この広場には、木を伐採して脇道が作ってあり、その先にカモフラージュしたポルシェ・ティーガーが隠蔽されている。
ボトルネックに隠れているのは、ここを塞ぐため。
「テルモピュライだよ」
と、サボゥ・シェーンバッハ中尉が言っていたが、俺以外は何の事だか分からなかったようだ。
俺は知っている。
ペンギンでの作戦行動中にこの名前があったから。
『テルモピュライの戦い』は、狭隘な地形で大軍を迎え撃つ『防衛有利』の典型的事例で、なんと紀元前五百年の頃の話らしい。
そのテルモピュライ地点を通り過ぎる。
敵の強行偵察部隊をおびき寄せているのは、造った脇道に隠れているポルシェ・ティーガーには伝えてある。
罠を閉じる蓋の役目を果たしてくれるだろう。
「超信地旋回、開始!」
舗装路に入った時点で、横滑りしながら、Ⅳ号戦車が方向転換をする。
俺は、砲塔旋回ハンドルを回しつつ、常にボトルネックに方向に砲身を向ける様にしていた。
仰角は思い切り下げた。
狙うのは地面。
「次弾、また榴弾でいく。瞬発信管で用意しとけ。更にその次は徹甲だぞ」
照準器を覗きながら、装填手のテッケンクラート二等兵に指示を飛ばす。
これは、タイミングが命だ。
一秒でも装填時間が短い方が良い。
Ⅳ号戦車の方向転換が終わり、今は正面装甲を走ってきた林道に向けている状況だ。
「微速後退。ジグザグ走行。足を止めるな!」
ランダムに尻を振りながら、Ⅳ号戦車が後退してゆく。
林道の奥に、M24チャフィのシルエットが浮かぶ。
俺は、拳を突き上げた。
停止の合図だ。
「よし、止まれ!」
それを見て、バッカード准尉が停止命令を出す。
照準器の揺れが収まる。
ギリギリまで、仰角を下げた。
林道の出口のすぐ脇、杉の根本に照準を合わせる。
「目視! くそ、早い!」
駿馬に跨った軽騎兵の様に、M24チャフィが駆けてくる。
俺は引鉄を引いた。
榴弾が飛ぶ。
着弾を確認すらせずに、ハンドルを回して、林道を挟んで反対側の脇に照準を合わせる。
ここにも杉の巨木があった。
「装填完了!」
装填手のテッケンクラート二等兵の声を待って、引鉄を引く。
林道の脇、二本の杉が根本からへし折れて倒れる。
樹冠から大量に雪を降らせ、隣あった杉の小枝を巻きこみつつ、その二本は林道に横たわった。
狙い通り、斜めに交差して林道に横たわる形になった。
「装填完了!」
今度は徹甲弾が装填される。
M24チャフィの履帯の音。
エンジンの響き。
それらが、近づいてくる。
俺たちと、倒木が塞いだ林道の出口までの距離はおよそ百メートル。
戦車戦では至近距離の範疇だ。
「来い! くそヤンクス」
呟いて、照準器に眼を凝らす。
砲火が瞬く。
雪の紗幕をつんざいて、いくつもの砲弾が飛越していった。
やはり、砲手の練度が低い。
恐怖のあまり、装填と同時に、狙いが不十分のまま撃ってしまうのだ。
しかも、新型。調整のためのデータも十分とは言えない。
先頭きって、倒木に突っ込んで来るのは、おそらくこのルーキーたちを指導しているベテラン。
俺は、コイツに二発当て、こっちは、コイツに二発当てられた。
互いに重大な損害は無いが。
トラックではあるまいし、戦車にはたった二本の倒木では障害にならない。
必ず踏み越えて来ると俺は踏んでいた。
障害にはならないが、車体は倒木を乗り越えるために上向く。
車体が上向けば、狙えなかった下腹が見えるということ。どんな戦車でも、下腹の装甲は薄いもの。ましてや、軽量高速の軽戦車。下腹はペラペラだ。
チャンスは一瞬。一発で決めてやる。
息を吸い、息を吐く。そして呼吸を止めた。
俺の殺気が、砲身を伝って、錐の様に伸びてゆく。
倒木を使った急造の鹿砦の影に、迫りくるM24チャフィの息吹を感じる。
奴らの闘志が俺の殺気と絡んで火花を散らすのが、見えたような気がした。
「来い!」
思わず叫ぶ。
倒木が蹴散らされ、M24が跳ねる。
照準器に一瞬だけ、下腹が見えた。
引鉄は、まるで俺の意思ではなくホロリと落ちたようだった。
砲口から、マズルフラッシュ。
砲撃の振動に、砲塔内の空気が震えた。
硝煙の匂い。
鋼が打ち合う鋭い音。
M24チャフィの下腹にボコリと穴が開いて、数メートル片輪で走って、横倒しになった。
「やった! 命中!」
装填手のテッケンクラート二等兵が、思わず叫ぶ。
「後続来るぞ! 次弾徹甲! 装填急げ!」
俺は怒鳴り、照準器を通じて仕留めたM24チャフィを見た。
火喰蜥蜴の舌のように、チョロっと赤い炎が操縦席のフラッペから漏れていた。
燃料が漏れて炎上したのだろう。
機内はあっという間に酸素を吸い尽くされて、灼熱の地獄になったはず。
それが、そんな死に様か、俺にはよく分かる。
アフリカの熱砂の上で、散々見て来た光景だ。
「来るぞ! 全速後進! 出せ! 出せ!」
バッカード准尉が叫ぶ。
ここに留まって、順番に仕留めるという案は却下されたようだ。
一両仕留めたので、実績は充分ということか。
まぁ、『生きのこる』ことが優秀な指揮官ということなら、彼はとても優秀だ。
無理押しをしない。
撃破された僚機を押しのけるようにして、後続が林道を抜けてくる。
こっちは、後進。更に速度は落ちている。
だが、固い正面装甲を向けることは出来ていた。
敵は、側面や背後を取るため、グンと加速してくる。
これが、俺たちの狙いだった。
木材集積所から、なだれ込んできたM24チャフィは八両。
動きが制限される林道は抜けた。
Ⅳ号は、群狼に狩られるばかり……と、見えるだろう。
だが、違う。
ここを、狙い澄ましている砲列があるのだ。
Z陣地の斜面上に。
A陣地とB陣地に。
ゴンゴンと砲声が響く。
ここは、対戦車陣地の死地。
火線の交差地点。
露軍に叩かれた独軍の様に、四方八方から、砲弾が飛んできた。
「俺らに当てるなよ!」
ギャギャギャと雪と地面を巻き上がて全速前進に切り替え、林道に戻りながら、バッカード准尉が叫ぶ。仕掛けが上手く行って、上機嫌だった。
M24チャフィは、斜面上のZ陣地から薄い上面装甲を、A・B陣地からは至近距離の88ミリ戦車砲を浴びて、次々と撃破されてゆく。
俺たちは、その地獄の釜の底からスタコラと逃げていた。
あの、三方からの砲火を生き延びた一両が、追いすがってくる。
ジグザグに走って、尻を抜かれないように回避行動を採る。
砲塔は後ろに向けなかった。
どうせ、側面を取りに来るはずだ。
それを見極めてから……と、思っていたのだ。
反撃の一瞬の遅れで、こっちは大怪我をする。
生き残りは、行きがけの駄賃でⅣ号を喰い、そのまま林道に逃げ込む気だ。
行進間射撃を試みて来る。
地面に砲弾が突き刺さって、砂利交じりの雪がバラパラと側面装甲に当たった。
―― 左を追い越す
そんな意図が見えたので、砲塔旋回ハンドルに手をかけた時だった。
林道を遮るようにして、ぬっとポルシェ・ティーガー現れたのは。
自分に88ミリ砲がピタリと向いているのを見て、M24チャフィが、俺たちを盾にしようと方向転換をする。
「させねぇよ!」
そう呟いて、操縦手のリヒテンシュトーガ上等兵が、同じ方向に急旋回した・
88ミリ砲が叫ぶ。
側面を撃ちぬかれて、M24チャフィが横転する。
こんな至近距離で、強力な88ミリ砲弾を受けては、傾斜装甲など意味は無い。
戦車兵が二人、M24チャフィのハッチから転がり出てきたが、ポルシェ・ティーガーの機関銃で蜂の巣にされてしまった。一瞬も躊躇わない射撃だ。
それをキューポラから頭を出して見ていたサボゥ・シェーンバッハ中尉の顔には、薄ら笑いが浮かんでいた。




