99 一名様ご案内
「ええと、それではわたしもこの辺で失れ――」
「ちょっと待って。仲間を助けてもらったのにお礼もしないで「はい、さよなら」とはできないよ」
「で、でも……」
「ああ、もちろん用があるっていうことなら無理にとは言わないけど。だけど、お礼はしたいから名前と連絡先くらいは教えてもらいたいかな」
リアルなら個人情報の保護だとかプライバシーの侵害だとか言われてしまいそうだけど、こちらにはそんなものはないからね。
何より個々人が携帯端末を持っている訳でもないので、連絡先の把握は必須なのだ。
「あ!いえ、この街には着いたばかりだし、そんな急用があるということではないんですけど……」
女性の話によると、彼女もまた冒険者でありつい先ほど行商人の護衛という依頼を終えたばかりだったそうだ。
そして泊まる宿を探すついでにクンビーラを散策していたところ、ボクの助けを呼ぶ声を聞きつけてやって来てくれたらしい。
「それならボクたちが定宿にしているお店に来ない?雨風さえ凌げればいいっていうところよりは高くつくけれど、その分サービスは行き届いているよ」
宿泊費をタダにしてもらっている身としてはこのくらいの宣伝はしないとね。
ドレッシングにうどんと、食堂の方ばかりが注目を集めている『猟犬のあくび亭』だけど、実は宿屋としてのクオリティもかなり高い。
お忍びとはいえ貴族であるミルファが何の文句もなく居着いているといえば、そのすごさが分かってもらえるだろう。
きっと後悔はさせませんよ。
「ボクたちもほら、衛兵さんに言われた通り大人しくしていないといけないし。それでも気になるなら、さっきのお礼代わりに宿を紹介すると思ってくれていいから」
ついでに先手を打って女性が遠慮してしまいそうな点を潰しておくことも忘れない。
そこまでしたところでようやく女性は首を縦に振ってくれた。
はい、そこ!「抵抗するのを諦めただけ」とか人聞きの悪いことを言わない!
「あ、自己紹介するのを忘れていたね。ボクは<テイマー>のリュカリュカ。種族はヒューマンね。こっちの子たちがボクのテイムモンスターであるエッ君とリーヴ。後、あなたが毒を癒してくれたのがミルファ」
ボクの紹介に合わせてぺこりとお辞儀をするうちの子たち。ミルファの扱いが悪いように聞こえるのは気のせいです。
決して心配させたから仕返しをしている訳ではありませんので、念のため。
「え?その子、たま、ご……?それにそちらの鎧は勇者様?」
「ああ、詳しいことは宿に到着してから話すから」
「あ、はい!分かりました」
「あの、あなたのお名前を聞いてもいいかな?」
「ああっ!?ご、ごめんなさい!わたしはネイトと言います。白狼のセリアンスロープで<マジシャン>をやっています」
慌てて頭を下げるネイトさん。これまでの言動で予想はついていたけれど、気が弱い性格のようだ。一方で、助けを求める声に応じて裏路地にまで入ってきてしまう胆力も持ち合わせているもようです。
つまり、なかなかに魅力的なキャラだといえるね。
その後、ネイトさんを連れて無事に『猟犬のあくび亭』へと帰還する。さすがにこの短期間で続けてイベントは発生しないようになっていたみたい。
リーヴがミルファを背負っていたため、盾役不在だったので一安心といったところだ。
ちなみに、体格差もあって、微妙に彼女の足をズリズリすることになってしまっていた。
「ただいまー」
というボクの挨拶に、頭上へハテナマークを浮かべるネイトさん。まあ、普通はどんなに長逗留していたとしても、「帰った」とか「戻りました」と言うところらしいからね。
ただ、ボクの場合は『OAW』での家みたいなものになってしまっているので、こちらの方がしっくりくるのだ。
「おや?早かったさね。……って、一体どうしたんだい、その有様は!?」
ぐったりとリーヴの背に体を預けているミルファを見て、ミシェルさんが急いで駆け寄ってくる。
「よく見ればリュカリュカも埃まみれじゃないかい」
気絶して地面に倒れていたミルファはもとより、ボクやネイトさんも座り込んでいたため、結構汚れてしまっていたのだった。
「あはははは……」
つい先日、ギルウッドさんとのステレオでお説教されたことが思い浮かんできてしまい、女将さんの剣幕につい誤魔化し笑いをしてしまうボク。
「ちょっと面倒事に巻き込まれてしまったようでして……」
しかし当然そんなことで誤魔化されてくれる訳もなく、出かけてからの出来事を大まかに説明することになったのだった。
「全く、何をやったら街中の、しかも大通りなんていう場所で襲われることになるんだか」
ミシェルさん、それはボクが聞きたいです。
「ともかく、ミルファ様を部屋に運ぼう。ミシェル、服を脱がせてベッドに寝かせるのは頼むぞ」
説明を始めたくらいでやって来ていたギルウッドさんがリーヴの背中からミルファを抱き上げて、宿になっている二階へと向かって行く。
「そっちのお客さんには悪いけど、少しだけ待っていてちょうだい」
「あ、はい。お構いなく!」
いや、そこはお構いされないと。焦っておかしな返答をしてしまったネイトさんだったが、ミシェルさんは特に気にした様子もなくニッコリと笑って料理長の後を追いかけて行ったのだった。
「ふう……。慌ただしくてごめんなさい」
「いえいえ、そんな!でも、随分と宿の人と仲が良いのですね」
「クンビーラに来た日からずっとお世話になっていたから。身内みたいに思ってくれているのかも」
ゲーム内の時間でもかれこれ一カ月くらいたっているんだよね。そして彼女への返事には、そうだったら嬉しいという願望もこもっていたりします。
「……いいですね、そういう関係。少し羨ましくなってしまいます」
「あの二人なら、すぐに同じような扱いをしてくれると思うよ」
さすがにミルファに対しては時々『様』が付いたりとまだ安定していないけれど、その他の常連相手には気安い感じで声を掛けていた。
「でも私はセリアンスロープですし……」
「え?それって関係ないよね?」
クンビーラの街全体で見れば確かにヒューマンが半数以上を占めている。
その影響もあってか『猟犬のあくび亭』にやって来る人は宿泊客、食事客を問わずヒューマンの割合が多い。
だけどそれは、セリアンスロープやピグミーの常連客がいないということとイコールではないのだ。
実際にボクも同じ宿泊客同士ということで、セリアンスロープの旅人と仲良くなったこともある。吟遊詩人として気ままに大陸のあちこちを旅していると言っていた彼は、今頃どんな空の下を歩いているのだろうか?
「ネイトさん、セリアンスロープだからという理由で差別されたことがあるの?」
不躾だとは思いながらも重要なことだと直感的に察知したボクは、迷うことなくそう口にしていた。




