98 路地裏の奇跡
抱きしめたミルファの体がどんどんと冷たくなっていく。
命がこぼれていく感覚に怖気が走る。何もこんなところまで作り込まなくてもいいだろうにと、運営に対して恨み言を言いたくなってしまう。
散々楽しんでおいてと突っ込まれそうだけど、それはそれというやつだ。
既にHPを回復させるアイテムは、残っていた初心者用の回復薬に至るまで全て使い切ってしまっていた。
「誰か!誰かいませんか!」
叫び過ぎて喉が枯れ果ててしまいそう。時折むせ返りながらも、それでもボクは彼女の命を繋いでくれる人を求めて声を上げ続けていた。
こんなことなら難易度が高いと分かっていても解毒薬を〔調薬〕で作っておくのだった。
周辺には毒持ちの魔物がいないことや、材料の一部が購入することでしか手に入らなかったこともあって後回しにしていたのが裏目に出た形となってしまった。
溢れてくる涙を乱暴に拭い、今できることを考える。
が、事態を好転させるような名案が早々浮かんでくることなどあるはずもなく、結局は助けを呼び続けることしかできないのだった。
だからきっと、それはとても幸運なことで。
「あ、あの……。だ、大丈夫ですか?」
ふいに飛び込んできた言葉に顔を上げる暇も与えず、その人はボクの向かいへと座り込んでいた。
「ど、毒を受けて……。治らないの」
辛うじて彼女の容体を伝えたボクの声は、失うことへの恐怖で震えていた。
「毒……。で、できる限りのことをやってみます!」
自信に満ち溢れた力強いものとは到底言えないものだったけれど、その一言はひび割れそうになっていた心に沁み入ってくるようだった。
脇に置いていた杖を手にして立ち上がると、キラキラとした燐光が漂い始める。薄暗い路地の中ということもあって、その光景はことさら神秘的に見えた。
その頃になって、ボクはようやくその人が女性であることに気が付いた。
銀にも見える白い髪が下からそよ風を受けているかのように、または無重力空間のように広がっている。
そして何より特徴的だったのが、頭頂部付近にぴょこんと飛び出していた二つの耳だった。そう、彼女はセリアンスロープだったのだ。
セリアンスロープと言えば、キャラクターメイキングでの基本的な魔力の値が一になる――ボーナスポイントを割り振ることはできる――という超絶的に魔法系技能に向いていない種族だ。
さらに熟練度上昇も他の種族に比べて遅いとされていて、プレイヤーの中ではセリアンスロープの<マジシャン>というとネタキャラの代名詞のような扱いとなっているほどだった。
まあ、これらのことを思い出したのは全てが終わったとのことだったのだけど。
この時はただただ、ミルファを助けて欲しいとだけ願っていたように思う。
周囲を取り巻く燐光が強くなったところで、セリアンスロープの女性はカッと目を開く。
「聖なる息吹よ、彼の者の穢れを取り除け。【キュア】」
祈りの言葉のような台詞を口ずさむと、両手で持っていた杖をボクたちの方へと傾けた。すると女性の周囲で踊っていたはずの燐光がミルファの体の中へと入り込んでいく。
「くぅ……」
「ミルファ!?」
体内の毒素が消えていく影響なのか、燐光が入り込んだ瞬間小さく呻く。
が、それもすぐに治まり、あえぐように浅く繰り返されていた呼吸と合わせて、落ち着いたものへと変化していったのだった。
「良かった。魔法が効いたようです」
そんなミルファの様子に安心したのか、腰が抜けたかのような勢いで情勢はペタンと地面に座り込んだのだった。
「……毒は抜けてしまっていますから、後は安静にしていれば目を覚ますと思います」
「ありがとう!」
軽く診察を終えて、こちらに微笑みかけてくる女性へと感極まって抱き着いてしまうボク。
「あわわっ!?」
「むぴょ!?」
当然、ボクの膝の上に乗っていたミルファの頭は地面へと落っこちることになり……。驚く女性の声に重なるようにして、謎の悲鳴が発せられたのでした。
そんな時、ドタドタという複数の足音響かせて数名の鎧を身に着けた人たちが現れた。
その先頭にはリーヴの姿もある。どうやら、集まって来た衛兵隊の人たちを案内して来てくれたようだ。
「リュカリュカ君、大丈夫かね」
代表して尋ねてきたのは、衛兵隊の小隊長さんだった。何度か護衛と称して採取のために街の外に出たボクたちに同行してくれたこともあったので、すっかり顔見知りとなった一人でもある。
「あ、はい。先走ったミルファが毒を受けたけど、こちらの方のお陰で助かりました」
そう言って、抱きしめたままになっていた女性を紹介する。
ちなみに、当のミルファはボクの膝から落ちた時に頭でも打ったのか、「うきゅう……」と何やら可愛らしい鳴き声を上げながら目を回していた。
漫画とかなら確実に目が渦巻きになっているところだね。だけど、こんな暢気なことを考えていられるのも【キュア】をかけてくれた女性のお陰だ。本当に感謝してもしたりないよ。
「んなっ!?毒だと!?」
一方で、衛兵隊の皆さんは毒物と聞いて険しい顔つきになっていた。まあ、白昼の街中で堂々と襲撃した上に毒物まで使用していたとなれば、そうなるのも当たり前かな。
ところで、少しはミルファの心配もしてあげようよ。現公主様の従姉妹に当たり、その上宰相の娘で次期侯爵夫人になるですよ?
……うん。こうして並べてみると設定盛り過ぎ。
「すぐに騎士団にも連絡を入れろ!」
「ああ、大丈夫ですよ。襲撃者だと思われる不審人物ならやっつけましたから」
急いで動き出そうとする衛兵隊員たちを宥めて、【ピアス】でぶっ飛ばした男の方を見やる。
石突きでの突きと、壁に背中を強かに打ち付けた痛みでイモムシ状態だった不審者は、逆らう事もできずに衛兵隊に引っ立てられたのだった。
あ、リーヴが発見してくれていた凶器も一緒に渡しておいた。ボクたちが持っていても仕方のない物だから、捜査に役立ててもらえるならその方がいい。
ちなみに、投擲専用の小型のナイフのような形状をしていた。
「仲間がいないとも言い切れないから、我々はまず騎士団と合同でクンビーラ内の警戒に当たる。悪いが今日一日は『猟犬のあくび亭』でじっとしていてくれ」
「ミルファもまだ目を覚まさないから、それは構いませんけど……。詳しい話とかしなくてもいいんですか?」
「お前さんなら逃げるようなことはしないだろうからな。後で宿に聞き取りをする者を向かわせるから、しばらくは休んできてくれ」
そう言い残すと、残る衛兵隊の人たちも去って行ってしまった。
ボクたちと、ミルファを癒してくれた女性を残して。
この時はまさかこの女性、『大地の聖女』こと白狼のネイトとこれから長い時間を一緒に過ごしていくことになるとは考えてもいなかった。




