913 窮地、そして……
頭が真っ白で何も考えられない。苦しい。息ができない。このまま嫌なものに押しつぶされてしまいそうだ。
「優ちゃん、あのね、引きこもるのもアリだと思うよ。もう我慢できないとか、こんなの耐えられないなんてことがあった時には、自分の心の中にひょいっと逃げ込んじゃえばいいの」
「心の中?……なんだかとっても高等技術っぽい気がするんですけど?というか里っちゃんが言う引きこもりって絶対ボクが想像してるのとは違うものだよね!?」
あれ?これっていつの時の記憶だろう?全然覚えていないのですが?……だけど、そうか。心の中に逃げ込めばいいんだね。
……いやいやいやいや。というか既に逃げ込んでいませんか、ボク。いつの間にか息苦しさとか圧迫感とかが全てなくなっているよ!?
うーむ、これもVRを体験している影響なのかしらん?
運営に報告した上で、しっかり調査とかしてもらわなくてはいけない案件じゃないでせうかね?
まあ、それもこれも全部終わってからのことだ。今はせっかくなのでこの状況を最大限利用しないとねえ。もちろん調査の一環ですとも。報告するにしても詳しく説明できないといけないもの。いやー、もしも不具合とかバグが原因だとすれば心苦しいなー。
ばっちり自己弁護もできたところで改めてボクの精神状態を確認してみますと……。あれだけパニック症状を引き起こしそうになっていたのに、嘘のように落ち着いていた。
感情の方はというと、こちらもなくなってしまった訳ではなく、吹き飛ばされるミルファのことを思い出すと怒りで身体の奥がカッカと熱くなってくる。ただし、それを冷静に見つめているもう一人の自分がいるような、なんとも不思議な感覚だ。
あれ?これって割と理想的な状態じゃないかしらん。激情とすらいえる怒りなどの強い感情は行動の原動力ともなる一方で、動作を単調なものにしてしまったりという欠点も併せ持っている。いわゆる「頭に血が上った」というやつだ。
ところがどっこい、今のボクはそうした感情に押し流されずに冷静さを保ち続けていた。つまり感情を上手くコントロールできていたという訳。今なら半分遊びで練習していたあれやこれやもできてしまいそうだ。
「リュカリュカ!ミルファの治療は任せてください!」
その瞬間、ネイトの叫ぶような声が聞こえてきた。心の内への引きこもりをやめたから届いたのか、それともその声が契機となって閉じていた心が開いたのか。いずれにしてもボクの意識は現実へと――いや、まだゲームの中ですけどね――帰還したのだった。
ネイトは治療と言っていた。ということは最悪の事態には至っていないということだ。得られた情報を元にボクを含めて全員がやるべきことを頭の中で組み上げていく。
「了解!ミルファのことは頼んだよ。それとボクがこいつの攻撃を引き付けるから、みんなは責めるのに集中してちょうだい!」
指示を出しながら前進して一対一で悪霊に相対する。ただ一つこれまでと違うのは、ボクの両手には龍爪剣斧と牙龍槌杖がそれぞれ握られていることだった。
装備品の補正効果狙い?
いえいえ、今回はどちらもしっかり使っていきますよ。一人で悪霊の相手をするためには手数が必要になるからね。その対策という訳だ。
「まあ、残念ながら技能は生えてきていないんだけどさ」
訓練中の時のことを思い出して思わず苦笑してしまう。
遊びの延長的な面が大きかったとはいえ、〔二刀流〕の技能持ちであるミルファに指導を受けることであわよくば技能を習得できたりしないかな?とか考えていたのだが、さすがにそこまでは甘くはなかったのでした。
「それでも、お前の攻撃くらいは全部さばききって見せようじゃないのさ!」
挑発と同時に自信に喝を入れる。ボクが押し負けたらその時点でこちらは瓦解してしまうことになる。ここが正念場だ。
何度か壁役の手伝いをしていたとはいえ、それは仲間たちとの協力があって成り立っていたことだ。そんなボクが一人きりで前に出てきたことを不審に思ったのか、悪霊からの最初の攻撃は様子見な印象の強い、はっきり言えばなめられたものだった。
「はんっ!遅過ぎだね!」
軽くステップを踏むように右前方へと飛び跳ね、迫りくる右の拳と交差する瞬間に左手に持った牙龍槌杖で親指の付け根辺りを痛打してやる。
未だ宙にいたボクはその反動を使ってさらに移動し、着地後もその運動エネルギーを元に駆け出すと肉薄した状態から悪霊の左胸を龍爪剣斧の剣先で深々と刺し貫く。
生き物なら致命傷になりそうなほどの一撃だが、残念なことに相手は悪霊だ。反撃のきけんがあるためすぐさま距離を取る。
「随分腑抜けたパンチだったねえ。もしかして一人脱落させたくらいでもう勝ったつもりでいたの?お生憎様、お前を倒す手はまだまだあるんだよ」
ふふん!と笑ってやると、怒り心頭になったのかふるふると小刻みに震えだす悪霊。
自我が薄くなっているはずなのに、挑発に弱いのはどうしてなのだろうね?元王様だからプライドが高いとか?それとも周りにイエスマンしかいなかったから罵倒とかに免疫がないのかな?
どちらもあり得そう。そしてどちらにしても扱い易くてボクとしてはどんとこいだ。二本の武器のどちらも剣の根元ギリギリの位置を掴み、後方に伸びる柄を脇に挟んだ構えを取る。ここからはどれだけ素早くコンパクトに、そして的確に動けるかが勝負の鍵になってくる。
そして、一瞬たりとも気の抜けないやり取りが始まった。
得物の都合上、悪霊の攻撃を正面から受けることはできない。それではどうするのかというと、受け流すのだ。ミルファの得意分野だね。ただし、既に述べたように彼女の細剣は大質量とは相性が悪い。
「よいしょっ!」
しかし、その点ボクが手にしているのは改造型とはいえハルバードだ。斧部分はかなりの頑丈さを誇る。それでも巨大な拳の軌道を変えられるほどの力はなかった。
「それっ!」
そこで発想の転換。あちらが動かないのならばこちらが動いてしまえばいい。つまりは最初の攻撃をかわした時と同じやり方だね。まあ、後ろを気にする必要がなかったり、自分一人のことだけを考えておけば良かったりと使いどころは限定されてしまうのだけれど。
その分、状況が噛み合えば強力な手札になるのだった。
〇ちょびっと補足
最初に、今話のリュカリュカちゃんは別に真の力に目覚めた訳でもなければ、新たな力が覚醒したわけでもありません。
前半の精神的な部分ですが、ミルファがやられたことに起因する過度なストレスによって極限状態となり思考が加速したようになっていました。これは一種の走馬灯が見えるようなものであり、人間が元々備えている能力が一時的に表出した状態です。
VRを体験していることの影響は、少しくらいならあるかも?といった感じです。
後半の二刀流は本編内に記述があった通り、練習の成果です。ただし好調な精神状態が影響して実力以上の力が発揮できています。
素の力だと〔二刀流〕技能持ちのミルファと模擬戦をした場合、勝率はソシャゲでの最高ランクのキャラやアイテムの入手確率くらいしかありません。……せめてピックアップは仕事しろ!




