824 一つ……、いや二つ追加で
「縁があってボクたちは『泣く鬼も張り倒す』のお二人と知り合いなのだけど、その二人ですらまともに意識の残っている死霊と出会ったことはないそうだよ」
ついでに言うとクシア高司祭も同じで、これまでに遭遇した死霊は全て愛用の杖――というより、むしろ棍――の一撃でお祓いしてきたと笑いながら話していた。なんとも武闘派な高司祭様です。
ちなみに、『七神教』では神官となるために修業が義務付けられていることもあって、多くの人が冒険者として登録されていたりするのだとか。うちのネイトも似たようなものなのかもね。
アンクゥワー大陸でも有数の実力を誇る三人が見たこともないとすれば、それはすなわち生前の記憶や意識をまともに残している死霊なんてものは存在しないということではないかと思う。
「死霊なんてものに夢を見るのは止めた方がいいんじゃないかな。それに食事する必要がなくなったら研究の成果を確かめることができなくなるよ」
三度目を見開いて驚くナンナ女史。いや、だからどうしてそのことに気が付かないかな。専門分野については詳しいけれど、それ以外は全てポンコツというタイプなの?
「理解できたなら食事に行くよー」
「ま、待って!今の時間からだと男どもが酔っ払っているような店しか開いていないわよ」
ここまでのやり取りで結構な時間を浪費してしまったからねえ。食事よりもお酒がメインの時間帯となってしまっている。
「それなら大丈夫。『子犬の尻尾亭』の店主さんに事情を話して特別に食堂を開けてもらっているからね」
「『子犬の尻尾亭』?今あそこに居候している彼の料理は確かに美味しかったし興味深かったけれど、もうほとんど食べ尽くしてしまったわ。今さらあそこで食事をする意義が見いだせないわ」
うわあ……。何とも研究バカ極まれりな台詞だねえ。だけど、これで急に食事に出てこなくなった理由が分かったかな。もっとも、同意できるかどうかと問われれば、ノーの一択となるのだけれど。
こうなると場所だけ借りたのは正解だったのかもしれない。先見の明によるものだとかキュピーンと閃いたのであればカッコよかったのかもしれないが、実際のところは単なる偶然だったりする。
ともかく、彼女を連れ出すための最終兵器を使うことにしますか。
「そっちも問題ないよ。あなたに食べてもらうのはこれらを使った料理だから」
アイテムボックスからドン、ドドンと大量のほにゃららカツーー豚に似た魔物のお肉らしいーーが載せられた大皿に、これまたたっぷりのスープが入っている大きな寸動鍋を取り出す。あえて完成品を出さなかったのは前者は見た目のインパクトで視線を逃がさないため、後者はかぐわしい出汁の香りで食欲を刺激するためだ。
情報を小出しにして焦らせたい気持ちがなかったとは言わないけれどね。
「ここで振舞っても良かったのだけど、それだと依頼が未達成になっちゃうからナンナさんには『子犬の尻尾亭』まで出てきてもらうよ」
もし嫌だと言っても、引きずってでも持ち上げてでも簀巻きにしてでも連れていくから。まあ、カツを凝視している様子から、その心配は必要なさそうではあるね。形のいいお鼻もぴくぴく動いているもの。
揚げ物は大量の油が必要になる上に何度も使い回しをしていると質が落ちてしまう。スープの方も複数の乾物を用いた合わせ出汁にソイソースを加えた特製の物だから香りだけでも複雑で重厚だ。
調味料の研究のためにある程度は料理にも精通していただろうから、彼女がこれらの品に反応するのは予想通りだった。
こうして、ボクたちはようやくターゲットを学園の敷地外へと連れ出すことに成功したのだった。
……あ、扉の修理代どうしよう?
さすがに学園からの移動で妙な騒動に巻き込まれるようなことはなく、無事に『子犬の尻尾亭』へと到着する。が、ミスター面倒事は既に先回りをしてその場に居座っていた。
「俺にもその料理を試食させて欲しい。ナンナさん、構いませんよね」
「え、ええ。私は構わないのだけれど……」
ナンナ女史から向かってくる困ったような視線をそのまま店主さんへと流す。説明して。
「あー、彼がここしばらくうちの厨房を預かってくれているリッドだ」
厳しい顔つきは変わることはなかったが、紹介を受けてぺこりと頭を下げるリッドさん。年の頃は二十代の前半くらいかしら。今年二十歳になる里っちゃんとこの一也兄さんよりは年上に感じられた。
大陸最高峰の呼び名の高いパーイラの学園で研究者をしているナンナ女史もすごいけれど、旅先で厨房を任されるだけの腕を持つ彼も相当なものだと思う。
それ以上に気にかかるのが、どこか見覚えのあるお顔なのよね。ミルファとネイトも同じなのか、しきりに首をかしげていた。それはともかくとして、どうしてそんな人がここにいるのだろう?試食したいとか言っていた?
「あー、すまない。彼女がやって来るのに料理はいらないと伝えたことで、かえってどんなものを出すのか気になってしまったようでなあ。悪いが付き合わせてやってくれないか。代わりに今晩うちに泊まってくれるなら半値でいい」
「その話乗った!」
あの二人組に強制連行させられてしまったから、今日のお宿すらまだ決まっていなかったのよね。建物の雰囲気も店主さんの人柄も悪くない。半額で泊まれるのであれば、しかもその対価がカツうどんを一杯多く出すだけとなれば、乗らない手はないでしょう。
「あ、できるならリッドさんの作るご飯も食べたいです」
「俺の?まだ後片付けやら掃除が残っているから、厨房の火は完全には落としていなかったが……。君たちの料理には劣るかもしれないぞ?」
「そんなことはないと思いますけどね。さっき立ち寄った時もいい匂いでお腹が鳴りそうだったもの」
お世辞でもなんでもなく、リアルであれば間違いなく「きゅう」と可愛らしいお腹の鳴き声が聞こえていたことだろう。
「そういうことなら少し待っていてくれ。あ、ナンナさんはお先にどうぞ」
「いいえ。一人で食べても味気ないもの。私も待っているわ」
そしてこの流れで店主さん一人を返すわけにもいかず、もうすぐ深夜という時間帯に合同試食会が始まることになったのだった。
太る心配や生活習慣が乱れを気にする必要がないゲームの世界で良かった。




