822 新作は見知った料理でした
『子犬の尻尾亭』に居候している旅の料理人、彼の料理とはスープの中に小指半分ほどの太さの麵が浸されたものだった。
「うどんじゃん」
「おや?よく知っていたね。数カ月ほど前に北にある『自由交易都市クンビーラ』で開発されたらしくてね、この街にはしばらく前に伝わってきたばかりさ」
「ええ、まあ、それなりによく知っておりますデス、ハイ……」
まさかここでうどんが登場してくるとは完全に想定外だったわ。ミルファとネイトも同じだったようで、口元に手を当てることで驚きの声がもれるのを防いでいた。
さて、こちらに伝わってきたのはいわゆる「かけ」のうどんで、クンビーラでは不動の一番人気を維持し続けている「カツうどん」の存在は知られていないようだ。その分、独自のアレンジで豪快に焼いた分厚い肉や、ゆでた温野菜などがトッピングとして乗せられていた。
スープの方はソイソースがベースとなっているようだけれど、ちらりと見えたものは結構濃い色合いだったので出汁などで割ったりはしていないのかもしれない。
とにかくこれは朗報だ。厨房に無理を言ってテイクアウトをしなくても、ナンナ女史を研究室からおびき出すことができる可能性が高まってきたよ。うどんならこちらに一日の長があるし、なんならアイテムボックスの中に入っている『猟犬のあくび亭』の料理長ことギルウッドさんの作った料理をお見舞いするという裏技だって使えてしまうのだから。
「ふっ。勝ったね」
ついついフラグっぽいことを口走ってしまったのも仕方がないというものでしょう。再度店主さんに食堂の時間延長だけをお願いして学園へと出発だ。協会と学園が共同で制作している「研究者たちの食事状況調査書」によれば、ナンナ女史は断食三日目に入っているらしい。
おびき出す当てができたからには、次はターゲットの無事?を早急に確認しなくては。
それにしても、ちゃんと食事をしているのかを調査されているとか、研究者の人たちは子どもか!と言いたくなる。いや、食欲を無視したりはしない子どもよりもひどいか。
「ほにゃららと天才は紙一重だってよく言われてるけど、パーイラの研究者たちも正にそれだよねえ」
「以前、学者を名乗る方の野外活動の護衛を行ったことがありますが、その人も熱中すると完全に周りが見えなくなっていましたよ」
ネイトがその昔に行った護衛というのは、薬草研究家が野草を観察、採取している間中の安全を確保しなくてはいけないという、なかなかの難題だったそうだ。集中力が高いとか一つのことに没頭している状態というのは、裏を返せばそれ以外のことはすべて除外しているということでもあるのだ。
その点同じ天才の呼び名が高いうちの従姉妹様の場合、集中しながらも周囲を伺う余裕を常に持ち続けている。いわゆる「本物」というのは、あの子たちのような人たちのことなのかもしれない。
しかし、「典型的な天才」というのも矛盾した言葉だよねえ。そもそも天才とは、一般人の枠にとらわれない人たちの別称の一つなのだから。
愚にもつかない会話をしているとすぐに目的との学園へと到着した。門番に例の依頼書を見せるとあっさりと通してもらえた。ちょっぴりセキュリティが不安になる対応だったね。それだけ研究者たちのご飯ぶっちぎり問題が、深刻だということの証拠なのかもしれない。
学内の案内板によると、ナンナ女史の研究室は棟から少し離れた位置にある小屋になっていた。これは別に彼女が嫌がらせを受けていたり差別されていたりする訳ではない。調味料の研究という内容から、良いも悪いも様々なにおいが発生するために隔離されている、というだけの話なのだ。
しかも当人は、多少騒がしくしても文句を言われることもないし、嫌いな男の顔を見る機会も減って万々歳!と喜んでいるらしい。
間違いなく濃ゆーい人物だわ。
その小屋へとやって来てみれば、周囲にはこれでもかと言わんばかりに植物が生い茂っていた。
「植物がはびこっているのはロープが張られている中だけのようですわね。そうすると、これは一応菜園?もしくは畑ということになりますの?」
「ちょっと待ってね。……あ、ミルファ正解。これ全部食べられるタイプのハーブだよ」
技能を使って鑑定してみれば、リアルでも聞いたことのある名前が次々に表示されたのだった。
「んー……。さすがに香辛料系は少ないか……」
残念ながらカレーの再現は難しい模様です。まあ、他にもラーメンからお寿司までメイションに行けば何でも食べられるから不満がたまっているほどではないのだけれど。
「二人とも、安全だと分かったのですからまずは仕事ですよ」
ネイトに促されて入り口の扉をコンコンコンコン。
「冒険者協会から参りました。ナンナさん、ご飯を食べに行きましょう」
ここで「食べましたか?」などと尋ねても「食べた」と噓を吐かれるのがオチだからね。証拠は挙がっているのだから有無を言わさず要件を突きつけます。しかし扉の向こうから帰ってきたのは、
「放っておいてちょうだい。今、研究がいいところなのよ」
ありがちなでつれないものだった。まあ、これ自体は予想していたからびっくりすることもなければショックを受けることもない。当然これで引き下がるつもりもありません。
「そうはいきません。もう三日もまともな食事をしていませんよね。打ち込むのは結構ですが体を壊してしまっては元も子もありませんよ。死んでしまったら研究もできなくなりますよー!」
「……うるさいわね。いっそ飲まず食わずでもいられる死霊になる方法でも探そうかしら」
カッチーン!例え冗談だったり売り言葉に買い言葉だったりだとしても、今の一言は聞き流すことができませんねえ。
「なーにをふざけたことを言っているのかな、この引きこもりは!」
ガン!と豪快な音を立てて丈夫な木製の扉が小屋の中へと吹っ飛んでいく。容赦も手加減もなく蹴りつけたからね。能力値は平均的に成長させているとはいえ、もうすぐ三十レベルになろうとするボクの力は常人に比べてはるかに高いのですよ。
そのけたたましい音には度肝を抜かれたようだ。室内にいた二十代くらいの女性が座っている椅子ごと振り返るような姿勢で固まっていた。
「……ふむ。ギャグ重視のシナリオであれば蹴り込んだ扉の下敷きになって「ぐえ……」とか「きゅう……」とか言っていたところだね。良かったねえ、お姉さん。シリアスな展開でさ」
冷ややかな笑みを浮かべながら絶対零度な視線を向けてあげると、ナンナ女史は「ぴ!」とひきつった悲鳴をもらしたのだった。




