821 受けたからには成功を目指します
成り行きでナンナ女史なるお人のお世話という緊急依頼を受けることになったボクたちだけれど、この依頼には達成のネックとなる項目が二つもあった。
まず、成功条件の一つともなっている「研究室から連れ出す」という点。
これは最初期に食事をそれぞれの部屋に持っていくだけ、というずさんな方法で依頼をこなしたと主張する冒険者が横行したためで、その対策として盛り込まれるようになったそうだ。寝食忘れて研究に没頭するような人が、配達されたからといって食事に手を付けるはずがないでしょうに……。
もっとも、今では人目に触れることでその人物がちゃんと生きて存在していることの証明になっているそうで、今後もこの条件が削除されることはないだろうとのことだった。
次に、時間制限がある点。もっともこちらは本日中ということなのでまだ六時間強はある。それこそ男性二人組のように複数を同時に受けているのでもなければ、今の段階ではそれほど切羽詰まっているものではないかな。
とはいえ、予想よりも早くターゲットの体力に限界がおとずれるといった可能性もある。のんびりと構えてはいられないだろう。
「えっと、ナンナ女史について教えて欲しいんですけど」
「構いませんよ。簡単なプロフィールは学園から公開されていますし、それ以外でも必要そうであればお答えできます」
協会職員のお姉さんにダメもとで尋ねてみたら、良い意味で予想を裏切る答えが返ってくる。
現状、男ということでファーストコンタクトすらできなかった二人組よりはマシとはいえ、反対に言えばそれだけしかできないということでもあるのだ。少しでもその先につなげられるようターゲットについての情報が必要なのよ。
「彼女はどういった研究しているんですか?」
種族に大まかな年齢といった基礎的なデータはどれも重要ではあるけれど、やはりこれを知っておかなければお話にならないでしょう。
「新しい調味料の開発だそうですよ。ソイソースをご存じですが?何でもそれに似て非なるものなのだとか。あとは、それに付随するプロジェクトも進行中という噂もありますね」
お姉さんの説明のうち、後半は頭に入ってはいなかった。
だって、ソイソースに似て非なる調味料ですよ!絶対お味噌に決まっているじゃないですか!
「へ、へえ。ボクも料理をするのでそれは興味深いですね。そういえば、行きつけのお店というか、よく連れて行っていたお店はあるんですか?」
震えそうになる声を抑えながら相槌を打ちつつ、必要になる情報を集めていく。
「最近のお気に入りは『子犬の尻尾亭』のようですね。冒険者や旅人向けの宿が本業ですが、食事だけの提供もしているところです。少し前から旅の料理人の方が逗留されているそうで、一段と食事の味が良くなった、なんて話を聞いたことがあります。ただ、客層が客層ですのでとてもではありませんがお上品とは言えないようでして。酔客が絡んできてトラブルになりかけたこともありました」
クンビーラで定宿にしている『猟犬のあくび亭』と同じような形態みたいだ。ただし、あちらは元騎士団長が料理長な上に、公主様夫妻がこっそりとやって来たりしていたからなあ。治安的な面では雲泥の差があると思った方がいいだろうね。
あ、本日中と言っても食堂の営業時間も考えておかないといけないよね。何とかしてターゲットを研究室から連れ出せたとしても、食べさせるものがなくてはお話にならないもの。これは先に『子犬の尻尾亭』に行って、特別に時間を延長してもらうなり料理のテイクアウトをお願いするなりといった話をしておくべきかしら?
こちらにはアイテムボックスがあるから料理の持ち運びは問題ない。実際にボクの持ち物は『猟犬のあくび亭』で作ってもらった料理が大半を占めているくらいだ。
「とにかく、先に『子犬の尻尾亭』に寄って話を通してから、学園にいるナンナ女史のところに行ってみます」
「お願いします。そちらをを見せれば件の依頼を請け負っていると分かりますので、学園への出入りはもちろんのこと、この街の住人であれば多少の便宜を図ってくれると思います」
お姉さんが指さしたのはボクの手元にある依頼書だった。やけに内容が詳しく書かれていると思ったら、そういう使い方ができるようになっているのね。
それにしても多少なりとも住人たちが便宜を図ってくれるほど、学園は街に溶け込んでいるのだね。まあ、研究から生まれる新技術や新商品の利権を手放したくないだけなのかもしれないけれど、そこは持ちつ持たれつといった関係なのだろう。
善は急げとやってきた『子犬の尻尾亭』の食堂は、予想した通り雑多な活気のあるお店だった。決して下品という訳ではないのだけれど、上流階級向けとは絶対に言えない雰囲気だわね。よーく耳をすませば下ネタの一つや二つくらいは聞こえてきそうだ。
「お客も八割がたは男性だし、男嫌いの人がよくやって来られましたよね」
「そこはまあ、うちとしても驚いたところだよ」
思わず口をついた感想に苦笑いしながら追随する店主さん。すでに彼には依頼書を見せてボクたちの事情は説明済みだ。
「で、君たちの要望は店を閉める時間を伸ばして欲しいということなのかい?」
「いざとなればボクたちで何とかするので、最悪場所だけ貸していただければと思うんですけど」
「大抵は酔いつぶれた客を部屋を誘導したりしているから、多少の延長は問題ないよ。だけど、肝心の料理はどうするのかね?」
「アイテムボックスがあるので、あらかじめお預かりさせてもらえませんかね」
「うーむ。それはうちの料理人が何と言うかな……」
店主さんの話によると、最初の数回はともかくここしばらくは調味料の研究をしているナンナ女史のために臨時で働いている料理人が独自に研究している料理を提供していたのだそうだ。
「料理人にとって独自性のある料理は世を渡っていくための武器みたいなものさ。特に彼は修業のためにあちらこちらを回っている身だからなあ。その場で食べて味を再現されてしまうなら仕方がないと諦めもつくが、こっそり研究されてしまうかもしれない目の届かないところに持ち出されるのは承諾しかねるよ」
いたって正論なだけあって反論できませんな。ところで、それってどんな料理なのだろう?そんな場合ではないとは理解していても、ちょっと気になってきたよ。
「ああ、それならあれだよ」
店主さんの視線の先、給仕の女性が運んでいるのがそれらしい。
……うどんじゃん。




