777 泳げリュカリュカちゃん
すりーせぶん! ですが特別編などはなくいつも通り本編をお送りいたします。
ウィスシーの水中は驚くほどに澄んでいた。
岸からほど近いとはいえ十メートルはあるだろう湖底まで光が届いてしっかり見えているし、さながら水源地に近い清流の中に居るかのようだった。
街のそばとなると生活排水などでどうしても汚れてくるものだと思うのだけれどねえ。
ゴーストシップサルベージ社の副業が盛んでそれなりの収益を挙げられているのは、そうした生活排水の影響で港周辺が栄養豊富になっている証拠なのだと思っていたのだけれど。
いくら中世っぽいとはいえゲームの中のふぁんたじーな世界だから、リアルの理屈は通用しないということなのかしらね。
そうなると当然、一緒に水の中に入った皆の姿も良く見える訳でして。パステルピンクの水着を着たミルファとネイトは視界にさえ入ればその存在を見失うことができないくらいに目立っていた。
肌色面積は少なめとはいえ、普段に比べれば雲泥の差の露出度だ。その上体の線はもろに出るからメリハリの効いた体型があらわとなっていたのだった。
うん。眼福だわね。ちなみに、ボク自身も同じ格好をしているということは記憶の彼方に大暴投中でございます。
おっと、いつまでも目の保養をしている訳にはいかない。漂流防止のための綱を掴みながら、先導してくれているビンスの後を追って湖底近くまで潜っていく。
目標地点へと辿り着くとクルリと体を反転させて立ち泳ぎのような体勢へ。こんなことまで苦もなくできてしまうのだから、ゲーム的な補正があるとはいえこちらの世界の身体の性能の高さを改めて実感する。
最後尾についていたベンがやって来ると、そのままある方向を指さす。
その先にあったのはバーゴの街の遺跡、その水中部分だった。数メートル単位の高さと幅で階段状に広がっているそれは、水上の部分とは比べ物にならないほど巨大だ。これならば内部にもかなりの空間がありそうね。
それはともかくとして、ボクたちは三人で一度顔を見合わせてから、ビンスとベンに首を横に振ることで返事をした。
実は彼らが指をさした場所にこそ遺跡への隠し通路の入り口がある、らしい。
いやはや、事前に教わっていたのだから見つけられるか少なくとも違和感くらいは察知できるだろうと踏んでいたのだけれど、さっぱり分かりませんのことよ。
入口は蓋をされているようなこともなく、ぽっかりと口を開いているというのだが、目を凝らしてみても壁が続いているようにしか見えない。
その隠蔽度合いの高さに衝撃を受けていると、くいくいと手に持った縄が引かれるのを感じた。
見るとベンが上、水面へと視線を向けている。
ふむ……。まだ余裕はあるがいったん戻っておくべきかな。ボクが頷いたのを合図にして、各々体の力を抜くようにして徐々に浮かび上がっていくのだった。
「これは完敗だわ。全然さっぱりばっちり入口があるようには見えなかったよ。むしろ二人はよくそれを発見できたね?」
浮き輪代わりの丸太のようなものに全員で取り付いてぷかぷか浮かびながら疑問を口にする。
「まあ、ぶっちゃけ偶々だよな」
「あの時は獲物にそっと接近しようとして、遺跡のすぐそばまで行ったから気が付けたんだ。さっきの場所からなら俺達でもまったく分からねえよ」
先ほどの場所付近が遺跡への最接近距離なのだとか。別に誰かが決めた訳でもなければ破ったところで咎められるようなこともないのだけれど、暗黙の了解的な調子でバーゴの住人に浸透しているのだそうだ。
「チャレンジャーだねえ」
得てして明文化されている規則よりも、そうした心を縛り付けるような決まりごとの方が破るのは難しかったりするものなのだ。禁足地などはその典型だわね。
そしてだからこそ物事へ夢中になりがちな子どもが違反してしまいがちとなる。物語の導入などにもそれなりの理由があるものなのだ。
ビンスたち二人のやんちゃはさておき、せっかく潜ったにもかかわらず、こうして水面へと戻ってきているのは、実は予定通りの行動だったりします。
先日の話し合いの結果、さすがに本番一発勝負というのは事故が怖い、ということになったのだ。
そこでまずは下見と体力の消耗具合を確認するため、隠し通路の入り口がある深さまで潜ってみることになったのだった。
「さっきの時間の三倍くらいまでなら、水の中に居られそうかな」
「同じくですわ」
「わたしもそのくらいまでなら息が続きそうです」
ボクの感想にミルファとネイトが同意する。大体先ほどの潜水時間が一分を目安にしていた。これは隠し通路を通り抜けるために必要な時間カッコカリとおおよそ同じとなる。
「その調子なら隠し通路を抜けるのは問題なさそうだな」
まあ、激しい運動をして酸素を消費する羽目にならなければね。
ベンの台詞にそんな考えが頭をよぎることになったが、決して口には出したりはしません。言霊信仰ではないけれど、言語化した瞬間に現実のものとなってしまいそうだったので。
リアルではなくゲームの世界だけれど。
この時、ボクは大きな読み間違いをしていた。ゲームの世界だということ、これこそが最も注意を払うべき点だったのだ。
しかし、残念ながらそのことに気が付くのはもう少しだけ未来の話になる。
「お!やってるな!」
「え?……兄貴!?」
片手を上げて「よっ!」と軽い調子で挨拶を寄こしつつ手漕ぎの小船で近付いて来たのは、ゴーストシップサルベージの社員の一人だった。
当然ビンスが言った兄貴という呼び方も本来の意味ではなく、世話になっている先輩や兄貴分ということだ。
「勝負の方はどうだ?」
「楽勝過ぎてあくびが出るね。正直、拍子抜けだったよ」
「抜かせ!あんなのはまだまだ序の口なんだよ。これからが本番だぜ」
いきなり例の設定に則って話を振られたが、ボクもビンスも淀みなく答えていく。
今のやり取りを聞いて、ボクたちが遺跡の調査に向かおうとしていると考えるやからはまずいないだろう。ほとんどの人が額面通りに素潜り勝負でもしていると思うことだろうね。
しかし、わざわざそんな前振りを入れてきたということは……。
「リュカリュカ嬢ちゃんが言ってたローブ姿の男にそっくりなやつが街に入ってきたらしい。西の大門から入ってきて、そのまま貴族街へ向かったそうだ」
顔を寄せて抑えた声で報告してくれた彼の顔は、それまでのにこやかなものとは打って変わって険しいものとなっていたのだった。




