734 人間には体内で砂糖をつくる器官は存在していない
この推測は正しかった。算術の教官の後ろに並んでいた仲間の連中に向かってボクが目配せをすると、一人が小さく頷いてすぐさま教官に耳打ちをし始めたのだ。
その内容までは聞こえてこなかったけれど、舌打ちをしてそのまま立ち去ったことから上手く誘導をしてくれたのだろう。
そんな彼らに小さく頭を下げると、驚いた顔で一礼をしてから慌てて図書館を出て行ったのだった。
ふむ。一口にタカ派の人間と言っても状況がしっかりと見えており、そして常識をわきまえている人たちも中に入るものなのだね。
いや、当たり前のことか。上から下まで全員が唯我独尊な性格だったら、組織として成り立たないだろう。
「ふう。大丈夫だった?いきなり絡まれて災難だったわね」
事情を知らない司書のお姉さんが優しげな声音で気遣うように尋ねてくる。
「あ、はい。これと言って被害があったわけではないので」
「そ、そういう問題でもないような……。それにしても一体何だったのかしら?以前はもっと理知的で論理立った喋り方をする人だったと思うのだけど、今日はさっぱり何が言いたいのかが分からなかったわ」
それだけ追い詰められていたということなのかな。襲ってきた連中は金で雇われた本職の裏稼業という雰囲気ではなかった。
つまりはタカ派のそれも教官たちと近い立場の者だという可能性が高く、襲撃者自身の身の安全もさることながら、そこから自分たちのことや企みがバレてしまうことを恐れているのだろう。
まあ、先ほどのように多少の分別は残っている人もいるようなので、十把一絡げの処罰はしないように一言添えるくらいはしてもいいだろう。
タカ派はあれでも『水卿公国アキューエリオス』の軍閥武官を主とした一大派閥だからね。断罪を進めた結果人が足りなくなり、治安が悪化しては元も子もないのですよ。
嫌々でも従わざるを得ないような人もいたかもしれないし、恩赦などで目こぼししてやれる場合もあるのではないかな。
そんなことを頭の片隅で考えながら、勉強会の準備を進めているとお屋敷へと帰る時間になる。
実は二段構えの作戦だったり、急遽集められて再度潜伏していたりする可能性も考えて〔警戒〕で探ってみたが、本校舎へと続く廊下とその周辺に誰かが隠れている気配はなかった。
「おや?今から帰りかな」
ジェミニ侯爵家の馬車が待つ方へと向かおうとしたところ、横合いから馴染みとなった声が聞こえてくる。振り返ると男女二人が窓から差し込む夕日に照らされていた。
「兄さまとジーナ様。ごきげんよう」
「ごきげんよう、リュカリュカ様」
トウィン兄さまのいる所にジーナちゃんあり。すでに定番を超えて自然の摂理になりつつあるほどに一緒にいるのだけれど……。
知ってるかい、これでもまだ付き合っていないつもりなんだぜ、この二人。
兄さまはいい加減腹を決めてジーナちゃんに告白するべきだと思います。リアルじゃないけど爆発してしまえー。
最近はこの二人に触発されたのか、ライレンティアちゃんとジャグ公子も二人セットでいることが増えてきていた。
まあ、こちらの場合はライレンティアちゃんがぐいぐいと距離を詰めていて、ジャグ公子はそれをまんざらでもなく思っているという感じなのだけれど。ヘタレ公子め。
テニーレ嬢?物陰でハンカチくわえながら「キーッ!」と叫んでいるよ。
割って入ろうにもライレンティアちゃんがあらかじめ正当な理由やそれらしい理由を準備しているため、取り巻きもろとも突撃しては撃退されるを繰り返していた。
せめてしっかりと公子妃教育を受けていれば話に混ざることもできたのだろうが、貴族向けの卒業基準ですらギリギリだったと聞くし、今さら態度を改めるようなこともないだろうね。
「私たちも今から帰るところなのだよ。せっかくだから久しぶりに一緒に帰ろうじゃないか」
「え゛……」
兄さまの提案に思わず乙女が出してはいけないような声が漏れ出てしまう。
ジーナちゃんが怪我をさせられたあの一件以来、兄さまはジェミニ侯爵家の馬車でジーナちゃんを家まで送っていた。
つまりですね、一緒に帰るということは爆発物な二人と一緒に狭い馬車の空間に閉じ込められることを意味するのだ。普通に拷問だよね?
余談だけど、いつもはジーナちゃんを家まで送り届けた兄さまがお屋敷へと帰還した後、再度ボクを迎えに来るという流れになっていた。
勉強会やその準備で学園から帰る時間を遅らせていたことには、そういう裏の事情もあったのだ。
二度手間にはなってしまうのだが、御者を務めてくれている皆さん――実はジェミニ領から一緒にやって来た武官の人たちで、ボクの本当の出自なども知っています――は、「なんのなんの。お相手のお嬢様は良い子のようですし、これで若様の婚約者が決まるのであれば不満などありませんとも」と朗らかな調子で請け負ってくれたのだった。
その後で「あの二人と同じ空間に居るのは辛いでしょうからね……」と苦笑もしていたけれど。
時折漏れ出てくる笑い声や『らぶらぶおーら』に「甘酸っぺえ!」と叫びたくなることもあるそうです。
「い、いえいえ。お二人の時間を邪魔するような真似はできませんから」
馬に蹴られて死にたくないのはもちろんですが、ボクには体内で砂糖を生成する機能もなければ、それを口から吐き出す機能も搭載されていませんので!
「私にとってジーナ嬢との時間は確かに大切だが、リュカリュカと、家族と過ごす時間もまた同様だよ」
いーやー!しばらく鳴りを潜めていた兄さまの天然がさく裂しているう!?
「あ、あの、一人で帰るくらいはできま――」
「それはダメです」
「それはダメだな」
「ええっ!?」
おずおずと口を挟んできたジーナちゃんの意見は、ボクと兄さまのツープラトン合体攻撃で瞬殺しておきます。
ジェミニ侯爵家という強大なバックが付いているボクたちに対して、ジーナちゃんは下級の貴族でしかない。より上位の貴族たちがその権威でもって命令してきた場合、彼女の性格的にも拒否することは至難となってしまうはずだ。
「分かりました。今日はご一緒させていただきます。でも、あまりイチャイチャしないでくださいね」
これ以上固辞してジーナちゃんを危険な目に合わせてしまっては本末転倒になってしまう。
諦め顔で、しかし最後の抵抗とばかりに釘をさすと、二人揃って真っ赤な顔で「そ、そんなことはしません!」と叫んだのだった。
その言葉が守られたか否かについては……、襲撃者と戦っていた時よりも屋敷に帰るまでの方が疲れ果てる羽目になった、とだけ言っておくよ。
爆発してしまえー。




